第4話 ノックの音がした>透明な訪問者
ノックの音がした。
ここは工学科の院生用大部屋。今も、十名ほどの人がいる。
が、誰も応じようとしない。
仕方なく僕が立ち上がったのは、音が気になったし、ドアに一番近かったし、入学したばかりの僕は部屋の中で最も若いから、という理由もある。
「はい」と言いながらドアを開けてみると、その向こうには誰もいなかった。
左右に顔を振って、白く長い廊下を見通したものの、人影はなかった。
首を傾げつつ、室内を振り返り、諸先輩方に尋ねてみる。
「あのお」
先輩達は勉強なり雑談なりに打ち込んでいたが、僕の声は割に通るらしく、ほとんどの人が顔を向けてきた。
「さっき、ノックの音がしましたよね?」
「うん? 知らんなあ」
近くの先輩が答える。他の人も同じだ。
「そうでしたか? おかしいな」
「寝ぼけたらいかんよ」
などと冗談混じりにくさされた。笑いが起きる中、僕は頭をかきながら席に着いたが、合点が行ったわけではなかった。
一回限りで終わっていたのなら、忘れていただろう。
だが、主のないノックは、何度も繰り返された。
もちろん、本当に人が尋ねてきてる場合もあったが、影さえ見当たらないケースが少なくない。
それにも増して不可解なのは、僕以外、誰もノック音を耳にしていないこと。
先輩達に聞いても、「知らない」「聞いてない」という返事ばかり。
ならばと、僕はテープレコーダーを密かに持ち込み、録音してやった。
下宿に戻って再生してみると、間違いなく、ノックの音が録れていたのだ。
僕は勇躍、録った音を親しい先輩に聞いてもらったが、「どこで録音したか、分からないじゃないか」とか何とか言われ、曖昧な返事しかもらえなかった。
そのあまりにすげない態度から、僕は推論を重ね、可能性を導き出した。
先輩全員がぐるになって、僕をからかっているのではないか。
ノックをしているのは、小さなロボット……いや、単純なリモコンで充分だろう。ドアの上方か、壁の高い位置にマシンを固定し、室内にいる誰かが操作することで、ノックの音が出る。
推論の正しさを証明するべく、僕はチャンスを待った。はっきりさせない内は、勉強に手が着かない。
そして二日後。
ノック音がするや、僕は弾かれるようにして立ち、ドアを開けた。
誰もいないことを確認すると、ドアを振り返る。
「……ふふふふふ」
思わず、笑みがこぼれるが、止められない。やった。見つけたぞ。
僕は勝ち誇った表情になっていただろう。そのとき部屋にいた先輩全員を呼びつけ、無言で、ドア上方に固定された超小型ユンボのような機械を指差した。
先輩達は皆、苦笑いを浮かべて、僕に謝ってきた。
こうやって、伝統的に、新入りをからかうのだそうだ。
加えて、何とも腹立たしいことに、何日目に僕が気付くかというトトカルチョも行われていたらしい。全く、人が悪い。
まあ、いいや。やっと疑問が解けて、勉強に打ち込める。
来年は、僕もトトカルチョに一口、乗せてもらおう。
ノックの音がした。
僕は何の気なしに立ち上がり、ドアを押し開けた。
誰もいない。
何だ何だ? もう終わったはずだ。訝りながら、先輩達に文句を言う。
「え? 知らないぜ」
「機械なら、ほれ、ここにあるぞ」
“ノックマシン”制作者の人が、机の片隅にある機械を指差した。
僕は馬鹿みたいに口を大きく開け、それでもドアを調べるのを忘れない。廊下側に取って返し、長方形の金属版を、ためつすがめつ、穴が開くほど見つめた。さらに、表面を触ってみたが、仕掛けは見つからない。
「……すみません。空耳だったみたいです」
うなだれがちに謝る僕へ、先輩達は優しく言ってくれた。
「幻聴かい? 俺達のいたずらのせいで、ノイローゼになったんじゃないだろうな。頼むから、しっかりしてくれよ」
耳がおかしくなってしまったのか。
いや、もしかすると、おかしくなったのは、頭の方かも。
いつまでも幻聴が聞こえる。先輩達のいたずらは、もう終わったはずなのに。
あのノックの音は、僕の身体に直接響いてくるみたいだ。今では、“透明人間のノック”を、普通のノックと聞き分けることができる。
あの忌まわしきノックを聞きつけるや否や、自分の胸は苦しく締め付けられ、動悸が激しくさえなる。心臓に悪い。
ここしばらく、大学に行っていない。
しかし、透明人間みたいなやつは、僕を追っかけてきてるんだ。下宿にいるときも、ノックを聞く。真夜中、眠っていると、こつこつ、こつこつと聞こえて来るんだ。
恐い。もう聞きたくない。
* *
「教授、やりすぎましたね」
「うむ。こんな結果になるとは、彼には気の毒なことをした」
「それだけですか?」
「……君ぃ、どうしろと言うのだね?」
「人が一人、死んだんですよ。実験を中止して、全てを」
「冗談はよしたまえ。そんなことをすれば、身の破滅だ。私も、君もね」
「しかし」
「君は院生とは言え、私の共同研究者だ。彼の椅子の背もたれにスピーカーを仕込み、ノックの音を聞かせるアイディアは、君が出し、実行した。忘れるな」
「し、しかし、人間工学の実験として、僕らのやってるいたずらを元に、心理的プレッシャーをかけ続ければ、ターゲットがどうなるかを調べてみたいという、アウトラインを示したのは教授――」
「そうだよ。だから何だと言うのだね。何も、君一人に責任を押し付けようなんて気は、さらさらない。私と君の責任だ。我々が口を閉ざせば、誰も真相は分かるまい。自分がかわいいだろう?」
「……」
「さあ、早く椅子を取り換えてきたまえ。あれさえ処分すれば」
二人の会話の途中、ドアが鳴った。
こんこん――。
―終.
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