10-4 赤マーカーをホワイトボードの下に置き、安藤は再びカードの海を見渡した。
赤マーカーをホワイトボードの下に置き、安藤は再びカードの海を見渡した。
「なんでなんだろうなあ……」と、つぶやく声が隣から聞こえた。
「どうした?」と声の主の富田に聞いてやれば、「あ、いや、なんでも」と誤魔化そうとする。
「あのなあ」と、安藤はため息をついた。
先日、高木を怒鳴りつけたことで萎縮させたか。最近の若いのの扱いは難しい。
「俺は、疑問を持つことや可能性を推理することを否定してるわけじゃねえぞ? 『証拠のない憶測』を、『証拠と証言で裏付けられた事実』と同じに扱うなって言ってるだけだ。
疑問に思うことがあるんなら、口に出してみろ」
「はあ」と返事をして、富田は遠慮がちに口を開いた。
「午前中に被害者を拘束していたとして、なんで被疑者はそれを隠したいんだろうなあって、思ってたんです」
「うん。それは確かに気になるな」
安藤は同意する。
「『午前中に、被害者を拘束していた』と仮定したとして、お前は他に何が気になる?」と聞いてやれば、少し驚いた顔をして富田は考え込んだ。
「『被害者を拘束してから昼に学校に戻って来るまで、被疑者が何をしていたか』、が気になります」
「うん。それも気になるな」
「ハズレですか?」
再び同意する安藤に、富田ががっかりしたように言う。
「俺の考えを当てろって言ってるわけじゃねえよ」
「でも、安藤係長は別のことを考えてるんですよね? 何が気になるんですか?」
「俺が気になっているのはな、『被疑者はなぜ、被害者をすぐに殺さなかったのか』、だ」
「ん……?」
首を傾げて考え込んだ富田が、「あ」と顔を上げた。
「そうか。ただ殺したいだけなら、拘束して抵抗できなくしたところですぐに殺せばいいだけなんだ。時間を置く必要はないですよね」
「そういうことだ」
安藤は頷いた。
「被疑者は、午前中には目立たないルートで被害者宅を往復する配慮をしてる。本当に午前中に被害者が拘束されていたのだとしたら、それは『被疑者にとっては計画通り』ってことだろう」
「計画通りって、どういう意味です?」
「『午前中に拘束したものの、何かがあって時間が経過してしまった』んじゃなくて、『最初から何らかの目的のために午前中に拘束して、時間を確保した』ってことだ。自首することも計画のうちな被疑者だ、前者なら、目立たないルートで被害者宅に向かう理由は無い。
そこで、問題だ。
なんのために、被疑者は時間を必要としたんだ?」
安藤は再び富田に問いかけた。
富田はしばし考え込んで、「あ!」とぱっと明るい顔になった。
「『より長時間、被害者を苦しめるため』とか、どうですか?! 被害者は腹を刺されてるんだから、相当痛いですよね? 殺したいほど恨んでいるなら、アリじゃないですか?」
安藤が眉を寄せて見返せば、富田は不満そうに「何ですか?」と聞いてきた。
「そんなエグイことを、ドヤ顔で言われてもなあ」
「いや、でも、ありえるでしょう?」
「ないな」
「即答ですか」
「被害者が午前中……家政婦紹介所にLIMEメッセージを送る直前に拘束されたとして、実際に殺されるまで4時間以上かかってる。そんな長時間、結束バンドで拘束されていたにしては、被害者の手首についた結束バンドの擦り傷はかなり少ない。強い苦痛を与えられていたとは思えない。
第一、すでに被害者は拘束してるんだぞ? 本当に苦しめたいんなら、抵抗できないやつ相手だ、もっと色々すりゃあいいじゃないか」
「どっちがエグイんだか……」
富田が呟く文句は、まあ、スルーしてやることにする。
「犯行中に時間をかけることといえば、被害者に何かをさせること、被害者から何かを聞き出すこと、そして、証拠を隠すことってのが、定番なんだがなあ」
「被害者に何かをさせる?」
「例えば、金を出させる。新しい遺言を書かせる。今回は関係なさそうだな」
「じゃあ、何かを聞き出すってのはなんですか?」
「金庫の暗証番号を聞き出すとか」
「証拠隠滅は、証拠隠滅ですよね……」
確認するようにそう言った富田が、さっきと同じように「あ!」とぱっと明るい顔になった。
「第三者が被害者を刺して拘束して、その証拠隠滅を被疑者がしていたとか……?」
「被害者宅の屋内の
思い付きを否定されて口を閉じた富田に、「だけど」と安藤は続けた。
「だけど、俺も、『証拠隠滅』ってのは当たってると思ってるぞ」
「え?」
富田が安藤を振り向く。
「被疑者は自首して来てるのに、証拠隠滅が必要なんですか? 俺は、被疑者には証拠隠滅が必要ないと思ったから、第三者を持ち出したんですが……」
「殺人についての証拠隠滅は、確かに必要ないけどな。被疑者は隠していることがあるだろう?」
「あ……動機……!」
「被疑者は動機を隠したい。その動機につながる証拠を隠滅するために時間を必要とした。そういう可能性はあると俺は思う」
安藤は赤マーカーを再び手に取り、キャップをとった。
「ここと、ここ」と、模造紙の右側の、二カ所のカードが無いスペースを赤い楕円で囲う。
ひとつは、10時前に地下駐車場のスロープを歩いていた被疑者の目撃証言のカードと、11時40分頃に校舎地下を男子寮方向へ向かう被疑者の目撃証言のカードに挟まれたスペース。
もうひとつは、昼の食堂での大量の目撃証言のカードと、14時頃に定位置のガレージから出て行く被疑者が運転していると思われる軽自動車の目撃証言のカードに挟まれたスペース。
「この空白の時間に、被疑者が何をしていたか。それを向島たちが見つけてきてくれりゃあ、いいんだがなあ」
安藤はそう言いながら、赤マーカーのキャップを閉めた。
11へ続く
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