第9節
9ー1 ホールの遺族控室は、まるで気の利いたホテルのような作りだった。
ホールの遺族控室は、まるで気の利いたホテルのような作りだった。広い引き戸の玄関で靴を脱いで上がると真っ直ぐ廊下があり、右手に二間続きの和室がある。和室の端には玄関とドア一枚で繋がる土間があり、そこにストレッチャーに乗せられた被害者の眠る棺が安置されている。
和室の向かいには広い洗面所がある。奥の曇りガラスの扉は風呂場だろう。洗面所の隣にはトイレらしい扉もある。
廊下の突き当りには、大きな画面のテレビが置かれたリビングダイニングキッチンがあり、電子レンジや冷蔵庫まで備え付けられている。
これで線香の匂いがしていなければ、どこぞのコンドミニアムと言われても信じるだろう。
あまりに豪華なので、思わずきょろきょろしていたら、蒼田真治少年はコンビニの袋を手に「まるでホテルですよね」と笑った。
「母の葬儀も父の葬儀もここでしたんですけど、快適でありがたいです。リビングの奥に、ツインのベッドルームもあるんですよ。母の時には、妹とその部屋で寝ました」
慣れたようすで冷蔵庫に明日の朝食用にと買っていた、おにぎり3個とホウレンソウの胡麻和えを入れる。
冷蔵庫を閉めると、残りの弁当をキッチンの調理台に置き、「温かいお茶、淹れますけど、いかがですか?」と聞いてくる。
「あ。これも、公務中はダメですか?」
「いや。いただいても大丈夫だよ。ありがとう」
缶ジュース、ペットボトルのお茶はNGだが、淹れてもらったお茶はギリギリセーフというのが内規だ。
安藤は自分も買ってきたコンビニ弁当の袋を手に、なんだか変なことになっているなと思った。
線香の匂いの中、湯のみのお茶を出されて、奇妙な晩餐は始まった。
レンジで温めたロースカツ丼とクリームデニッシュと根菜とひじきのサラダを前に、詰襟と第一ボタンを外した学生服の少年は「いただきます」と箸を手に取った。
自分で買った牛すき煮と紅鮭幕の内弁当を前に、向かいの席で安藤も「いただきます」と箸に手を伸ばした。
あたためを断った弁当は、ひんやりと冷えた白飯が中高生の頃に母親が毎日作ってくれた弁当を思い出させる。
弁当は、冷えても美味しいのが本来の姿だと安藤は思う。ほか弁や最近コンビニでよく見るレンジ加熱必須のチルド弁当を思い出し、「やっぱりあれは弁当としては邪道だな」と安藤はひとり、胸の中でそう納得する。
ちらと目をやったら、その邪道弁当――チルドタイプのカツ丼弁当のスチロール容器を左手に持った少年が、大きな口を開けたところだった。箸で持ち上げた卵の絡んだカツのひと切れをがぶりと半分に噛み切り、ひとしきり咀嚼して飲み込むと、タレのしみたご飯を箸で大きくとってほおばり、それもあっという間に飲み込んで残りの半切れのカツを口の中に放り込む。
なかなかの勢いの食べっぷりだ。
「通夜の席では、あまり食べなかったのかな?」
「いろんな人に挨拶しているうちに時間になっちゃって……食中毒防止のために、出した料理は会場外への持ち出し不可なんですよ。たくさん余ってたのに、もったいなかったなあ……」
スチロールの丼を置いて、少年はサラダの器に手を伸ばした。細切りの根菜とキュウリとひじきをマヨネーズで和えたサラダをふた口食べて、あらためてカツ丼を手に取る。
すぐにまたかぶりつくかと思ったら、少年は手の中のカツ丼を見下ろして、ああ、と声を漏らした。
「ああ、でも、久しぶりだな、コンビニ弁当」
眩しい物を見るように、目を細める。
「学校だと、朝、昼、晩に3時のお茶も食堂なんです。メニューも豊富だし、アレルギーはもちろん、好き嫌いにも対応してくれるし、美味しいのは美味しいんですけど、たまにこういうもの食べたくなるんですよ。学校の同級生には、全然理解してもらえないんですけどね……」
「土日も、学食なのかい?」
「はい。365日1日4食、学食で食べられるんです。金曜日の夕食なんか、フルコースのフランス料理ですよ? 最初の時は、いっぱい並んだフォークとナイフのどれを使えばいいかわからなくて、他の人を見て真似しましたよ」
「いやあ、話を聞けば聞くほど、とんでもない学校だね」
「でしょう?!」
少年は顔を上げた。
「うちの学校、普通に入ったら、1年間でいくらかかるか知ってますか?」
「いや……高そうだとは思ってるけど……」
「なんと、三千万ですよ、三千万!」
「さん……!?」
安藤の想像と桁が違った。
「本当だったらタクシー運転手の息子の俺なんか、絶対に縁のない学校なんですよ」
少年はため息をついて、でも口元に笑みを浮かべた。
「でも、勉強をする環境としては最高です。先生は教え方がわかりやすいです。授業は少人数なので、わからないことをすぐ聞けます。放課後学習や夜学では、個別に勉強を見てくれます。課題以外の自分でやっている勉強でわからないところがあっても、質問すればちゃんと答えてくれます。
やるきがあればあるだけ、先生方が助けてくれる学校なんです。
特待生の募集が始まったのが、俺が中学三年の時で、本当に良かったです」
そう言って少年は、ふたたびカツに齧りついた。
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