第二章

第7節

7ー1 北東には北アルプス連山、東には乗鞍、南東には御嶽山、南には位山、西には白山連峰。

 

 

 

 北東には北アルプス連山、東には乗鞍、南東には御嶽山、南には位山、西には白山連峰。

 ぐるりと山々に囲まれた標高570メートルの盆地に、T市はある。

 小京都と呼ばれる古い街並みと、春秋二回催される屋台と呼ばれる大きな山車を引きまわす祭りが有名な観光地。西側に太平洋側と日本海側を結ぶ高速道路が開通してからは交通の便も一段と良くなり、最近は外国人旅行者も増えている。

 T市を東西に横切る国道を高速道路のインターチェンジがある西へ進むと、右手側に緑の森の上に顔を出す金色の大きな屋根が見えてくる。神社の屋根にも似た和風のデザインの金ピカな屋根の上に赤い玉の乗った、体育館よりも大きそうな建物。観光客は目を輝かせて「あれは何なんですか?」と聞いてくるが、地元民としては「新興宗教の総本山です」という、実に言いたくない答えを返さねばならないのが辛いと評判の建物だ。

 その建物を過ぎてさらに国道を進むと、うっかりすると見落とすくらいにシンプルな「塩手高等学校」と書かれた看板が右手に現れる。

 看板の手前の横道に入り、センターラインが引かれた坂道を上るとすぐに周りは雑木林になる。200メートルほど道なりに坂を進めば、やがて道は平らになり右に曲がる。

 曲がった途端に視界が開け、唐突に眼前に出現するのは、とてもこんな田舎の雑木林の中にあると思えない光景だった。

 道の左右に立っているのは、レンガ造りの柱だけの門柱。左側の門柱には、「学校法人蒼田学園 塩手高等学校」と彫られた黒御影石のプレートが埋め込まれている。

 眼の前には、幅50メートルはありそうな広いロータリー。その内側は一段高く土が盛られており、綺麗に芝が貼られ、石畳の小道と高さを抑えた木とベンチがまるで公園のように配置されている。ロータリーの中央から少しずれたところには、大きな桜の木が植えられている。

 このあたりの桜の見頃は4月下旬。ついこのあいだ芽生えたのだろうみずみずしい若い葉を茂らせた桜の向こうに、どう見ても公立高校とは金の掛け方の桁が違う、塩手高校の校舎があった。

 東に向かって開けたコの字に並んだ、曇りひとつなさそうな窓と白い壁で形づくられた建物。南側には4階建ての男子寮・蛍窓寮。北側には2階建ての女子寮・雪案寮。正面にはワンフロアの天井高をゆったりと取った3階建ての校舎。

 校舎の東面は広くガラスに覆われており、広々としたロビーが透けて見える。玄関にはガラス張りの大きな風除室が張り出しており、それよりもはるかに大きな広いひさしと車寄せが、到着した人間を雨雪から守ってくれる構造だ。正に高級ホテルを彷彿とさせる。

 あまりに豪華すぎて高校の施設には見えないが、これが医療系進学専門全寮制高校、私立塩手高校。私立学校法で認められた学校法人が経営する、まぎれもない私立高校だ。

 

 

「刑事捜査課の安藤と申します。この度の事件では捜査にご協力いただき、ありがとうございます」

 5月14日14時過ぎ。

 落ち着いた内装の校長室の、妙に豪華で座り心地の良い応接セットのソファから立ち上がり、警察手帳の身分証明部分を示しながら安藤は名乗った。

「校長の塀内澄恵と申します。どうぞおかけになってください」

 校長室に入ってきた初老の女校長は、安藤と隣の富田にソファをすすめた。スーツの落ち着いた丈のスカートをさりげなく押さえながら、自分も一人がけのソファに女らしく腰かける。背筋を伸ばし、膝を揃えて足先を流す、上品で柔らかな印象の座り姿。

 さすがお金持ち学校は、校長先生の品格も違うな。

 そんなことを思う。

「今日は、私に話を聞きたいということでしたが、何についてお話しすればよろしいのでしょうか?」

「被害者と被疑者についての質問をいくつかさせていただきたいと、参りました」

 とりあえず、そういうところから話を始める。

「事件当日、校長先生がどういう行動をしたかを教えて下さい」

「もう、別の刑事さんにお話したことですが?」

 怪訝そうに塀内校長は小首を傾げた。

「被害者に近い方には、複数回同じ話をお聞きすることになっているのです。何回も聞くうちに、思い出すことというのもありますから……どうぞ、よろしくご協力下さい」

 嘘なら、何回も聞くうちに矛盾が生まれたりするから、という本当のことは言わず、安藤は頭を下げた。

「私はその日、8時前に出勤しました」

 校長は納得したのか、素直に話し始めてくれた。

「8時から職員室で朝の職員会議をしまして、それから午前中の授業をしました。

 その日は化学の松江先生がお子さんが熱を出したからと半休を取られて、松江先生の担当時間と私の午後の担当時間を振りかえておりまして、1限目から4限目まで、空き時間なく授業をしておりました。

 昼はいつも通りに食堂に行きまして、そのときに、隅の4人席に砂川さんがひとりでいるのを見つけました。お父様がお亡くなりになって長く忌引きされていらして、復職後初めて学校でお見かけしましたものですから気になりまして、声をかけて同席させていただきました。

 お悔やみの言葉をおかけしたら、疲れた表情でしたが笑ってお礼を言ってくださいました。そのときの砂川さんの食が進んでいないようすは気になりましたが……まさか、あの後に事件を起こすなんて……今でも信じられない思いです……」

 揃えた膝の上に重ねて置いた、校長の両手が握りしめられる。

 さて、本当に「あの後」なのか……

 そう思いながら安藤は、それで、と先を促す言葉を口にした。

「それで、被疑者はその後、どうしましたか?」

「ウエイターの有田君に食事を下げてもらって、『お先に失礼します』と席を立ちました」

「その後、校長先生はどうされましたか?」

「食事を終えて、校長室に戻りました。午後の授業時間は振替で空き時間になりましたので、校長室で事務仕事をしておりました。6限の終わる直前にパトカーのサイレンが聞こえて来まして、直後に事務室の方に警察からの電話が入りました。後は色々と対応に追われておりました」

「校長先生は、被疑者……砂川史朗を、どういう人物だと思っていましたか?」

「穏やかで、真面目で、人当たりが良くて、教養もある。生徒たちも個人的な相談をするくらいに信頼していました。

 理事長が砂川さんを連れてきたときには、大学中退という最終学歴に不安も覚えましたが、お話をしてみれば知性と理性を感じる方で、やむを得ない経済的理由での退学と聞いて納得したものです。

 それがどうしてこんなことになったのか……今でも信じられない思いです」

 おそらく意識していないのだろうが、最後にさっきと同じ言葉を繰り返している。本当にそう思っているということなのだろう。

「被害者……蒼田統さんのことは、どういう人物だと思っていましたか?」

「とても……優れた経営者です」

 目線を左下に落としながら、塀内校長は言った。

「十年程前、おじい様である蒼田総一郎理事長から理事長職を引き継いだときに、経営方針を一新する決断をしたのが理事長です。

 理事長は、当時はもっと小規模だった学校施設を二年をかけて建て替え、ホテルで教育された優秀なサービススタッフを集め、高級ホテルで提供されるのと同等のサービスを生徒の生活環境に取り入れました。それまでの、全寮制医療系専門進学校という塩手高校のコンセプトに、最高の環境という付加価値をつけたのです。

 衣食住を完全にサポートされたホテルライクな寮生活と、生徒ひとりひとりに合わせた授業と学習サポート。分数の割り算もできないところからの医学部合格。

 それまで私学助成金を受け取ってやっと赤字にならずに済んでいた当校の経営を、大幅な黒字に転じさせたのは理事長の経営手腕が大きいのです」

 塀内校長の伏し目がちな表情に、安藤は含みを感じた。

「教育機関の理事長を語るのに、まず、経営手腕からですか?」

 ぴくりと、膝の上の塀内校長の手が震えた。

「教育者として……いえ、人間としては、塀内校長は理事長をどう感じておられましたか?」

「……理事長自身、社会科の教師で、教育者でもあるわけなのですが……私個人は、教育者にしては生徒への愛情というものが……あまり感じられないように思えることも……ないわけではなく……」

 これは、ずいぶんと歯切れが悪い。

 さっきまでの毅然とした態度との差に、よほど思うところがあるのだろうと安藤は思った。

「おそらく、生徒も、教職員も、裏方スタッフも、理事長のことを悪く言う人はいないと思います。

 でも理事長は……なんと申しますか、人当たりの良い独裁者のようなところがありまして……理事長が生徒のことを話しているなど、時々、この人には生徒たちが本当に人間に見えているのだろうかと、そんな違和感を覚えることが……私には……」

 そこまで言った塀内は、はっと我に返ったように安藤に目を戻し、でも、と続けた。

「でも、峰君を個人的に援助すると言い出してからは、ずいぶんと変わったと思います。学校経営者としての損得だけであれば、峰君と彼の妹さんを養子にする必要はなかったのですから」

 被害者の養子の話が出てきた。ここは先にこちらの話を聞いておこうか。

「峰君というのは、蒼田真治さんのことですね?」

「はい。本人の希望で、校内では旧姓を通称使用しています」

 安藤の問いに、塀内は頷いた。

「そのあたりのいきさつを教えていただけませんか?」

「個人のプライバシーにもかかわることでしょう? 私の口からお話するのは、ちょっと……峰君から直接聞いていただけますか?」

「こういうことは、当事者の話だけでは信憑性を疑わざるを得ないんです。第三者から見た客観的な情報が必要なんです。ご協力をお願いします」

 安藤は頭を下げた。

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