4-2 弁護士の接見は、普通であれば留置場の手前に作られている接見室で、警察官の立会無しで行われる。
弁護士の接見は、普通であれば留置場の手前に作られている接見室で、警察官の立会無しで行われる。
ドラマなどでよく見る、穴の開いたアクリル板で隔たれた、ああいう部屋だ。
ただ、今回は「被疑者の口から接見は不要であることを弁護士に伝える」だけなので、わざわざ接見室にまで移動することもないだろうということになった。
ノックの音がして、「お連れしました」と太田の声が聞こえる。
安藤が取調室の扉を開けると、スーツ姿の長身の男性がそこに立っていた。年齢は五十絡みというところか。ぱりっとすらっと着こなした高そうなスーツの襟には、にぶい銀色の丸いバッジ。ヒマワリの花に天秤をあしらった、弁護士バッジだ。
目が合って、猛禽類にも似た印象の険しい目つきに、反射的に睨み返す。舐められたらおしまいの刑事の条件反射だ。
安藤の睨みにことさら対抗する気配もなく、神尾は軽く目礼をした。
「弁護士の神尾尚志です。砂川史朗への接見を求めます」
どうやら、敵対心から睨まれたわけではなかったようだ。
自分が紹介したために出会った二人が、殺人事件の被疑者と被害者になったのだ。一般人でも責任を感じてしまう状況だ、弁護士ならなおさらだろう。
目つきが険しくなるのも仕方がないってもんか。
安藤はそう納得して、体を引いて神尾のために道を開けた。
「史朗君」と被疑者の名前を呼びながら、神尾は取調室に入って来た。
「帰って下さい。弁護人は必要ありません」
挨拶もせずに、にべもなく砂川青年は言った。その顔はすっかり血の気が引いていた。唇が白っぽく見えるほどだ。
神尾はその言葉に返事はせず、安藤を振り向いた。
「警察官の監視の元では、被疑者が自由意思で発言していない可能性があります。警察官の立会いのない状況で、もう一度、被疑者の発言を確認させていただきたいです」
砂川青年に目をやれば、青白い顔で頷いた。
富田と二人、取調室を出てドアの前に立つ。
取調室の窓はがっちりと鉄格子でガードされているので、ドアさえ押さえれば逃亡は防げるのだ。
「安藤係長」
富田が話しかけてきた。
「被疑者、具合悪そうでしたが、大丈夫でしょうか?」
「警務から、なんか聞いているか?」
「昨夜も今朝も、食事は味噌汁とお茶以外、ほとんど手を着けなかったと聞いています」
ストレスで食欲がなくなる被疑者は珍しくない。
だが……
「そんなタマにゃ見えねえがなあ……」
安藤はつぶやいた。
むしろ、取り調べから逃れるために、自分の体調を悪化させようとしている可能性の方が高くないだろうか?
健康な若い男だ、二食抜いたところでそこまで具合が悪くなるとは思えないが、逮捕前から絶食が続いていた場合、ここで限界を超えて具合が悪くなることはあり得る。
「まあ、倒れようが何しようが、こちらは必要な取り調べはするし、それで追及の手を緩めることもないけどな」
けれど、面倒くさいことになるのも確かだ。
警察というのはなんのかんのいっても役所のひとつだ。被疑者を病院に連れていくだけでも書類が必要で、それを作るひと手間というのがかかるのだ。
そんなことを思っていたときだ。
「帰って……」
ガシャッという金属音とともに砂川青年の声が聞こえたかと思ったら、さらにガシャンと大きな金属音と、どたんと重い音が響いた。
「史朗君?!」と被疑者の名前を呼ぶ神尾の声を聞きながら、安藤は慌てて取調室に飛び込んだ。
砂川青年は、取調室の床にパイプ椅子ごと横倒しになってぐったりしていた。
接見を終わらせるために立ち上がって大声を上げようとした被疑者が、パイプ椅子に腰縄を結び付けられているせいで上手く立ち上がれず、椅子と一緒に横倒しに倒れてしまったらしい。
しかし、ただコケたにしては、ようすがおかしい。意識がないようだ。
「史朗君! 史朗君!」
「大丈夫か?! おい!!」
頭を打っていたら、うかつに体を動かさない方がいい。神尾弁護士と共に耳元で大きな声をかけたら、砂川青年はすぐに意識を取り戻した。
頭を痛がるそぶりはないが、顔色は真っ白で不自然な汗もかいている。
「大丈夫です」と砂川青年は主張したが、ここまで血の気のない顔で言われては鵜呑みにはできない。
被疑者が健康を損なうのを看過することはできないと説得して、留置場で休ませ、警察医を呼ぶことになったのだった。
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