10-2「富田」 「はい」 安藤が呼べば、富田は、一服していた茶を置き立ち上がった。
「富田」
「はい」
安藤が呼べば、富田は、一服していた茶を置き立ち上がった。
「お前は、これ見てどう思う?」
取り調べの記録員をしながら、それ以外の時間で毎日大量の報告書から情報を整理して粘着シール式カードに印刷し、模造紙に貼り付け、この図を成長させてきた当人に、安藤は訊ねた。
「憶測でいいですか?」
「いい。言ってみろ」
「午前中に、被疑者が被害者を訪れている確率、その時点で被害者を拘束している確率が、高いと思います」
「そうなんだよ」
安藤は、生徒を示す黄色、教師などを示す水色、裏方スタッフを示すピンクの何も書いていない3枚のカードをシール台紙からはがし、被害者側の昼頃のスペースに貼りつけた。生徒、教師、裏方スタッフ、共通の証言であることを無地の3色のカードで示し、その下に黒のマーカーで「昼食注文済み→食堂に来ない」と書き、その下に「初めて」と書いて赤いマーカーでその文字をぐるぐると囲った。
それから、カードに書かれた「初めて」の文字を赤マーカーで囲っていく。
被疑者が食堂で食事を大量に残すのは、初めて。
地下駐車場から地上へのスロープを歩いて上がっていく被疑者を見たのは、初めて。
家政婦に「来なくていい」と連絡するLIMEメッセージが当日に届いたのは、初めて。
午前中に校舎地下を歩いている被疑者を見たのは、初めて。
そして、被害者が注文していた昼食を食べに現れなかったのも、初めて。
「これだけの『初めて』が、偶然重なったって、そう主張する方が非論理的だよな」
偶然でなければ、つまり必然だ。
地下駐車場のスロープを歩いて地上に出たら、そこにはみっつの道がある。
ひとつめは、スロープの出口のすぐ右にある、体育館の北側、校舎の西側にある来客用駐車場に出る道。この道は、晴れている日の被害者の出勤ルートでもある。
来客用駐車場からは、体育館、校舎の西玄関、駐車場の北にあるテニスコート、さらにその北にあるグラウンド、そして、学校敷地の西の斜面の一段低い場所にある職員住宅の敷地にアクセスできるが、そちら側で被疑者を目撃したという証言は、今のところない。
ふたつめは、スロープから道なりに続く、長い坂を下って一般道に出る一本道。そこを歩いていれば、その後も頻繁に行き来している車に乗った人物に目撃されているはずだが、やはり今の所そういう証言は無い。
そして、みっつめ。スロープの出口のすぐ左にある、被害者宅の裏手に繋がる石畳の小径。
被疑者が地下駐車場を通って、被害者宅に向かったというのは、十分にあり得る。
「地下駐車場のスロープを徒歩で地上に向かっていた被疑者を見た」という証言を得た警察としては、当然にその可能性を踏まえて捜査をしなければいけない。
家政婦紹介所への連絡は、被害者が連絡時点で拘束されていなかった証拠にはならない。被害者のスマホを使うことさえできれば、誰でも連絡可能だからだ。
刃物で脅して、暗唱番号を聞き出したのかもしれない。被害者のスマホは指紋認証が設定されていたので、拘束した被害者の指をスマホのボタンに押し付けて、無理矢理指紋認証させることもできただろう。
午前中のうちに被害者を刺して拘束し、家政婦が来ないように工作をして邪魔が入らないようにした。
そして、すでに事件が発生していたから、被害者は昼食を食べに来ることができなかった。
そう考えれば筋は通る。
筋は通るが……
「でも、物的証拠も、決定的な目撃証言もないんだよなあ……」
赤いマーカーにキャップを着けながら、安藤はぼやいた。
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