5-2 病院を出たら、もう14時を過ぎていた。


 

 病院を出たら、もう14時を過ぎていた。

 食事をさせるために砂川青年を留置場に戻して、富田と二人、刑事捜査課のオフィスで遅くなった昼食を食べる。

 1食500円の仕出し弁当は、実は留置場で出されるのと同じおかずだ。違いは、署員向けは白飯、留置場向けは麦が3割入った麦飯というだけだ。

 飯とおかずを休みなく交互に口に詰め込んで、安藤は5分と少しで弁当を食べ終えた。

「早飯早糞、芸のうち」という言葉があるが、いつ事件が起きて出動するかわからない警察官には必須のスキルだ。食事に時間をかけているうちに出動がかかって、すきっ腹で力が出なくて犯人を取り逃したなど、言い訳にもならない。警察学校時代に叩き込まれる。

 さっさと弁当を食べ終えた安藤は、自分のデスクのパソコンで、昨夜のうちに現場班から上がってきた報告書を再チェックした。

 

 事件直後、現場に近い人間、被害者、被疑者に近い人間の事情聴取は、突然の事件に動揺して要領を得ない内容になっていることが多い。

 その動揺している人の語るとりとめのない話からポイントを捉え、誘導にならないように気をつけながら質問をしてさらなる情報を引き出す。なかなか難しいことだ。

 その点、向島は現場の係員を上手く使っていると安藤は思う。被疑者や被害者の人物像など、後からでも聞ける情報はさらっと聞くだけに留め、事件当日の、被疑者や被害者の目撃情報を重点的に集めている。記憶が新鮮なうちに目撃情報を引き出せば細かいところまで思い出せるし、後日詳しく証言を取る時も一度聞かれていることだけに思い出しやすい。

 11日、事件当日の朝、学校の食堂で朝食をとる被害者を見かけた人物は多い。被害者の養子の蒼田真治も、食堂で見かけたと言っている。

 仮にも子供なのに「学校の食堂で見かけた」と他人のように言う表現が気になって養子に対する聞き込みの報告書を読み込んでみれば、被害者は自宅に住み、塩手高校3年生の真治は寮に住んでいるので、被害者と顔を合わせるのは学校や寮の自習室でだけなのだそうだ。

 報告書には、特記事項として「通称:峰真治」と書かれていた。「他の生徒が動揺する可能性を考えて、被害者と養子縁組をしたことは内密にしていたとのこと」と付記されている。

 このあたりは、思ったよりも事情がややこしそうだ。やはり、一度自分で事情聴取をしたい。

 朝食後の被害者は、今日はホテル関係の仕事をするからと自宅に戻ったと、学校の事務員が話している。その後、被害者の姿を見たという人物はいない。

 マウスを操作し、安藤は他の報告書を表示した。

 11日、事件当日に被疑者を見かけた人物も多い。

 食事は、男子寮の蛍窓寮と女子寮の雪案寮、両方の寮生とそれぞれの寮監が、三食同じ食堂で取ることになっているそうだ。昼や夜は、教師も一緒。当日朝のように、被害者の理事長が、一緒に食べることも多かったらしい。

 寮生と教師のほとんど、女子寮の寮監、食堂の従業員たちが、当日に食堂に来た砂川史朗を見かけている。

 朝食も昼食も、砂川青年は食堂で食事を摂っていたと、寮生たちは証言している。

 朝食時間には理事長も同じ食堂にいたが、席も離れていたし二人が互いに意識しているようすは誰も感じていなかったらしい。

 昼食時間に勤務していた食堂のウエイターのひとりは、砂川青年が昼食を味噌汁以外ほとんど手を着けずに、「すみません」と謝ってトレーを下げてくれと頼んだと語っていた。腹具合でも悪いのだろうかと思ったそうだ。

 報告書を一通り見直した安藤は、唇をへの字にして唸った。

 情報が少な過ぎる。砂川青年本人以外の証言では、当日の砂川青年の行動が、まだ点でしか見えてこない。

 砂川青年の供述と周りの目撃証言が一致してこそ、その供述が裏付けられたと言えるのだ。裏付けの無い供述など、被疑者に有利なものも不利なものも、等しく役に立たない。

 ともあれ、今はまだ素材集めの最初の最初だ。

 捜査するこちらにも、誰に何を聞けばいいのかがわからないほどに、事件の形が見えていない。

 情報が欲しい。

 とにかく情報が欲しい。

 

 刑事捜査課のオフィスのドアをノックする音。

「すみません。砂川史朗の具合についてお伺いしたいのですが」

 落ち着いた声。

 情報源が来た。

「これは神尾さん。よろしければこちらへどうぞ」

 安藤は立ち上がり、オフィスの隅に置かれた応接セットへと神尾を誘った。

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