8-3 通夜振舞いの席から三々五々と帰路につく人々の中から顧問弁護士の瀬戸を捕まえてロビーで話を聞く。


 

 

 通夜振舞いの席から三々五々と帰路につく人々の中から顧問弁護士の瀬戸を捕まえてロビーで話を聞く。

「先ほどは失礼いたしました、蒼田家顧問弁護士の瀬戸幸之助と申します」

 スーツに年季の入った弁護士バッヂを着けたロマンスグレーの紳士は、さっき元妻に見せた高圧的な態度とは180度違う柔らかな物腰で名刺を差し出した。

「刑事捜査課の安藤です。ご協力ありがとうございます」

 安藤は警察手帳の身分証明部分を提示して自己紹介してから、「ご丁寧にどうも」と名刺を受取った。

 名刺の肩書きには「弁護士」と書かれているだけだったので、安藤は正直に聞いてみた。

「今まで、弁護士さんにはよくお会いしたんですが、顧問弁護士さんとお会いするのは初めてでして……よく分かっていないのですが、顧問弁護士というのは、どういうものなんですか?」

「法人、あるいは個人と、顧問契約を結んだ弁護士のことを言います。ですから、正確に言いますと、私は先々代の蒼田家当主・蒼田総一郎様の顧問弁護士であり、先代当主・蒼田統様の顧問弁護士であり、当代当主・蒼田真治様の顧問弁護士になります。学校法人蒼田学園とも顧問契約をしております」

「顧問契約というのは、どういうものなんですか?」

「単純に言いますと、スマートフォンのデータ通信の定額制みたいなものです」

 瀬戸は笑った。

「弁護士は、法律知識と法曹資格をもって依頼者を助けるのが仕事です。

 多くの人は困ったことが起きた時に初めて弁護士の必要性を感じ、弁護士を探し、相談をして相談料を払い、依頼をして着手金を払い、事が成れば成功報酬を払います。相談に時間がかかるような話であれば相談料もかさみます。立て続けに相談したいことが起これば、その都度相談料を払わなければなりません。差し迫って困ったことがある時には、信頼できる弁護士を探すことさえ大変です。

 顧問契約は、それらの問題を解消する手段です。困ったことが起きる前に信頼できる弁護士と顧問契約を結んで契約料を支払っておけば、いざ困ったことが起きた時にすぐに相談ができます。相談料・着手金などは契約料に含まれていますので、その都度お金を支払う必要もありません。

『どれだけ使ってもこの金額!』というやつです。

 頻繁に弁護士の助けを必要とする方、いざという時に助けを求められる信頼できる弁護士を確保しておきたい方に、ぴったりの契約なのです」

「ははあ。じゃあ、私なんかも顧問弁護士を雇うことができるんですかね?」

「ひと月の最大相談時間などを区切って、リーズナブルな金額で個人の方と顧問契約をしている弁護士さんもおられますよ」

 暗に「刑事の給料では私は雇えない」と言われて、安藤は笑ってしまった。「弁護士さんも色々なんですな」と笑い合って話を切り上げてから、改めて本題に入る。

「被害者とのおつきあいは、長いのですか?」

「統様が子供の頃から、総一郎様の所に帰省した時などにお会いしていました。統様と顧問契約をしたのは、総一郎様がお体を悪くされて統様が蒼田学園の理事長に就任して、こちらに引っ越してこられてからです」

「被害者を子供の頃からご存知の瀬戸さんから見て、被害者は人から恨まれるような人物だったと思いますか?」

「いいえ、思いません」

 きっぱりと瀬戸は言った。

「幼い頃は、子供の癖に大人を顎で使い、お友だちを手下と言い切ってはばからないようなところもありましたが、成長するにつれそういうところは鳴りをひそめました。

 切り捨てるべき者を切り捨てるのに、躊躇をしない冷徹さはありました。しかし、切り捨て方が上手いのです。自分が不利にならないためのコストを惜しまない方でした。

 恨まれるような方ではありません」

 安藤は、さっきの元妻と瀬戸の会話を思い出した。離婚してなお元妻の言動をコントロールするために、おそらく相当な金額を援助し続けているのだろう。

「それに」と瀬戸は続けた。

「さきほど、塀内校長とも話したのですが、統様は変わられました。

 真治様の御令妹、華子様が、小児白血病で入院されているということはご存知ですか?」

「はい」

「白血病の治療方法に、骨髄移植があります。

 しかし、移植可能な同じ白血球の型を持つ人は、非血縁間では数万人に一人の確率と言われています。

 骨髄提供をしてもよいと骨髄バンクに登録する人はまだまだ少なく、移植可能なドナーはなかなか見つからず、多くの人が他の方法での治療を続けながらドナーが見つかるのを待っている状態なのだそうです。

 また、ドナーとして選ばれても事前検査や移植手術のために仕事を休むことができず、骨髄提供を断念する人もいるのだそうです。

 統様はそれらの現状を踏まえ、ドナーが現れるのを待つ華子様のために、所有するサフィール・リゾート・ホールディングスの子会社各社に『ドナー休暇制度』を導入させました。社員が骨髄バンクのドナーに選ばれた場合に、仕事を休む間の収入を保証する制度です。

 さらに、自ら範を示すためドナー登録もされました」

 瀬戸はいきなり、口元に手を当てて俯いた。どうやら笑いをこらえているようだ。

「すみません。さっき、この話を聞いた時の小夜香様の顔を思い出してしまって……」

 つまり、元妻の知っている被害者は、そういうことをしなそうな人物だったということだ。

「被害者をそれだけ変えてしまったのが、蒼田真治君ということですか」

「そうですね」

 安藤が言えば、瀬戸は笑顔で頷いた。

「身寄りのない兄妹と養子縁組をしたいと、統様が言い出した時には驚きました。最初はどうやって取り入ったのかと思ったのですが、真治様は私に養子縁組を思いとどまるように説得して欲しいとさえ言いました。

 養子縁組をするにあたり、統様の遺言を書きかえたときもそうです。医大を出るまでに必要な最低限のものをもらえれば、自分はそれ以上要らない。後は、華子様の治療と教育に必要な分を華子様に相続させて欲しい。それ以上は華子様にも不要だと言っていました」

「それは、ずいぶんと欲のない……」

「『華子が治って、俺が働けるようになったら、それ以上のお金なんて要らないんです』と言っていました」

「では、蒼田真治君と華子さんが相続する遺産は、それほどの金額ではないということですか?」

「それがですね……」

 瀬戸は困ったように頭を掻いた。

「一度は真治様の言う通りに自筆証書遺言を書いてその写しを真治様に渡したのですが、翌日に統様は私を伴い公証役場に赴いて、全ての遺産を二分割して真治様と華子様に遺すという、より新しい日付の公正証書遺言を作ってしまったのです」

「要らないと言っているものを押し付ける遺言ですか」

「遺産相続に関しては、相続分全てを拒否するか全てを相続するかの二択しかありません。真治様は華子様に与えられた遺産を自分のもののように使うことはできないから、経済的に自立していない限りは全部受け取るしかなくなるだろうと、統様はおっしゃってました。

『これはサプライズだから峰君には内緒だよ』と、楽しそうに笑っていらっしゃいました」

「それは、真治君が自立する前に自分が死ぬことを、被害者が予測していたということでしょうか?」

「いいえ。『峰君が経済的に自立した後に、どうやって遺産を受け取らせるかは今後の課題だ。瀬戸も考えておいてくれ』とおっしゃっていましたから、そういうつもりはなかったと思います」

「書き換えた方の遺言の内容は、真治君は知らなかったのですか?」

「昨日、その話をしましたらひどく驚いてらっしゃいました。一部だけ相続することはできないのかと慌てていらっしゃいましたから、おそらくご存知なかったのではないかと」

「多額の遺産を相続しても、真治君も華子さんも未成年ですよね? 身近な親戚もいない。後見人は、どうなるのですか?」

「後見人一人では未成年の真治様をいいように操る危険があるということで、私と東京のグループ本社の顧問弁護士……統様が東京にお住まいだった頃の顧問弁護士が、共同で務めるように、遺言で指定されています」

「なるほど」

 被害者はそんなことまで考えていたわけか。

 安藤は口元を抑えてしばし考え込んだ。

 

 蒼田真治が養子縁組に消極的だったというのは、塀内校長の話とも一致している。

 被害者が死んで一番得をするのは確かに養子の蒼田真治・華子兄妹だ。

 だが、華子はわずか13歳で名古屋で入院中。そもそも被疑者との接点がほとんどないはずだ。独力で犯罪計画を立てて、遠隔地から22歳の青年を操って犯行を実行させることができるとは思えない。

 さっきの元妻の件を考えると、蒼田真治は、聡明な少年に思える。その聡明な少年が、後見人が必要な未成年の段階でことを起こすのは不自然に思える。たった3年我慢してから実行すれば、後見人という邪魔もなく、すぐに遺産を自由にできるのだから、焦って今ことを起こす必要などないはずだ。

 肯定する物的証拠も、否定する物的証拠もないのでシロ確定にはできないが、やはり、「蒼田真治が遺産目当てに砂川青年を操って養父を殺させた」というのは無理筋に過ぎる。

 瀬戸が弁護士の割に良くしゃべってくれるのも、蒼田真治が事件とは無関係だと確信しているからだろう。新しい雇用主に無用な疑いをかけられないように、先回りして情報を提供しているのだ。

 蒼田真治を操り人形に、瀬戸が遺産を狙ったという筋も、会社の顧問弁護士との共同管理では無理がありすぎる。

 

 自分の中でそう結論付けて、安藤は最後の質問をするために顔を上げた。

「瀬戸さんは、被疑者、砂川史朗に会ったことがありますか?」

「何度か。でも、挨拶をした程度です」

「被害者は、被疑者のことを何か言っていましたか?」

「新しい寮監を雇用したと理事会で報告しているのを聞いていました。ご両親の不幸と経済的な理由で勉学を諦めなければならなくなった優秀な人物で、身上調査の結果も綺麗なものだった。実際に面接をして、人格、品格、知性共に、日々当校の生徒に接する寮監の職にふさわしいと判断したと」

「それ以外の場で、被害者が被疑者について何か言ったことはありませんでしたか?」

 瀬戸はしばし考え込んでから「記憶にありません」と言った。

「被害者と被疑者が一緒にいるところを見たことは?」

「学園祭や卒業式の時に、立ち話をしているところを見たことはあります」

「そのときはどんなようすでしたか?」

「取り立てて『変なようす』と思った記憶はありません。普通だったと思います」

 瀬戸は、他の関係者と似たような答えを返したのだった。

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