6-2「蒼田統は、2016年の1月に離婚してるんですが、それ以来、自宅ではほとんど食事をしていなかったようです。

 

 

「蒼田統は、2016年の1月に離婚してるんですが、それ以来、自宅ではほとんど食事をしていなかったようです。2010年の4月に東京からこちらに夫婦で移り住んで以降、留守にする日と水曜日・日曜日以外は、野村侑子という家政婦が来て掃除・洗濯・炊事をしていたそうですが、離婚後に炊事は契約から外されたそうです」

 聞き込みから刑事捜査課のオフィスに帰ってきた向島が、安藤のデスク前に立ち、取り急ぎ口頭で報告する。

「ん? 事件当日も、その家政婦は自宅に行っていたのか?」

「いいえ。当日10時半頃に、『今日は来なくていい』という主旨のLIMEメッセージが家政婦紹介所と家政婦とのトークに届いたため、裏口まで来ていたのをUターンして帰ったそうです」

「LIMEメッセージって、スマホで使うSNSだよな? トーク?」

「複数でやり取りができる機能です。今回のは、紹介所と家政婦と被害者の三者だけが使えるチャットルームみたいなものです」

「家政婦本人に直接連絡したんじゃないのか? 紹介所は関係ないだろ?」

「紹介所っていっても派遣元みたいなものだそうです。契約は紹介所と交わしてて、退勤管理も紹介所がしてて、紹介所にも連絡が必要なのでそういうシステムにしているんだそうですよ。『今日』を『明日』に替えれば、文章はいつも使われている定型のもので、不自然なところはなかったそうです。

 ただ、当日急に、というのは初めてだったそうですが」

「返信とその反応は?」

「『承知いたしました』と返信したら、すぐに既読マークがついたそうです」

「10時半、ねえ……」

 椅子の背もたれに体重を預けながら、安藤は唸った。

「家政婦は口が固いです。契約内容については紹介所が教えてくれましたが、家政婦本人は『契約したお家のことを口外しないのが、家政婦というものです』のひとことで、後は貝になりました」

 向島が唇をとがらせた。

「『一番口の堅い人を』というのは被害者のオーダーだったそうですよ。死んだ人間に義理立てしても、しかたないでしょうに」

「それが仕事の信用になるんだろ。……で、被害者の食事の習慣は?」

「あ。はい」

 安藤が先を促せば、向島は自分の手帳を見ながら報告を続けた。

「泊まり出張で留守にすることも多かったそうですが、朝、昼、晩と三食、学校の食堂で生徒や教師と一緒に食べることが多かったそうです。冷蔵庫の中には酒とチーズ、冷凍庫の中には氷と冷凍食品の焼きおにぎりしか入っていませんでした」

「雨の日も風の日も出勤して職場で食事か。大変だな」

「そうでもなさそうでしたよ」

 向島は言った。

「あの学校って、校舎と寮と体育館の下に地下階があって、学校職員・スタッフ用の駐車場とか、ごみ搬出口とか、業者の搬入口とかがあるんです。その地下駐車場への入り口が、被害者の自宅の裏口のすぐ近くなんですよ。雨の日なんかは、そちらを使っていたらしいです。校舎の三階には理事長専用のユニットバス付き仮眠室もあって、そこに泊まることもあったそうです」

「そりゃあ、便利なもんだ。……当日の被害者の食事は、どうだったんだ?」

「朝食は、7時半過ぎに食堂で食べています。同じテーブルになった生徒たちと雑談をしながら、洋朝食セットを完食したそうです」

「昼は?」

「前に報告したとおりでした。食堂に姿を見せていません。

 朝食を食べ終わったら昼の定食を和洋中の三種類から選んで予約していくシステムなんですが、被害者は和定食を注文していったそうです」

「でも、昼食時間帯に食堂に来なかった……被害者には、そういうことはよくあると言ってたか?」

「初めてじゃないかと言っていました」

 被害者の胃が空っぽだったのは、昼食を食べなかったから、という線が濃厚になった。

「それで、明日以降の聞き込みの方針ですが」と向島は続けた。

「今後は、被疑者と被害者の人となり、二人の関係を探るとともに、当日の被疑者の動きだけでなく、当日の被害者の動きも明らかにすることに重点を置いて、学校とその周辺の聞き込みを続けていこうと考えます。どうでしょう?」

「うん、そんなところだな」

 自分が指示するまでもなく、指示しようとしたことを提案して来る向島に、安藤は「やるな」という思いを込めてにっと笑って頷いてやった。

 向島が自分のデスクに帰ったところで、今日は向島と一緒に塩手高校へと聞き込みに行っていた高木が、安藤のデスクにやってきた。この四月に強行犯係に異動したばかりの新人刑事だ。

「すみません、係長。事情聴取とは関係のないことなんですが、一つ気になったことがありまして」

「何だ?」

「被害者の養子、今日、授業に出ていました。確認したら、昨日も授業に出ていたそうです」

「は?!」

 安藤は素っ頓狂な声を上げてしまった。

「養父とはいえ、親が殺されたんだぞ?! それが、授業だあ?!」

「やっぱり、違和感ありますよね!」

 高木は身を乗り出すように言った。

「もしも、被害者が殺された動機が被疑者以外にあるとしたら、俺は養子の蒼田真治が怪しいと思ってるんですよ」

 高木が言うのに、安藤は片目を細めた。

「あのバカ……」と向島が自分のデスクで頭を抱える。

「根拠は?」

「蒼田真治は、義父の死を悲しんでいるように見えません。ショックを受けているようには見えますが、泣いているところを一度も見たことがないです」

「で?」

 冷やかに聞き返す安藤のようすに気付かず、高木は調子に乗って続けた。

「被害者は資産家です。配偶者も実子も存命の親兄弟もいないため、峰真治と峰華子の兄妹を養子にするまで、法定相続人は一人もいませんでした。その二人を養子にして、わずか3か月で殺されているんですよ? 怪しいじゃないですか」

 大きくため息をついてから、安藤は鼻息の荒い高木を睨みつけた。

「まず、養子が授業に出ていることに気付いて、昨日のことも調べて報告したことは褒めてやる。よく気が付いた」

 ぱっと表情を輝かせた高木に、「だがな!」と安藤は声を大きくした。

「刑事が心証だけで勝手な憶測をさえずってんじゃねえ! 2時間ドラマの刑事役がやりたいんなら、警察辞めて劇団に入りやがれ、このくそたーけ!」

 オフィスの他の人間の目が集まるのも構わず、怒鳴りつける。

「俺たち警察官は、推定無罪の現実の中で事件捜査やってんだ! どんな憶測も、物的証拠か人的証拠で裏付けられなきゃ意味がねえんだよ! 裏付け取らねえでドヤ顔で報告してんじゃねえ! 向島っ!」

「はいっ!」

 向島が椅子を蹴って立ち上がり、直立不動の姿勢を取る。

「下の教育の手え抜いてんじゃねえぞ! 報告すべき事実と、報告する価値もねえ憶測の区別くらい付けさせとけ!」

「はいっ!」

 静まりかえった刑事捜査課オフィスに、向島の返事だけが響いた。

 

 

 

 第二章へ続く

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