7-2「峰真治君は、当校の初めての特待生です」

 

 

「峰真治君は、当校の初めての特待生です」

「特待生というのは?」

「当校の特待制度は、医師になりたいという強い希望を持つ成績優秀な生徒の、入学金や授業料などの諸費用・諸経費を全額免除する制度です。当校では、条件付きではありますが、寮費・食費・特別講習費・個人指導費も含め、多くの私学の特待制度では免除されない寄付金なども免除しております」

「それは、親御さんにはありがたい制度でしょうな」

 食費まで免除とは、食べ盛りの高校生男子を抱える多くの親が、切実にうらやましいと思うだろう。

「そうですね。私服、ノートや筆記具など、こまごまとした出費はあるでしょうが、住居費・食費まで免除されますから、相当楽だったはずなのですが……」

「『はずなんですが』?」

「峰君のお父様は、一昨年の7月に自殺されてしまったのです」

「自殺……」

 どこかで聞いたような話だ。

「お嬢さん……峰君の妹さんが、小児白血病が再発して再入院した直後だったと聞いています。妹さんが入院した大学病院の最寄駅で、通過の特急列車に飛び込んだのだそうです。そのしばらく前に奥様が突然に病死されていたそうで、警察は心労が重なって、将来を悲観して衝動的に飛び込んだと判断したそうです」

「蒼田真治君と、妹の華子さんには、他に身内はいなかったそうですね」

「はい。祖父母は故人、両親はともに一人っ子、借家住まいで近隣に親しい人もおらず、兄妹に手を差し伸べてくれる大人はいなかったそうです。お父様は個人タクシーの運転手だったそうで、お葬式はそういうお仕事をされる方々の協会が規則だからと手伝ってくれたそうですが、火葬が終わったところで挨拶をしてお別れだったそうです」

 少子化が進んでいる現在、両親・祖父母がいなくなったら頼れる身内がいなくなってしまう子どもというのは珍しくない。

 そうなると、児童養護施設などの出番になるのだが、高校生の本人一人ならともかく、入院が必要な15才以下の妹がいるとなると、すこしばかりややこしい話になるだろう。

「他に頼れる人のいなかった峰君は、当校の運営上の決定権を持つ理事長に、直接相談をしてきたのだそうです。国立大学医学部に入学し、国家試験に合格し、大学を卒業して医師となったら必ずお金は返すので、それまでの自分と妹の生活を経済的に支援してほしいと」

 塀内校長は、少しばかり頬を緩めた。

「正直に申しますと、理事長が峰君の頼みを聞いて二人の後見人になることにしたと言ったときには、意外だと思いました。

 けれど、優秀な医師になる可能性の高い優秀な生徒が、学業を諦めなくてもよくなったことに、安堵もしました」

「後見人になるというのと、養子縁組をして養子になるというのは、また別のことだと思うのですが、そのあたりはどうだったのですか?」

 安藤が先を促せば、塀内校長は「そうでしたね。申し訳ありません」と謝罪してから先を続けた。

「養子の話を初めて聞いたのは、去年の12月の初旬でしたか……峰君から相談されたんです。

『理事長先生から養子にならないかと言われている。ありがたい話だけれど、妹を一人にするわけにもいかないし、親からもらった峰の姓を手放したくもない。理事長先生はお金持ちだそうだけれど、自分は根っからの貧乏人なので性に合わないとも思う。お世話になっている理事長先生に直接は言いにくいので、校長先生から考え直すように言って欲しい』。そう頼まれました」

「養子縁組に積極的だったのは、被害者の方だったんですか?」

「はい」と塀内校長は頷いた。

「私は、悪い話ではないと思いました。

 峰君は年の割にしっかりしていましたが、それでもまだ高校生、子供です。

 命にかかわる病で入院する妹さんを自分の手で守りたい。妹さんを治すために医師になりたいという気持ちは、わからないではありませんが、峰君がいくら優秀な生徒であっても、どれほど真剣にそのための努力をしたとしても、未成年の少年がひとりで実現するには、荷が勝ちすぎる理想です。

 彼らには、長期的な安定した支援が必要でした。

 でも、まず優先すべきは、峰君自身の気持ちです。私は、頼まれた通りに理事長に峰君の意志を伝えました」

「にもかかわらず、最終的には、理事長と峰真治君は養子縁組をしたと」

「ええ。時には第三者に意見を求められるようにと私を同席させたりもして、理事長は根気強く峰君を説得していました。やっと納得してくれたと理事長から報告されたときは、私もほっとしました」

「これは個人的な興味からの質問なんですが」と前置きしてから、安藤は言った。

「何故、被害者は峰真治君との養子縁組を、そこまで望んだのでしょうか?」

「理事長は……峰君と出会うまで、少しばかり人間不信に陥っていたのだと思います。そんな折に、峰君の心から妹さんを思う姿を見て、感じるところがあったのだと思います」

「人間不信、ですか?」

「その……皆が知っていることですから申しますが、理事長は、数年前に奥様の不貞が原因で離婚されたんです。以来、理事会などでの物言いが、以前にも増して冷たい印象のものになっていまして……でも、峰君の後見人になるという話をした頃から、そういう印象がなくなりまして、とても楽しそうな表情をするようになりました。

 この養子縁組の話は、理事長にとっても、峰君にとってもよいことだったのではないかと、私は思っています」

 大体の人間関係把握のための質問は、終わったか。

 隣で手帳にメモし続けている富田の手が止まるのを待ってから、安藤は顔を上げた。

「ところでですね」と、前置きをして改めて質問を投げかける。

「そこまでして迎えた養子が、被害者が死んだ次の日から授業に出ていたというのは、私には違和感がありますが……どういう事情でそうなったのかを教えていただけますか?

 なさぬ仲とはいえ、義父が死んだら学校は休むのが普通だと、私は思います。忌引きってものもありますしね」

「それに」と安藤は続ける。

「学校の関係者が殺し、殺される事件が起きたら、学校も休みにするのが普通じゃないんですか? 生徒は自宅待機、保護者説明会を開くというのが、定番だと思うんですが?」

 安藤の質問がまだ続くのかを少し間を開けて確かめてから、塀内校長はおもむろに口を開いた。

「当校は、少し特殊な学校です。

 現在、当校でお預かりしている生徒たちの出身地は、南は長崎、北は北海道に渡ります。何かがあったからと言って、簡単に自宅に戻すこともできませんし、簡単に学校で保護者説明会を開くこともできません。

 この状況では、寮の個室での待機を指示するよりは、授業をした方が教師たちが生徒たちの顔を見られ、精神的なケアをしやすいというのが私の判断です。

 教師がいつも通りの姿を見せ、生徒たちにいつも通りの生活をさせることが、生徒たちの生活リズムを整え、動揺を抑えることにもつながると考えております。

 事件の翌日から平素通りの授業をしておりますのは、そういう理由からです」

 説明をされれば、納得できなくはない理由だ。

「しかし、被害者の身内まで授業に出ているというのは、普通に思えませんが」

「それが、蒼田学園理事としての、峰君の判断です」

「理事?」

「理事長……亡くなった理事長は、峰君を養子にするにあたり、峰君を蒼田学園の理事の一人に選任しているんです。理事会の裁可も受けていますので、峰君……蒼田真治君は、この4月から当校の理事の一人です」

「生徒が、理事ですか?」

「理事長職を実質世襲させるために、子供を理事に据えることは私学では珍しくありませんよ」

 塀内校長は言った。

「理事長が亡くなった夜、臨時理事会が開かれまして、当面、私が理事長代理を務めることになりました。

 その際に、このような事件が起きた学園として、保護者の皆さんに納得して生徒さんを預け続けていただくために、今後どのような対策をするべきかという話になりました。

 砂川さんの採用を決めたのは亡くなった理事長の独断でしたから、採用基準の見直しとして複数人による面接を採用するということにしましたが、それだけで保護者の皆さんに納得していただけるかというと疑問です。

 もしも、この事件を機に『こんな事件が起きるような学校に、子供を預けておくわけにいかない』と転校を望む保護者が続出しますと、当校の存続問題になります。当校は生徒数が大変に少ないため、一人の生徒が転校をすることによって受ける経済的打撃が大きいのです」

 塀内校長は頬に手を当てて、困ったように小さく首を傾げた。

「先ほど申しました通り、砂川さんは職員としてよく勤めて下さっていました。彼がこんなことをするなんて、予測もできませんでした。『根本的な再発防止のための対策』など、取りようがありません。

 そこを問題にされたら、反論のしようがないのです。

 集まった理事が頭を抱えて黙り込んだとき、峰君が言ったんです。

 今度の全国模試で、自分が良い成績をとります、と。

 その結果を保護者に示し、生徒たちの動揺は最小限に抑えられ、安心して勉強しており、成績も維持できていると訴えれば良いと」

 思いもかけない人物が思いもかけない犯罪を起こすことは、思いもかけないだけに防ぎきれない。どんなに用心深く人を選んで雇ったとしても、その人物が予想外の犯罪を起こす確率はゼロにはできない。

 どうやってもリスクをゼロにできないのなら、そのリスクを超えるメリットを提示する。

 考え方は理にかなっている。

「理事長には、峰君と妹さんの他に、存命の親族がいません。名古屋の大学病院に入院している妹さんは、もちろんこちらまで来ることができません。

 通夜や葬儀の手配は、理事長の所有するホテルグループの社員さんが進めてくださっています。

 理事長のご遺体が解剖から帰ってきて実際に通夜の準備が始まるまで、峰君には当校の他に居場所もなく、一緒にいて慰め合える人もなく、することがないんです。

 そして、峰君にとっての自宅は、寮の自室です。

 この状況で一人で寮に閉じこもって勉強するよりは、いつものように授業に出ていた方が集中力が維持できていい。どうせ、通夜や葬儀で授業を受けられない時間もできるのだから、出られる授業には出たいというのが、峰君の判断であり希望です」

 塀内校長は、ひとつため息をついた。

「理事長が峰君を見込んで養子にしたのは、慧眼だったと思います。

 いっそ彼が二人に分裂して、一人が当校の理事長になってくれればいいのにと、私は思っていますよ」

 つくづくと残念そうに、塀内校長はそう言ったのだった。

 

 

 

 8へ続く

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