11-3 5月25日10時半過ぎ。


 

 

 5月25日10時半過ぎ。

 朝4時44分発の始発に乗って、岐阜と名古屋で乗り継いで新幹線で9時53分に東京駅に到着した安藤は、少しばかり乗り換えに手間取ったものの、なんとか目的地の六本木の高級マンションにたどり着いた。

「こんなところまでいらっしゃるなんて、警察のお仕事は大変なのね」

 被害者の元妻・大河内小夜香は、少し呆れたような顔で言った。ひとりがけソファーの肘掛けに寄りかかるように座る姿は、とてもリラックスしている。

 案内された応接間は、金ぴかな印象だった。

 やたらパーツの多いシャンデリアと金色の唐草模様の意匠で飾られた白い壁と、聖書か何かに出て来そうな青い服を着た女性の前に天使がひざまずいている絵と、木製のフレームは細くて曲線を多用したデザインなのにごってりと柄の多い生地が貼られたソファーと、やはり細くて曲線的な脚を持つテーブル。

 ああ、被害者宅の内装は、この元妻の趣味なのか、と安藤は納得した。

 要素だけ取り出せば豪華絢爛と言うべきなのだろうと思うのだが、何故か予算の少ないドラマのセットのような安っぽさを感じるところもそっくりだ。

 若い男が元妻と安藤の前に紅茶を出す。繊細なラインで描かれた薔薇の花と金線に彩られた華奢なカップは、自分などがうっかり力を入れて持ったら取っ手が折れそうに見えて、安藤は「これには手をつけないでおこう」と思った。

「それで、御用はなあに?」

 元妻は肘掛けに頬杖をつきながら訊ねた。

 安藤は元妻の傍らに立つ、どこかちゃらついた雰囲気をまとった男をちらりと見た。

「その、被害者と大河内さんのプライバシーに踏み込む内容ですので……」

「ああ」と納得した様子で、元妻は片手を振った。

「それで、御用は?」

 男が応接室を出て行ったところで、改めて元妻は訊ねた。

「そのですね、被害者の……夜の生活について、お尋ねしたいことがありまして……」

「そんなことまで、警察は調べるの?」

「必要があれば。……それで、ですね。ズバリ聞きますが、被害者の性指向……女が好きか、男が好きか、両方OKか、という意味での性指向は、どうでしたか?」

「普通に、女性が好きでしたと思いますわよ? 結婚前に色々なうわさも聞きましたし」

「本当は男が好きなのを隠していたとかは?」

「蒼田がヘテロセクシャルかバイセクシャルかの区別は、私にはつけられません。けれど、少なくとも『本当はしたくないのを我慢して、女を抱いていた』ということはないと思いますわ」

「根拠は?」

「嫌々している男は、自分から2回目を求めたりしないでしょう?」

 実に艶っぽく笑いながら、元妻は言った。

「確かに」

 安藤は納得した。

「では、これらのものに、見覚えはありますか?」

 安藤は前日にプリントアウトして用意してきた写真を3枚、裏返してテーブルに置いて元妻の方へ押し出した。

 元妻は手を伸ばしてそれを引き寄せ、取り上げて「まあ」と声を上げた。

 それからそのうちの一枚、露骨に男性器をかたどったピンク色のバイブレーターの写真を振って見せながら笑う。

「これって、セクハラじゃないのかしら?」

「捜査に必要なことですので、ご協力をお願いします。それらのものに、見覚えはありますか?」

 三枚の写真を一枚ずつめくった元妻は、最後の写真に目を止めて安藤の方に身を乗り出した。

「ねえ、これ、なんでこんなに細くて、こんな形をしているの?」

 安藤の質問には答えないまま、写真を差し出して聞いてくる。

「あー。それは、後ろ用のものなんだそうですよ」

「後ろって何?」

「どっちがセクハラなんだか」と思いながら、精一杯上品な言葉を選んで「お尻の穴です」と安藤は言った。

「ええ?!」と元妻は声を上げた。

「そんなところにこんなものを入れて、どうするんですの?」

「相手に入れたいと思う人も、入れられて気持ちいいという人もいるから、そういう商品が出回っているんだと思いますよ」

 元妻は、しげしげと写真に見入った。どうやらこのアナル用バイブを見たのは初めてらしい。

 安藤はひとつ咳払いをして、「それでですね」と改めて切り出した。

「それらのものに、見覚えはありますか?」

 もう一度聞くと、元妻は写真から顔を上げた。

「いいえ、ありません」

 きっぱりと言う。

「あの人にとってのセックスは、自分が優れた雄であることを確認して楽しむためのものでしたから……道具を使って女を抱くなんて、考えたこともなかったんじゃないかしら?」

 再び写真に目を落とし、元妻は自嘲するように笑った。

「こんなものを持ち出すほど、あの人が私を愛してくれていたら、離婚なんてしなかったんでしょうけれど……」

 含みのある言い方がひっかかった。

「どういう意味ですか?」と問いかけたら、元妻ははっと顔を上げてから安藤を見やった。

「言った通りの意味ですわ」

 元妻は完璧な笑顔で穏やかにそう言った。それ以上答えるつもりはないという拒絶の意思が、その笑顔と穏やかさに滲んでいた。

 言えない事情があるのかもしれない。

 通夜の席で蒼田家の顧問弁護士にやり込められていた元妻の姿を思い出し、安藤はこれ以上は聞くだけ無駄だろうと判断した。

「では、最後にもうひとつ、質問させてください」

「なにかしら?」

「ここから三田駅までは、何線で行けばいいんですかね?」

 安藤の問いに、元妻はパチパチと目を瞬かせてから、ぷっ吹き出した。

「もう、刑事さんったら!」

 ソファーの肘掛けに縋りながら、元妻は声を上げて笑ったのだった。

 

 

 国道1号線の路肩に、元妻の愛人だという男はベンツを止めた。すぐかたわらに左矢印の上に「K大学」と書かれた看板が立っていた。

「ありがとうございます。助かりました」

 安藤が後部座席の右側に座った元妻に礼を言うと、元妻は極上の笑顔を見せた。

「大したことではありませんわ、このくらい。色々と新しいことを教えていただきましたし、笑わせてもいただきましたもの」

「では、失礼します」と車を降りてドアを閉めようとしたら、「刑事さん」と呼び止められた。

「私には、ただのお友達の神尾さんと違って、色々なしがらみがあるの。あまりお役に立てなくってごめんなさいね」

「自分は自由にはしゃべれない事情がある」という言い訳か。

「ご協力に感謝します」

 安藤は頭を下げてそう言った。

 

 

 

 12へ続く

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