第4節
4ー1 5月12日、安藤は10時から取り調べを始めた。
5月12日、安藤は10時から取り調べを始めた。
手錠と腰縄をつけられて留置場から取調室に連れてこられた砂川青年は、襟の少しよれたTシャツに、チェックのネルシャツと逮捕された時と同じ作業服のブルゾン、チノパンを着ていた。
「自首するのに乗って来た車にバッグにまとめた着替えを準備しているので、取ってきてほしい」と頼まれたのだと警務の担当に聞いた。ご丁寧なことだ。
手錠を外されてパイプ椅子を勧められると、砂川青年はうつむきながらとてもゆっくりとした仕草でそれに座った。
警務課の制服警官が、腰縄をパイプ椅子に結びつける。逃亡防止のためにこうすることになっているのだ。
警務課員が出て行ったところで「眠れましたか?」と声をかけると、砂川青年は顔を上げて笑って見せた。
「神経が高ぶっていたのか、なかなか寝付けなくて……あまり眠れませんでした」
笑顔ではあるが、顔色がひどく悪い。血の気が引いた顔が、やたらと白く見える。
「寒くはなかったですか?」
「はい。エアコンが効いてたので大丈夫でした」
あまり大丈夫そうに見えないようすで言われると、不安になる。
「具合が悪ければ、医者に診てもらうこともできますから、遠慮なく言ってください。後で、『具合が悪いのに取り調べを続けられて、自白を強要された』とか言われても困るんで」
「今更そんなことは言いませんよ」
砂川青年は苦笑した。
ともあれ、取調べだ。
事件の事実関係を確認し、動機につながる被害者との関係を、探っていかなければならない。
「被害者と初めて会ったのはいつですか?」
安藤はそんな質問から始めた。
取り調べを始めてから30分ほど経った頃だった。
取調室のドアがノックされた。
現場捜査に出ている向島の方に何かがあったら、電話で直接指示を仰ぐはずだ。
県警本部から、何か言ってきたのだろうか?
そんなことを考えながら「はい」と返事をしたら、「失礼します」と刑事捜査課事務職員の太田絹代がドアを開けた。
「安藤さん。弁護士さんが被疑者への接見を申請してきました」
「え?」
思わず声を上げながら、安藤は砂川青年を振り向いた。
「留置場で、弁護士を呼びましたか?」
「いいえ。私は呼んでいません」
砂川青年も怪訝そうな顔をしている。
「なんだ? 押し売り弁護士か?」
弁護士の方から逮捕された刑事事件の被疑者に「弁護士は必要ありませんか?」とアピールしにくるケースが時折りあるとは聞いているが、そんなのは都会だけの話だと安藤は思っていた。
「どうしますか? 会いますか?」
「いいえ、必要ありません」
砂川青年はキッパリと言う。
「だそうだ。被疑者が接見を拒否していると伝えて、帰ってもらえ」
安藤が言うと、太田は少し困ったように、それが、と言った。
「それが、もし断られたら、名前を出してもう一度聞いてくれと言われてます」
「名前だあ?」
「えーと、『かみお、なおし』だそうです」
手に持った名刺を、太田は読み上げた。
聞き覚えのある名前に、安藤は砂川青年を振り向いた。顔色の悪かった砂川青年の顔が、さらに青ざめて見えた。
「接見の必要はありません。帰ってもらってください」
感情の見えない声。
「いいんですか?」
「かまいません」
安藤の問いに、きっぱりとそう答える。
「だそうだ。被疑者本人が拒否しているんだから、俺たちにはどうにもできない。そう言って引き取ってもらえ」
「はい」と返事をして去った太田は、しかし、取り調べを再開して10分も経たないうちに戻ってきた。
「『被疑者本人から接見拒否する言葉を聞かなければ帰れない』だそうです」
「あー」
安藤は頭を掻いた。
「確かに、こっちが接見させないようにしてるのと、本人が拒否しているの、外からじゃあ区別がつかないもんなあ」
「すみません」と安藤は砂川青年を振り向いた。
「一度接見して、あなたの口から直接断っていただけますか?」
「……わかりました」
いかにも渋々と、砂川青年は同意した。
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