時空超常奇譚3其ノ七. OTHERSⅢ/最後の聖戦

銀河自衛隊《ヒロカワマモル》

時空超常奇譚3其ノ七. OTHERSⅢ/最後の聖戦

OTHERSⅢ/最後の聖戦

 ◇

 雨の中で、冬の匂いが踊るように鼻先を掠めていった。その直後、突然と一面鼠色のカーテンで埋め尽くされた早朝の東京上空に激しい雷光が見え、空の一部が縦に割れて、漆黒の闇の中から眩しい金色の光に包まれた巨大な物体が顔を出した。それは無機質で金属的な船のように見えた。

「マルゴ、お前で終わらせろ」

「わかってる」

 ◇

 東池袋駅から程近い国立新東京大学キャンパスに、いつものように非公認サークル超々常現象研究会の部室へ向かう名ばかりの代表、七瀬奈那美の姿があった。

 季節はあっという間に冬の様相を呈し、今日は朝から雨が降り続いている。天気のせいなのか、悪寒がする。

「何かな、変に嫌な予感がする」

 殆ど予言に近い七瀬の呟きは、比較的良く当たる。外は台風でもないのに激しい雨粒が地面を叩き、雨雲が立ち込めて辺りは薄暗い。何か起こりそうな、そんな根拠のない予感がそこら中に溢れている。

 部室のある別館の入口前まで来ると、一人の男子学生が立っていた。隣のラグビー同好会の一年生だ。

「姉御、オハヨウッス」

 数ヶ月前にラグビー同好会で起きた『目玉の化け物事件』を解決して以来、七瀬は一目措かれている。

「おぅ、今日は随分早いな」

「昨日の夜から朝まで飲み会だったっス、これから朝一の講義に出るッスよ」

「へぇ、感心だな。頑張れよ」

「ウッス、ゲロ吐きそうッス」

 頭は筋肉だが感心だ。こういうヤツがきっと社会に出てから出世するに違いない。そう思いながら、いつものように超々常現象研究会の部室のある地階へと降りていく。途中、階段の踊場で奇妙な子供とすれ違った。大学のキャンパスに子供がいる事自体、何か不自然ではある。

「アンタが『光のマザー』か?」

 七瀬は怪訝な顔をしながらも、無視を決め込んだ。子供の姿はしてはいるのだが、その出で立ちには相当な違和感がある。ぎだらけのボロ着物に半纏姿の子供など、今時日本中どこを探してもいないだろう。それに、人ではない臭いがする。

「おいアンタ、ナナセナナミって言うんだろ?」

 七瀬は無言のままその場を通り過ぎ、目の前の子供の存在を否定した。正体不明のその子供が何者かはわからないが、見ず知らずの他人にいきなり話し掛けられるのは好きではない。しかも呼び捨てにされるのは何よりも苦手だ。例え相手が子供だろうと、嫌なものは嫌だ。何事もなかった顔で立ち去る七瀬を、正体不明の子供は執拗に呼び止める。その軽い調子に、小さな殺気が纏い付いている。

「待てよ、そんなに怖い顔しなくてもいいだろよ」

「煩い」

 七瀬は振り向き様に、持っていたビニール傘を力任せに投げつけた。ビニール傘は風を切り、槍のように奇妙な子供に向かって真っ直ぐに飛んだ。だが、傘は子供の周りに漂う白い煙の中で時を止めたように停止した。

「お前、人間じゃないな?」

「そうだよ。オラはマルゴ、β宇宙から来た妖魔人だ」

「β宇宙、妖魔人って何だ?」

「オラは、ある人の指令でアンタをる為に来たんだ」

 子供が随分と物騒な事をさらりと言うものだが、七瀬には狙われる心当たりはない。思わず笑いが込み上げて来る。

「私を殺しに来たなんて随分と間抜けな話だな。どんな目的かは知らないけど、私なんか殺ったところで何がどうなるって言うんだ?」

 自らを妖魔人と名乗る子供が即答した。

「どうなるのかなんて知ったこっちゃない。オラは役目を全うするだけさ」

 そう言った子供の姿がユラユと揺れている。何が何やら要領を得ないが、兎も角も面識のない子供姿の妖怪だか妖魔だかの輩が殺意を抱いているようだ。

 数か月前の『目玉の化け物事件』に現れた妖怪座敷童子、そして案内されて行った物ノ怪世界の妖怪に似ているような気がするから、きっとヤツ等と同類なのだろう。確か、物ノ怪世界はπ宇宙のオニガホシとかいう星の異星人だった筈なのだが、如何せんそれが現実だったのか泡沫うたかたの夢だったのかはっきりしない。何にしても、刺客を送られる覚えなど更々ない。

 正体不明の子供は、次第に白髭に青い衣を纏う老人に姿を変えた。

「一瞬で終わらせてやるよ」

 老人に変身した子供妖怪は、独り言を呟き印を結び、右手人差し指で天を突いた。

「何だ?」

 七瀬は小首を傾げ、天空に視線を遣った。黒い小さな点束が見える。

「あれは何だ、雨粒ではないな?」

「これでアンタは終わりだ。オラの時穴ジケツは、この世の全ての武器を吐き出す」

 天空から舞い落ちる点粒は、俄かに無数の槍に変形した。鋭く尖った矢先の雨が地上に降り注ぎ、槍は躊躇する事もなく七瀬の身体を縦に串刺しにする。

「何だ、くだらない攻撃だな」

 そう言った七瀬奈那美の全身は瞬時にオレンジ色の光に包まれ、串刺しにするべく落下した槍を弾き飛ばした。と同時に淡い緋色に変異した七瀬の身体が次第に透過し、姿を消した。

「あれれれ。どこだ、どこへ消えた?」

 完全に姿を消した七瀬が、突然の状況に驚く妖怪に言った。

「残念だな。私は、飛び抜けて優秀な超能力者なんだよ。だから、お前なんかに負ける事はない」

 姿の見えない七瀬の声が響く。

「どこだ、どこにいるんだ?」

 七瀬奈那美は超能力者ではないが、生まれながらにオレンジ色の絶対防御の力を持っている。いや、持っているというよりも、物心ついた時からその力に包まれ続けていると言った方が的確だ。そのオレンジの力は意識を持ち、自身の意思とは必ずしも合致しないが反目する事はない。かなり頼もしい力ではあるものの、中々に気紛れで思い通りの制御は難しい。尤も、制御しようなどと思った事は一度もないし、そもそもその力にどんな意味があるのか、七瀬本人も知らない。

 七瀬が姿を隠したまま青衣の妖怪に告げる。

「戦いの基本は相手を知る事だ。視覚、聴覚、全ての感覚で相手を捉える事で勝機が見出せる。即ち、勝つ為には相手の感覚を奪う事が重要だ。今、お前には私の姿は見えないだろうが、私はお前の姿を確実に捉えている。さぁ、どうする?」

「ん、ん、ん、そうなのか?そうか、それじゃ駄目だな。相手の見えない勝負に勝つなどあり得ない。オラの負けだ」

 悪役の妖怪にしては随分潔い。青衣の妖怪が再び子供の姿に戻った。

「強いとは聞いていたけど、アンタやっぱり強いな。オラの敗けだ、煮るなと焼くなと好きにしていいよ」

 呆れるしかない。いきなり殺しに来たと言ったかと思えば、今度は煮ても焼いても良いと言う。

「妖怪なんて煮ても焼いても美味くはないだろう。それより、お前は今から私の下僕しもべだ、忘れるなよ」

「うぅぅぅ、わかった。アンタの下僕しもべになってやる」

「為らば訊く。お前の依頼者は誰だ?」

「うぅぅ、それは言えない」

 子供妖怪マルゴは、七瀬の質問の度に唸り声を上げて口をつぐんだ。

「まぁ、いい。じゃぁ、お前が私を狙う理由は何だ?」

 マルゴが不思議そうに首を傾げた。

「アンタ、己が何者かを知らないのか?」

「物ノ怪世界とかいう奇妙な世界で、長老だという爺さんから、光の神の力を持つ『光護崇高神』だの『光のマザー』だのと言われたが、何の事やら良くはわからない。お前はその意味を知っていて私を狙ったのだろう?」

「オラも良くは知らないが、アンタは神の使いらしい。そしてオラ達妖魔族を滅亡させるんだそうだ」

「ワタシがお前達を滅亡させるとは、どういう事だ?」

 言われる内容に合点がいかない。

「オラ達妖魔人はβ宇宙に生きていて、別の宇宙からやって来た『赤い悪魔』の侵略を受けている。アンタのせいでオラ達の世界が潰れるらしいんだ。だから、アンタを殺らなければならないんだよ」

「今度は『赤い悪魔』か。別の宇宙からやって来た赤い悪魔の侵略と私に何の関係があるって言うんだ?」

 数ヶ月前の『目玉の化け物事件』で座敷童子に連れられて物ノ怪世界に行って、『赤い悪魔』でなく「赤い神」と戦って叩き潰した。その夢はそれでは終わらず、「赤い神」にマインドコントロールされた物ノ怪妖怪の鬼が人間の世界に攻め込んで来て、再び戦ったが時空間が壊れて再生されたのだ。尤も、実はその話のどこまでが現実なのか良くわからない。もしかしたら、これは更にその夢の続きなのではないかとも思うのだが、判断する材料がない。

「何が何だか良くわからない。お前の言う宇宙の『赤い悪魔』とワタシに何の関係があるのかを説明しろ」

「オラはそんな細かい事は知らない。それよりも、アンタを狙う者はオラだけじゃない。他に二人いる」

 幾ら聞いても事情はさっぱりわからず、雲を掴むような話だ。街でチンピラに絡まれているのと大差はない。本人が言うのだから、この子供が刺客、殺し屋である事も、そしてその殺し屋が他に二人いるのだと言う事も嘘ではないのだろう。

「オラは戦闘型妖魔族戦士マルゴ。オラの力は『時穴』というワームホールで、どんな物質も出現させる事が出来る。他の二人はオラの兄弟子で、中兄シガクは『黒穴』というブラックホールの力を持っていて全ての物質を吸い込む。捕獲された者は永遠にそこから脱出する事は出来ない。長兄ザカクはこの宇宙至極の力である『黒滅』という反物質を操る事が出来る。兄二人の力はどちらもオラよりも強力だ、気を引き締めて掛かれよ」

 下僕しもべとなった子供妖魔族マルゴは、訊いてもいない事を一通り説明すると、他人事のようにどこかへと姿を消そうとした。

「どこへ行くんだ、下僕として私を守って戦うんじゃないのか?」

「何故?」

 マルゴは、無邪気なドングリ眼で七瀬を見つめながら首を傾げた。

「下僕だからに決まってるだろ?」

 マルゴの首が傾いたまま戻らない。

「アンタとオラの考え方には、かなりのズレがあるみたいだ。確かに下僕になるとは言ったが、それはまずアンタが兄弟子達と戦ってからの話だ。アンタが兄弟子達に勝てる確率は1パーセントもない。だから、オラがアンタの下僕になる可能性も同等にない。それに、オラが兄弟子達と戦う理由は未来永劫存在しない」

「なる程」

 マルゴの屁理屈は一応筋が通っている。

「もしも、兄弟子達と戦ってアンタが生きていたら、まぁそんな事はないだろうが、本気で下に就くよ」

 そう言って、妖魔人戦士マルゴは消えた。どうやらこれから別の殺し屋二人が戦いを挑んでくるらしい。しかも、何やら特殊な能力を持っていると言う。マルゴの言う通り、そんな化け物のような輩に七瀬が勝てる確率など1パーセントもないだろう。

 ◇

 七瀬は「面倒臭いな」と独り言を呟きながら顔を歪ませた。戦う理由がさっぱりわからないし、そもそも戦いたいなどと思う事もない。只管に面倒臭いが、どうしても来ると言うのならとっとと早く来い。そう思った矢先に天空から声がした。

「おい、手前てめぇが『光のマザー』とか言うヤツだよな?」

 唐突で粗野な物言いが鼻につく。七瀬は一瞬で顔を曇らせた。マルゴもそうだったが、礼儀もへったくれもない。街で舌打ちされたような嫌な気分だ。

「だったら、何か用か?」

「弟マルゴに勝ったくらいでいい気になるな。オレの名はシガク、妖魔界最強の戦士だ。俺の黒穴に勝てる者はこの世に存在しない」

 いい気になどなった覚えはない。呆れるばかりだ。アニメで良く見る自称最強戦士のザコキャラ登場だ。

「お前もあの小僧と同じように「お前を殺す」とか訳のわからない戯れ言を言いに来たのか?」

「いつまでそんな虚勢を張っていられるかな」

 七瀬の眉がへの字に曲がっていく。 

「虚勢など張っていない。お前等は一体何者で、依頼者は誰なんだ?」

「煩い。宇宙最強戦士のこのオレに潰される事を光栄に思え」

 妖怪のくせに良く喋る。

「まぁ、そんな事はどうでもいいけど、自分を最強と言う輩に最強はいないぞ」

「口だけは達者だな。だが、手前ぇは宇宙最強妖魔戦士の俺には勝てない。何故なら、俺の黒穴は全てを吸い尽くす宇宙最強の武器だからだ」

 突然現れたマルゴの兄弟子シガクと名乗る妖怪は、赤衣に身を包み、最強、最強と意味もなく叫んでいる。何やら鬱陶しい。

「お前の黒穴とやらはブラックホールらしいな。お前のブラックホールがどれ程かは知らないが、何でも欲しいものを好きなだけ吸い込めばいいじゃないか。いっその事、この地球ごと吸い込んで全て終わりにしたらどうだ?」

 短絡的な七瀬の提案に、赤衣の妖怪シガクは顔を真っ赤にして怒り出した。案外と単純だ。

「何だと、俺の黒穴はそんな悪食あくじきみたいなものじゃない。崇高なる力だぞ」

 赤衣の妖怪は、建て替えの為に閉鎖されている旧校舎を指差した。旧校舎建物の壁面に、どういう意味かわからない小さな赤く光る十字の印が見える。誰かのイタズラなのか、こんな印はなかった筈だ。いや、悪戯書きではなさそうだ。十字が微妙に動いている。

 時空間に何か奇妙な感じがする。赤衣の妖怪の右手が動く度に空気のすれる音がする。音は徐々に大きくなって、更に右手が動くと同時に空間が右回りに歪曲し始めた。歪む空間の中で、建物は軋んだ音を立ててスローモーションでバラバラに崩壊していく。ゆっくりと落ちる建物の瓦礫が出現した黒い穴に吸い込まれ、今そこにあった古い建物はビデオの逆再生のように黒い穴の中に吸い込まれた。

 赤衣の妖怪が、誇らしげに言う。

「どうだ、驚いたか。俺の黒穴は狙ったものだけを消滅させるのだ。今度はお前だけを消してやる」

 仲良くお喋りでもしに来たのかと思う程に、随分とまどろっこしい。やりたければグダグダ言わずにさっさとやればいいのだが、何故なのか良く喋る。

「煩い。キサマ、俺の攻撃に恐れをなしたか。それなら、泣け、叫べ」

 何かある。七瀬の違和感は疑問となって膨れ上がった。刺客である筈のヤツが一向に攻撃して来ないのは何故か。それは、かなりの確率で何かを待っているからに違いない。だからこそ、意味もなく喋り続けるのだ。七瀬はそう直感した。

「これは何だ?」

 今し方まで旧校舎の壁面に張り付いて眩しく輝いていた見知らぬ赤い十字の光が、いつの間にか七瀬の胸元に移動している。そして、十字が光り出した途端、待ち構えたように赤衣の妖怪シガクが印を組び、得意満面で口端を上げた。

「これで終わりだ」

 七瀬の胸元にある十字は何か。さっきまで旧校舎の壁に貼りついていた筈の、今まで存在しなかった筈の、胸元で揺れる十字の印。そして、何かを待ちながら十字が光った途端に印を組む妖怪。七瀬の推測が確信へと変わる。

「なる程、ヤツはこれを待っていたのか」

 赤衣の妖怪は、七瀬の胸の十字を確認して右手を突き出した。指先に黒い円形の穴ブラックホールが出現している。次の瞬間、七瀬のいる空間だけがゆっくりと右回りに螺旋を描きながら黒穴に呑み込まれ出した。漸くヤツの攻撃が始まった。

「威力はあるのだろうけど、操り方が甘いな」

「何を言ってやがる、我が黒穴の無限地獄で死ね」

 黒穴に周囲の空間が消えていく。同時に、七瀬の全身からオレンジ色の光が吹き出し、輝きは胸元に集中した。

 七瀬は「このタイミングだな」と呟いて、胸に輝く赤い十字をオレンジの光に包み投げ返した。

「黒穴とか言うブラックホールは、その赤い十字に連動している。十字で狙った対象だけを呑み込むんだろ。そのまま返してやるよ」

「何、何故それを知ってい・」

 黒い穴は、一瞬でオレンジの光に包まれた十字諸共に赤衣の妖怪自身を吞み込んだ。七瀬の背後からマルゴの声がした。

「オラも知らないシガク兄貴の弱点を、何故知っていたんだ?」

「知っていた訳じゃない。ヤツが何故グダグダ話し続けるのかを考えれば、あの黒い穴と赤い十字が一体なのがわかる。多分、十字が対象物を限定しなければ、黒い穴の力は分散して効果を発揮しないのだろう。人の行動には全て理由がある。その意味を理解すれば、勝機を見い出す事は簡単だ」

「でも、兄弟子シガクは不死だぞ」

「ブラックホールに堕ちた者がどうなるかなんて、ワタシは知らないし興味もない。不死なら堕ちた先で永遠に生き続けるがいいさ」

「アンタ、やっぱり強いな。シガク兄はオラが助けておくよ」

「勝手にしろ」

 ◇

 翌日、いつものように七瀬奈々美はサークルの部室に立ち寄った。早朝の部室に人の気配がある事など滅多にないのだが、何故か後輩の小泉亰子が既に来ている。

「あれ?小泉、今日はやけに早いね」

「えっ、あっ、ちょっと・」

 何か違和感がある。小泉がこんなに朝早い理由は何だろう。以前レポートが書けずに早朝の部室で泣いていた事があったが、学習せずにまた同じような事態に陥っているのだろうか。いや、今日は違う。どう見ても変だ。裾丈の短い和服のような子供服のような、何か不思議な服装をしている事に最大の違和感がある。

「小泉、また出入りでもあってレポートが書けなかったのか?」

 小泉亰子の実家は浅草に100年続くヤクザ稼業で、今でも抗争があるらしい。

「出入り?チャカが必要なら、ここにありますよ」

 小泉はカバンから黒光りする短銃を無造作に取り出すと頬擦りし、銃身に舌舐めずりした。七瀬は訝しげに首を傾げ、小泉の顔を凝視する。服装だけではなく、言動そのものが奇妙だ。いつもの小泉ではない。

「お前、そんなもの持って街中を歩いて来たのか?」

「別に珍しくはないですよ」

「へぇ、浅草辺りじゃ一般人がチャカ持って歩いているのか?」

 七瀬が視線を外した一瞬に、小泉は「当然ですよ」と言って引き金に指を掛けた。パン・と耳をつんざく破裂音が響き、七瀬奈那美の額の中央に弾丸が突き刺さったが、撃たれた七瀬が平然としている。小泉は仰天した。

「な、何故だ?例え『光のマザー』と言えど、生身の人間が鉛玉を喰らって平気な筈はない」

「『光のマザー』?お前、やっぱり小泉じゃないな、正体見せろ」

 薄笑いする小泉の姿が黒い着衣の老人に変化した。七瀬は慌てる素振りも見せず、驚く様子もない。

「お前は誰だ?」

 七瀬の問い掛けに、黒衣の老人は事の成り行きに狼狽しながら喋り続けた。

「為らばこれだ。これは破滅玉と言って反物質で出来ている。物質と反応した途端にエネルギーを発散し消滅する。キサマだけじゃない、全て消え失せるのだ。どうだ、怖いか、泣け、叫べ」

「へぇ、そうなのか。それだけの反物質があれば地球ごと消滅させる事が出来るんじゃないか?遠慮はいらない、思い切り地球を吹き飛ばしてしまえ」

 七瀬が嘆息して呟く間にも、黒い粒は次々と出現し、微細な黒粒が中空を舞った。

「光のマザーよ、強がりもそこまでだ。破裂玉は有機体に反応する。キサマがその力を発しただけで破滅玉が反応し、全てが吹き飛ぶ事になるのだ」

「やる事が微睡まどろっこしいな。ありったけの反物質で今直ぐに地球ごと消しちまえばいいんだよ」

「キサマは何を言っているのだ、キサマの地球が吹き飛ぶのだぞ」

 黒衣の老人が脅しているが、七瀬は顔色一つ変える事はない。黒衣の老人がマルゴの言っていた長兄ザカクであり、この宇宙至極の力『黒滅』という反物質を操っている事は明白だ。

「地球がどうなろうとワタシの知った事っちゃない」

「何だと、キサマは地球を、宇宙を護る光の神の使いではないのか?」

「そんな事は知らない。ワタシはワタシ自身でしかない」

「まぁいい。どちらにせよ、キサマは消滅するのだ」

 七瀬はそのやり取りに既に飽きている。

「だから、やれるものならやってみろよ。ほら、早くやれ」

 そう言いつつ、七瀬の両手からオレンジ色の光が出現した。オレンジ色の光は一気に広範囲に膨張し、黒粒『黒滅』を囲い込んでいく。

「キサマ、そのオレンジの光とともに消してやる」

 ザカクの反物質は獲物を狙う獣のように光り輝き、七瀬に襲い掛かった。この世の全ての物質と反応し対消滅のエネルギー爆発を起こすザカクの反物質は、この宇宙で最も強力な武器であるに違いない。

 だが、七瀬にヒットした宇宙最強の武器である反物質は、爆発どころか何の変化も示さない。その理由を理解出来ないザガクは驚きを隠しきれない。

「な、何故だ。何故、反応しない?」

 想定を超える目前の現実に困惑するザカク。その謎を七瀬が簡単に解いた。

「簡単な事だ。残念ながら、このオレンジ色の光は物質じゃなくて光の神の意識なんだよ。だから、反物質に反応する事はないし、対消滅のエネルギー爆発など起こらない。だが、反応する物質がない事もない」

 意味ありげな七瀬の言葉とオレンジの光がザカクを囲い込む。

「お前の反物質に一つだけ確実に反応するもの……それは、お前自身だ」

 七瀬が組んだ印に呼応するオレンジ色の光は、反物質の黒い粒ごとザカクの全身を包み込んで収縮した。収縮した玉の中で対消滅の眩い光が輝き出した瞬間、マルゴの仕業と思われる青い光が現れて対消滅の光と一緒に消えた。

「山勘の割には結構上手くいったな」と苦笑いしながら安堵の声を漏らす七瀬の背後で、マルゴの声がした。

「シガク兄とザカク兄はオラが別の場所に移動させた。だが、アンタ本当に凄いな。長兄ザカクの弱点まで知っているとはな」

「そんなもの知っている訳ないだろ」

「じゃぁ、何故?」

「反物質はこの宇宙で最強の力である事は間違いない。だが、全ての物事には表と裏があり、表裏は常に一体だ。即ち最強の力こそが最大の弱点という事だ」

 マルゴは感心した。わかったようなわからないような理屈なのだが、マルゴは輝くような目で七瀬を見つめている。七瀬が呆れた顔で言った。

「お前等の攻撃は半端だな」

「半端?」

「そうだ。お前等兄弟が力を合わせたら、私を殺るなど造作もないだろうに」

「あぁ、それか。同じ事を師匠に言われたけどな、オラと兄弟子達とは基本的な考え方が違うから協力南下する事はない。オラは他人と争うのは余り好きじゃないし」

 妖魔族最強戦士の一人マルゴが唐突に心情を吐露した。

「それなら、戦わなけりゃいいじゃないか」

「そうもいかない。オラ達ケイズ三兄弟は、妖魔世界ではオラ達の師匠である魔導士ビルデ・ガルデ様以外なら無敵で、妖魔軍の頭に立っているんだ。だから、オラ達が先陣を切って戦う事が、デルビル星を、そしてβ宇宙を護る事になるんだ」

「星やら宇宙を護るなんぞと、随分とデカい話だな。それに、師匠の魔導士なんてのがいるのか。まぁ、ワタシにはどうでもいい事だけどな」

 マルゴは、七瀬の顔をまじまじと見ながら、その態度に首を捻った。

「不思議だな。アンタは命を狙われているんだぞ、怖いとは思わないのか?」

「まぁ、どうにかなるさ。ならない時はそれまでだ」

「無茶苦茶だな」

 ◇

 α宇宙とβ宇宙の時空間の一部ともう一つの宇宙の時空間が同一の断面を構成し、地球の外宇宙に連結するように現れたβ宇宙ヨーマ銀河系恒星シラン系属の漆黒惑星デルビルでは、妖魔世界に巣食う悪魔達が驚愕していた。

 妖魔世界を統べるカルビナク大王は、妖魔軍の先頭に立つ刺客の敗北に仰天した。

「何と、ケイズ三兄弟が?」

「はい。マルゴ、シガク、ザカク、兄弟揃って『光のマザー』の下僕しもべとなりたいと申しております」

 妖魔族の頂点に立つ魔導士ビルデ・ガルデは、想像もしなかった事態に驚いたものの、何故三人の刺客が下僕となったのかを不思議に思った。

「信じられぬ。御光護の力恐るべし」

「大王様、くなる上は全ての妖魔軍の指導者の任にある私が殺りましょう」

「ビルデ・ガルデよ、どんな事をしてでも必ず仕留めるつもりでいくのだ」

「御意」

 妖魔の頂点に立つ魔導士ビルデ・ガルデと10人の妖魔は、自らの手で七瀬奈那美の暗殺を実行すべく、連結時空間を抜けて人間α宇宙の地球へと向かった。未だ人間界に留まっているマルゴに、ビルデ・ガルデが不思議そうに尋ねた。

「マルゴよ、カルビナク大王様より授かりし使命はどうした?」

「ビルデの兄貴、オラ達を滅亡させるという『光のマザー』と戦ってみてわからない事があった」

「わからない事?」

「そうだ。オラは、大王様から『光のマザー』こそは妖魔世界の破壊を企む者だと教えられて戦いながら相手の気を読んでみたけど、『光のマザー』の意識の中には破壊の文字なんかなかった。故に、何故殺る必要があるのかわからない」

「マルゴよ、これはカルビナク大王様よりの御役目である。抗う事は許されぬ」

「わかってる。兄貴はオラの師匠であり、親みたいなものだ。兄貴がそれでも殺れと言うならやってやるよ。でも『光のマザー』は兄貴に似てる」

「お前にそこまで言わせるとは……何やら興味深いな。私が会ってみるとしよう」

 妖魔族を束ねる魔導士ビルデ・ガルデはそう言って消えた。

 新東京大学のキャンパスの中庭に、珍しく独りでランチを楽しむ七瀬の姿があった。久し振りに頬張りるサンドイッチとアイスコーヒーを味わっていると、見知らぬ男が声を掛けて来た。近年特にセキュリティが厳しい大学の中庭に、場違いなスーツに身を固める男がいる事自体が既に不自然ではあるのだが、それ以上に違和感を振り撒いている理由は男のスーツの色が何と黄色なのだ。大道芸人と見紛うばかりのその姿は周囲から完全に浮いている。

 子供妖怪マルゴの現れたシチュエーションとそっくりだ。鋭い目の青年からマルゴと同じ匂いがする。

「非礼は承知の上でお尋ね申し上げる。我が名はビルデ・ガルデ、妖魔世界の悪魔を束ねる者。アナタは光の神の使いである『光のマザー』か?」

 問い掛けられた七瀬は、決して好ましくないと顔で言いながらぶっきらぼうな言葉で返した。

「まぁ、そういう事になっているらしい」

「らしい、とは?」

 魔導士ビルデ・ガルデには七瀬の言葉を瞬時に理解する事が出来ない。

「らしいはらしいで他に言いようがない。私はそんなものに興味はないし、成りたいと思った事もないが、そうらしい」

「なる程、何やら面白い方だ。マルゴが興味を持つのもわかるような気がする」

「マルゴ?あぁ、あの小僧か。下僕しもべのくせに逃げやがって」

「アナタは本当に光の神の使いなのですよね?」

 七瀬の口が歪んでいる。『光のマザー』と言われるのを嬉しいと感じた事はない。況してや、こんな訳のわからない輩に決めつけられるのは尚の事願い下げだ。

「何度でも言うが、そうらしいだけで好きでやっている訳じゃないし自覚もない」

 ビルデは思わず笑い出した。

「マルゴが言っていた通り興味深い方だが、私も妖魔族を束ねる者としてアナタを倒さねばならない」

「倒す?」

 妖魔を束ねる者とはそういう意味だったのかと、嫌々大筋を理解した。それにしても話の流れが早い。

「何故、戦わねばならないんだ?」

「問答無用。では、参ります」

 何を言っても無駄だ、青年の目がそう言っている。戦う理由など皆無で、問答無用なのだと言う。何しても腹が立つ。

「ちょっと待て、お前がここで何をしようとしているのかは知らないが、この大学の関係者が巻き添えを喰らうのは私には耐えられない。ここから違う場所に移動する事は可能か?」

「ほぅ、他人の心配とは随分と余裕ですね」

「いや、そうじゃない。もし私のせいで他人が傷つくような事になれば、自分を許せなくなる。他人の心配なんかじゃなく、自分の為だ」

「面白い考え方だ。それならば我等の異空間へご招待致しますよ。アナタにその勇気があれば、ですがね」

 話の流れでいつの間にか戦う事になっているのは良いとしても、妖魔達の異空間で闘うとなれば、どう考えても不利な状況を強いられるのは目に見えている。どんな罠が仕掛けられているか見当もつかない。だが、七瀬にはそんな事はどうでも良いし、罠に嵌ってなぶり殺しにされるなら、それはそれで仕方がないと本気で考えている。魔導士ビルデ・ガルデは短絡的な七瀬の対応に呆れた。

「我等の異空間に自ら来るとは愚かだ。本当に光の神の使いなのか?」

 まばたく一瞬で、唐突に黒い闇が辺りを包んだ。漫画ならば空を飛んで岩場で対決というシチュエーションが与えられた上で、あれこれと御託を並べるシーンになりそうなものだが、そんな気配など欠片もなく瞬時に漆黒の闇の中の戦いへと展開していく。

 漆黒の闇の周りに見えるものは悪魔の赤く光る双眼のみだ。だが、慌ててもまるで意味はない。何がどう転んだところで、なるようになるだけだ。そんな乾いた反応に魔王ビルデ・ガルデは興味を持たざるを得ない。

「何か特別な対抗策があるのですか、或いは単に愚鈍なのか。例えアナタが光の神の使いであろうとも、ニンゲンである限り寂寞せきばくが支配する漆黒の闇に恐怖しない者はいない」

 その言葉に、七瀬奈那美は恐怖するどころか慌てる様子さえ微塵もない。

「黒闇は如何いかがですかな。流石のアナタでも恐怖する筈だ」

「恐怖してほしいのか、それならそう言え」

「これはこれは、大したやせ我慢だ。では、遠慮なくぶち殺して差し上げましょう。今より我が配下の悪魔十戦士がアナタの身体を切り刻みます。さて、アナタはいつまでそんな強がりを言っていられるでしょうかね」

「切り刻む?」

「一突き」

 魔導士ビルデ・ガルデの声と同時に、七瀬はいきなりの激痛に悲鳴を上げた。魔導士の声に呼応する悪魔十戦士が鋭利な槍と化して飛び、七瀬の身体を貫いていく。

「二突き・三突き・」

 ビルデ・ガルデが数える度に悲鳴が聞こえた。悪魔の刺殺が止む事はない。漆黒の暗闇が七瀬の五感を縛り、向かって来る事が予測出来る鋭利な槍を回避出来ない。次々に身体の至るところに激痛が走る。ビルデ・ガルデは既に勝利を確信している。

「四突き・五突き・」と発せられた数に、既に反応する声はない。

「残念だが、私にはアナタの絶対の力、光の神の光は通用しない」と勝ち誇る魔導士の言葉に、闇の中から「……お前は悪魔なのか、それとも妖怪か」と問う声がした。七瀬の声に間違いない。意識など既にある筈もなく、言葉を発せる事など出来る筈はない。そんな状態の人間の声を、ビルデ・ガルデは確かに聞いた。

「六突き・」

 更に続く悪魔の攻撃が空を突き、十戦士が予想外の状況に慌てた。

「ビルデ・ガルデ様、反応がありません」

「どういう事だ?」

「消えました」

 魔導士ビルデ・ガルデは即座に暗闇の気を探ったが、気配がない。悪魔の異空間で人間が完全に姿を消した。そんなあり得ない現実、妖魔を束ねるビルデ・ガルデであろうと驚愕せざるを得ない。

「あり得ない。何がどうなっているのだ。α宇宙のニンゲンが我が魔空間から逃げるなど、出来る筈はない。これが光の神の力なのか……」

 七瀬奈那美の声が漆黒の闇空間を縫って聞こえた。

「妖魔世界の魔導士ビルデ・ガルデよ、慌て過ぎだ。冷静にその状況を把握出来ないのなら、異空間ごと塵にしてやるぞ」

 その言葉に魔導士は我に返った。

「なる程、その通りだ。では、これで如何でしょうか」

 突然、眩い光が異空間にほとばしる。天空に、燃え盛る火の玉が現れた。

「この究極の炎は太陽と同じ核融合、全てを焼き尽くして差し上げましょう」

 一転して闇の世界は光の世界へと変貌した。光に照らされた七瀬奈那美の姿が中空に浮かんでいる。燃え盛る炎は僅かな容赦も手加減も見せる事なく七瀬に迫る。

「これが最後だ。我等はβ宇宙を統べる最強の一族、例えアナタが光の神の力を備えていようと、我等に勝つ事は出来ない」

 中空から声がした。

「ビルデ・ガルデよ、己の常識のみが全てでない事を知れ。己が最強だ、己の世界が全てだという奢りの前では、必然的に判断は鈍る。己の力に溺れる事がどれ程愚かしいか教えてやろう」

「笑止」

 七瀬と、その絶対の力である神の意識オレンジ色の光は互いに思考した。核融合の炎などというびょうたるものを得意げに喧伝するこの相手に、最も効果的な反撃は何か。その答えは至極単純な事、相手を圧倒する事だ。そしてもう一つは、速攻だ。夢か現実かわからない戦いの中で、反撃のタイミングを逸した為にこの宇宙世界の時空間を破壊された事があった。相手がどんな武器を携えているかはわからなくとも、速攻こそが勝利の文字を見せるに違いない。

 七瀬奈那美の滅多にないアクティビティによってオレンジ色の光は進化し、相手の核融合の赤い火を凌駕する巨大な炎へと姿を変異させた。オレンジの炎は感情を剥き出すように激しく弾けながら膨張し、豪胆に魔導士ビルデ・ガルデと悪魔十戦士に挑んでいく。肥大する劫火を残して、ビルデ・ガルデの目前で七瀬の姿が消えた。

「消えた、瞬間移動か?」

「ビルデ・ガルデ様、オレンジの炎が我等の究極の炎を包み込みつつあります」

 膨れ上がった火炎は、ビルデ・ガルデと十戦士を包囲した。核融合の究極の炎を纏っている魔導士も流石に身動きがとれない。

「動けぬ。これが光の神の真の力という事なのか……」

「ビルデ・ガルデ様、我等を包む炎の更に外周に、新たなオレンジ色の光が輝き始めています」

 周囲を包む膨れ上がった炎、そして新たな光もまた炎となった。オレンジの炎に、究極である核融合の炎が毛筋けすじ程も太刀打ち出来ない。

「これでは我等が焼き尽くされてしまう……」

 周囲を包む劫火とそれを包み込む新たな炎は、容赦なくビルデ・ガルデと十戦士を焼尽し始めた。

 その瞬間、シガクとザカクを包んで消えたのと同じ青い光が現れ、ビルデ・ガルデと十戦士を別時空間へと移動させた。燃える炎の空間から瞬間移動させたのがマルゴの仕業なのは明白だ。

「これはマルゴの瞬間移動。何と、そういう事だったのか」

 七瀬がビルデ・ガルデに言った。

「そういう事だ。お前達を焼き尽くしても良かったのだが、マルゴが止めろと言うのでやめた」

 何という程の事ではない。七瀬奈那美が消えたのは唯マルゴの力、ワームホールを使って移動しただけの事だった。余りに単純な種明かしに、魔導士ビルデ・ガルデは頭を振って「アナタには敵わない」と溜息交じりに呟いた。

「兄貴、ごめん」

「いや、マルゴ。この方は間違いなく光の神の使いだ。そして、我等如きが刃向かえる相手ではない。この方が我等の仇敵 かどうか、もうどうでも良くなった」

 ビルデ・ガルデは、そう言いながら「私もお前と共にこの方の下僕しもべとなろう」と言い出した。

 戦闘妖魔族最強戦士ケイズ三兄弟や妖魔族の頂点に立つ魔導士ビルデ・ガルデの攻撃に、決して恐怖する事も慌てる様子もなかった七瀬奈那美が初めてビビった。何と言っても、妖怪であり悪魔でもある輩を下僕にする気など更々ない。

「こら、お前等。何を勝手に決めてるんだ。私はお前等など下僕にする気はない」

「それは無理だ。オラはガルデの兄貴の弟分で兄貴はオラの親みたいなものだから、オラを下僕にすると言った時点でこうなる運命なんだよ。アンタは、今からオラ達のヌシになるんだ」

「運命なんか勝手に決めるな」

「ヌシよ、オラ達は一旦物の妖魔世界へ戻り兄貴と一緒にまた来るからな。その時は、兄貴ビルデ・ガルデに憑依している全ての悪魔戦士1000人も一緒だ」

 七瀬の悲鳴がいつまでも響き渡っていた。

 妖魔世界を統べるカルビナク大王は、最強を誇るケイズ三兄弟に続く魔王ビルデ・ガルデの敗北と地球人への下僕宣言を信じる事が出来ない。

「ビルデ・ガルデよ、魔導士たるお前が地球人の下僕になると言うのか。気でも触れたのか?」

「至って正気です」

「為らば、何故じゃ。我等にはそのような戯れ言に応えている時間はない。危急存亡の時である事を忘れてはおらぬだろうな?」

「決して、そのような愚かしい話では御座いません」

「為らば、ワシが悪魔戦士10万を率いて行くしかないな。光のマザー など跡形もなく消滅させてくれようぞ」

「大王様、教えていただきたき議が御座います。我等は何故に『光のマザー』 を倒さねばならぬのでしょうか。『光のマザー』こそは我等に抗う仇敵と思って戦ってみたのですが、私が戦った御方の意識の中にはそのような邪気は微塵も存在しておりませんでした」

「ほぅ、何やら興味深いな。ワシの目で見るとしよう」

 東池袋にある新東京大学キャンパスの片隅に、目を引く不思議な出で立ちに角のある二人が現れた。全身が金色と銀色のスーツ姿は、何でもありの池袋であっても流石に違和感がある。先日キャンパスに現れたビルデ・ガルデの大道芸人風の黄色スーツ姿よりも、更にインパクトがある。街中を歩いていれば職質確定だ。二人は、迷う事なく新東京大学超々常現象研究会の部室を訪れた。

「七瀬奈那美さんは居られますかな?」

「先輩のお知り合いの方ですか?」

 コスプレにしか見えない銀色のスーツ姿の若い男と金色のスーツにマント姿の老人の登場に、小泉亰子と前園遥香は胡散臭げな表情をしながらも平然と対応した。頭に角のある奇妙な姿の二人のヒト型に、小泉と前園は特に驚く様子はない。

「今回は、鬼やで」「そうみたい」

 前触れもなく七瀬を訪ねて来る客には、中々に興味深い輩が多い。暫く前には「神」を自称する不思議な老人や「妖怪」を名乗る者達が姿を見せ、七瀬を指名したりもした。今回は神でも妖怪でもない「鬼」のようなのだが、胡散臭さは前者を超えている。

「まぁ、そんなところです」

「先輩は、多分直ぐに戻ります」

「では、待たせていただきます」

 七瀬奈那美はいつもの通り、端田教授の代役としてゼミ生達に日本経済論と異説の先進宇宙論を講義した後、揚々と部室に戻った。

「先輩、お客さんですよ」

「客、お前はビルデ・ガルデか?」

 銀色着衣の魔導士ビルデ・ガルデが緊張気味に直立する背後に、金色の衣服に身を包む白髪に白髭の老人がいる。老人は七瀬に深々と頭を下げ、鋭い双眼を向けた。

「この御方、カルビナク大王様こそ我等が惑星デルビルの王であると同時に、β宇宙を治める宇宙神王の御一人にあらせられます」

 老人は何かを探るように落ち着いた様子で静かに七瀬に話し掛けた。ケイズ兄弟やビルデ・ガルデが現れた時のような殺気はない。

「儂は妖魔族の大王カルビナクと申す。まずは、ここに控えるビルデ・ガルデと我が妖魔の者達の非礼をお詫び申し上げる」

 七瀬は次から次へと現れる登場人物に嫌気がさしている。

「おい、ビルデ・ガルデ。何の用なのかは知らないけどな、幾ら何でもその爺さんには関係ないだろう?」

「いえ、大いに関係があります。くだんの「依頼者」は大王様なのですから」

「そうなのか?」

 七瀬は、改めて「自分を殺れ」と命じたのであろう老人を見定めた。金色の衣服に身を包む白髪に白髭の老人は、頭部に角がある事と服のセンス以外には地球の人間と何ら変わりはない。顔は人間そのもので品があり落ち着きもある。老人と殺人教唆きょうさの張本人とが繋がらない。穴の開く程見据える七瀬に、老人が何やら話し出した。

「儂は特定レベルの戦闘スキルはないが、相手の心理を見る力を持ち得ている。我が星最大の戦闘力を持つ魔導士ビルデ・ガルデが「アナタには勝てない」と言うのです。今その意味を理解致しました。アナタには光の神の力が宿っておられる。しかも、その御力の底が見えぬ。我等に勝てよう筈もない」

「いや爺さん、私にそんな力はない。世辞なんかより、私を狙う理由を説明してくれないかな」

「うむ、全てをお話し致しましょう。我等はβ宇宙ヨーマ銀河系恒星シラン系属惑星デルビルに生きる妖魔族であり、我等の星デルビルはβ宇宙の光の星、我等は光の神の一族に御座います」

「光の神の一族が妖怪だの悪魔だのっていうのは何か変だな」

 七瀬のツッコミに反応する事もなく、老人の説明は続く。

「我がβ宇宙は、今は亡き宇宙神レガル様の下で儂を含む三人の宇宙神王が治めておりました。しかし、突如として我がβ宇宙は別宇宙より来空した『赤い悪魔』の襲撃を受けたのです。『赤い悪魔』の勢力は強大であり、我等宇宙の消滅は時間の問題となっております」

「別宇宙、『赤い悪魔』?どこかで聞いた事があるな」

 今度は『赤い悪魔』らしい。

「我等妖魔族はその窮地を打開すべく、β宇宙の宇宙神レガル様の命により異宇宙への「時空間スライド」を発動したのです」

「異宇宙への「時空間スライド」とは何だ?」

「宇宙が単一でない事はご存知ですかな?」

「何となく知っている」

「無数に存在している宇宙全ての消滅をたくらむ者達、それが『赤い悪魔』なのです」

「宇宙の消滅か。「赤い神」と違うのか?」

「恐らく同じ者達と思われます。我等の宇宙はヤツ等の攻撃を受け危急存亡の時を迎えており、この状況を打開するには異宇宙の宇宙神より援軍を得る以外にない。その為に異宇宙への部分的移動を行う秘術が「時空間スライド」に御座います」

 言っている事自体はわかる気がするのだが、その意味は皆目見当がつかない。

「我等妖魔族は、一度きりではありますが「時空間スライド」という時空間秘術を発動しで異宇宙同士の一部を繋げる事が出来るのです。果たして「時空間スライド」は成功し、α宇宙の一部アマノガワ銀河系恒星タイヨウ系属地球とβ宇宙の一部であるヨーマ銀河系恒星シラン系属惑星デルビルの時空間が繋がったのです」

 全く同じ話を物ノの怪世界で聞いた事がある。確か「狸の穴」って名の技で異宇宙の時空間の一部を繋げるとか言っていた。

 カルビナク王が続けた。

「だがその時、我等は思わぬ二つの動勢に直面した」

「二つの動勢?」

「一つは、そもそも我等はα宇宙の時空間へとスライドしたのだが、進入した時空間にいきなりπ宇宙が出現したのです。それにより三つの宇宙はトライアングル連鎖を起こし、それぞれ時空間の一部が繋がっている」

「という事は、三つの宇宙がどういう状況になっているんだ?」

「モノボラン星人という名の赤い悪魔は、宇宙孔を通り異宇宙から我等β宇宙に侵入した。そして、我等が発動した時空間スライドによりβ宇宙とα宇宙及びπ宇宙が繋がっており、更に『赤い悪魔』は我等β宇宙に侵攻すると同時にπ宇宙へも侵攻を開始したという状況です」

 妖魔世界のβ宇宙に侵入した赤い悪魔が、物ノ怪世界のπ宇宙に侵攻した。その二つの宇宙と人間世界のα宇宙も繋がっているって事になる。

 物ノ怪世界の天空に、漆黒の闇の中から眩しい金色の光に包まれた巨大な金属船が出現した。船に向かって、物ノ怪世界の長老妬唆之裡伽火とさのりかひが問い掛けた。

『時空間を超え、許諾なく神聖なる我が世界へ侵犯する者達よ、お前達は何者か?』

『我等は、β宇宙ヨーマ銀河系恒星シラン系属惑星デルビルより来空した。我等は別宇宙より来た者だ。この世界に対敵する意思はない」

『この物ノ怪世界に何用か?』

『我等はβ宇宙より、時空間孔を通ってこのπ宇宙に来た』

『時空間孔とは何か?』

『このπ宇宙と我等β宇宙とが繋がる時空間のあなだ』

『ワシはこの物の怪世界を治める妬唆之裡伽火とさのりかひじゃ。何故、言葉が通じるのか?』

『大した事ではない。我等は言葉とともに思念波で意思を伝え、相手の心理を読んでいる。従って、我等の本意は既に伝わっていると思われる』

『テレパシーというものか。為らば、お前達の思考に偽りはないという事なのか?』

『そうだ。我等β宇宙は危急の状況にある。話を聞いてもらいたいのだ』

『良かろう』

 眩しい金色の光を発する巨大な金属船が物ノ怪世界のバリアを超えた。

『先ずは、この事態を釈明願いたい』

『宇宙孔から我等β宇宙に全ての宇宙の消滅を目論む『赤い悪魔』が来空した。我等は、加勢を求めて時空間に孔を開ける時空間スライドという秘術を発動し、我等のβ宇宙とこのπ宇宙が繋がったのだ』

『我がπ宇宙に「赤い神」なる者達が侵攻したのは、それが故か?』

『そうに違いないだろう。π宇宙の現状は如何か?』

『我がπ宇宙オニガホシに侵攻した「赤い神」は、既にいない』

『何、いないとはどういう意味なのか?』

『我が宇宙に侵攻した「赤い神」は、『光のマザー』たる我尊光護崇高神様によって排除された」

『信じられない。「赤い神」とは高い確率で『赤い悪魔』であろう。それを排除するなどあり得ない』

『信じる必要などない』

『信じられないが、思念波が真実である事を告げている。『光のマザー』がそれ程の力を保持しているという事か。為らば、我等に加勢してはくれまいか。我等β宇宙の妖魔族は危急存亡の時を迎えているのだ』

『うむ。我がπ宇宙物ノ怪世界、物ノ怪軍は喜んで加勢しよう』

『このβ宇宙の導師たる宇宙神はどこ御居られるのか?』

『残念ながら、我等は宇宙神に御会いした事はない。況してやその所在を知る事もない。だが、宇宙を救う使命を負う光護崇高神様なれば知っている』

『「赤い神」を排除した方か?』

『そうだ』

『その御方に目通り願えないか?』

『光護崇高神様に目通りするのは何ら難しくはないだろう。だが、加勢をいただくのは恐らくは不可能であろう』

『何故だ、β宇宙存亡の危機なのだ。光の神の使いであるならば、我等の願いは必ず聞き届けられる筈ではないか?』

『いや、光護崇高神様が光の神の使いである事に間違いはないのだが、その方に救世の意思はない』

『何故、光の神の使いとは救世の主体である筈ではないか?』

『それは正論の押し売りでしかない。しかも異宇宙、異生物の価値観に違和があっても何ら不思議ではなかろう』

『確かに、それはそうだが……』

『光護崇高神様の御力をいただく方策が皆無ではない』

『その方策とは?』

『光護崇高神様に加勢を願うならば、本意にて突き当たる事だ。それ以外に本願が成就する事はないであろう』

『本意にて突き当たるとは、具体的にはどうすれば良いのか?」

『容易い事じゃ、殺りなされ』

『な、何と?光の神の使いに刃を向けよと言うのか?』

『そうじゃ。そうでなければ、決して本意は伝わらぬよ』

 カルビナク大王の説明に、七瀬は腹立たし気に頬を膨らませた。

妬唆之裡伽火とさのりかひの爺が焚き付けたのか、あのクソ爺。何が本意は伝わらぬだ」

「危急とは言えど、光の神の使いたる御方に刃を向けた事については、心より御詫びを申し上げる」

 七瀬には、妬唆之裡伽火とさのりかひへの怒りしかない。確か、π宇宙の物ノ怪世界に侵入した「赤い神」を七瀬奈那美に殲滅させた上で、残りのヤツ等とマインドコントロールされた息子星羽セイハ、全ての厄災を人間界に追いやるのが妬唆之裡伽火とさのりかひの作戦だったのだ。その為に魔神デイダラと共に戦ったものの、星羽の癇癪玉でこの世界の時空が崩壊して、再び再生した。確かそうだった。記憶は定かではないが、そんな腹立たしい事があったような気がする。怒りが蘇って来る。

「あの爺め、次に会う事があったら唯では済まさん」

 七瀬奈那美の怒りは爆発寸前だ。

「そんな理由でアイツ等に私を狙わせたのか、ふざけるな。私にはβ宇宙なんぞどうなろうと関係ない。私を巻き込む為にお前等が好き勝手に何を企てようと、私はそんな稚拙な手には引っ掛からない」

 既に、稚拙な作戦に引っ掛かってα宇宙の時空間が崩壊した。再び引っ掛からない絶対的な方法は唯一つ、関わり合いにならない事だ。

「光護崇高神様、我等宇宙の危急存亡の時なのです。何卒、御力を御貸しくだされ」

「爺さん、さっきも言ったけど私には宇宙を救うなんて力はない。それに、仮にあったとしてもそんな事に構っている程暇じゃない」

「何卒、御力を御貸しくだされ」

「光護崇高神様、御願い致します」

 金色と銀色の妖魔が頭を垂れた。七瀬は淡然たんぜんと告げた。

「絶対に嫌。β宇宙の存在なんか関係ない、私がそんな事に関わる意味も理由も必然性もない」

 人がそれぞれの価値観を持っているように、宇宙が違えば尚の事で、思考、流儀、ポリシー、立脚点、視点、ロジック、理念、理論体系、主観、自己定位、価値観の相違は如何ともし難い。何と言われようとも、七瀬には異宇宙の危機を救う意思など端から欠片もない。

 二人の妖魔は途方に暮れた。落胆顔の二人の間からマルゴが顔を出し、粒羅つぶらな瞳で七瀬に言った。

「ヌシよ、力なんか貸してくれなくていいよ。そんな事よりオラ達の司令部を見に来ないか?結構面白いものがあるぜ。何たってオラ達はヌシにとっては異宇宙の異星人なんだからな」

「司令部?そうか、お前等は異星人だったな。宇宙人かぁ、行くだけならいいかな」

 マルゴの言葉に、無邪気に玩具に惹き付けられる子供のように七瀬はキラキラと目を輝かせた。どちらが子供かわからない。今し方の怒りはどこへ行ったのか、金色と銀色の鬼が呆然とした。

 七瀬はマルゴの口車に乗り、惑星デルビルにある妖魔軍司令部にいた。街程もある超巨大な船が司令部になっている。

「ここがデルビル軍司令本部だ、結構すごいだろ?」

 見た事もないような機械がこれでもかと並ぶ船だった。とても妖怪やら悪魔とは思えない科学力だ。

「ビルデ・ガルデ様、9時の方向に敵艦隊来襲」

 緊急を告げる言葉が船内に響く。

「崇高神様、ヤツ等の中には有機体戦闘魔獣がおります。特に強力なる魔術、引時空間を操る狙喰《ソソジキという魔獣がおり、ピンポイントで襲われる可能性がありますので、呉々も御気を付けください」

「引時空間、ピンポイント。何だ、それは?」

 七瀬の疑問にマルゴが続けた。

「魔獣狙喰ソジキは、狙った対象物を時空間を超えて思いのままに引き寄せる事が出来るんだ。それに、何故かヤツ等はヌシの存在を知っている可能性が高いから、単独でヌシを引き寄せて殺ろうとするかも知れないぜ」

「そんな事はどうでもいい。私は見学に来ただけなんだから、私を訳のわからない事に引きずり込むな」

「マルゴ、崇高神様を御守りしろ」

「了解」

 デルビル軍司令部から帰った数日後、超々常現象研究会の部室に警護と称して子供妖怪のマルゴがいた。何故か話の流れ上、七瀬が赤い悪魔に狙われているらしい。

 その時、魂消けたたましく叫びながら小泉が部室に飛び込んで来た。

「先輩、大変です」

「何かあったのか?」

「廊下に変な女がいるんです。人間の形をしてますけどヒトじゃないみたい。かなり大きな邪悪な気を感じます。取りあえず、部室から逃げてください」

「逃げる?」

 小泉亰子の言葉の意味は、今一つ何の事やらわからない。取りあえず、部室のドアを開けて廊下に出た。廊下に嫌な気が充満している。

「なる程な。悪意のある嫌な、しかも馬鹿デカい気を感じる」

 廊下の向こう側に怪しい女のようなシルエットが見える。顔は逆光で見えないが、ヒトの気ではない。怪しい女が言った。口調が変だ。

「アナタは・ナナセナナミですよね・ワタシの名は畏怖イフ・」

 言い終わらない内に、女が両手に持つ武器から銃声と銃口から激しく火花が散った。何故いきなりマシンガンなんかぶっ放すのか。何が何やらわからない事だらけだ。ドアを閉めて鍵を掛け、七瀬と小泉とマルゴは窓から外へ逃げた。

 ドアが破られ、部室内で容赦のない銃撃音がした。怪しい女が乱射している。探知能力は低いらしい。

「何なのか、さっぱり訳がわからないな」

「ヌシよ、あれは赤い悪魔が造った有機殺人ロボット兵器だ。奴等のα宇宙への侵攻はもう既に始まっているんだ。宇宙大戦だ」

 いきなりの展開が鬱陶しい。ある日、突然訳のわからない子供が現れ、続いて妖怪だの魔導士だの大王だのという輩が出て来たと言うだけで面倒臭いのだが、それどころか、赤い悪魔だの殺人ロボット兵器だのと、宇宙大戦とSF映画張りのワードが惜しげもなく降って来る。その手の話が嫌いではないが、押し売りされるのは願い下げだ。どうやら、過日のカルビナク大王とかいう老人の言っていた事を信じない訳にはいかないようだ。

「詳しく説明している時間はない。ヤツが来る」

 小さな黒いロケット状の何かが女の銃口から瞬速で飛んだ。ミサイルだ。

「先輩、危ない」

 ミサイルらしき黒い何かは七瀬の頬近くを掠め飛び、キャンパス裏庭の楠の大木に命中した。炎に包まれる大木が爆裂し轟音とともに消滅した。砕け散ったとか或いは劫火となって燃え上がった、というのではない。消滅したのだ。

「マルゴ、あれは何だ?」

「兄弟子シガクと同じ、反物質だ」

「何故そんな物騒なものがホイホイと出て来るんだよ」

「ヤツが赤い悪魔宇宙軍の兵隊だからだ」

「何だよ、それ・」

「ヌシ、あれを見ろ」と、七瀬の背後をマルゴが指差した。振り向いた七瀬の目に、いつの間にかマシンガンを携えた女ロボットが照準を合わせているのが見える。

 七瀬がマルゴを呼んだ。

「マルゴ、あれを出せ。瞬間移動する」

「ほい」

 妖魔マルゴの黒い霧、ワームホールが出現し、七瀬と小泉を包んだ。同時に輝き出したオレンジ色の光は七瀬の右手に収斂し長刀に変形した。

 そして、黒い霧に消えた次の瞬間に女ロボットの懐に飛び込み、刃は女を横一文字に切り裂いた。確かに手応えはあった。だが、真っ二つになった女の身体が次第に復元していく。

「あれは何だ、唯のロボットじゃないのか?」

「金属じゃなくて有機体なんだよ」

「なる程、ロボットというよりもヒト型の生物兵器って事なのか」

 目の前の殺人兵器の構造はわかったが、対応策がない。どうする、どうしたらいいのか。七瀬は考えて考えた挙げ句、いつもの通り早々に諦めた。いつまで考えても、答えが出ない時は出ないものだ。こんな時は、きっと光の神の意識であるオレンジ色の光が走り出すに違いない。予測通り、オレンジ色の光は強い意思を持ってゆらゆらと拡散し、巨大な光の玉となって女の姿をした生物兵器を包み込んだ。

「ヌシよ、オレンジ色の光で包んでどうするんだ?」

「さぁな、このオレンジ色の光には自我があって、私が悩んでいるとこの姉さんが勝手に動くんだよ。取りあえず、分子レベルにまで収縮して潰すんだろうな」

 そう言って七瀬が印を組み「喝」を入れると、女を包み込んだ光は一瞬の内に急激に極小化し、女の悲鳴とも叫声とも判別出来ない音とともに無敵の有機体戦闘ヒト型生物兵器、畏怖は消滅した。

「ヌシ、やっぱり強いな」

「当然だ。ワタシは無敵・」

 自慢げな七瀬の姿が赤く輝き、いきなり消えた。

 マルゴは慌てて叫んだ。

「あっヤバい。ヤツ等の仕業、引時空間だ」

「ヤツ等の仕業、引時空間?」

 小泉亰子が首を傾げた。

「我呼光神使此世界・驚・激痛・痛・痛・」

 雷光を纏う黒い肉塊、魔獣狙喰ソジキが呪文をやめて激痛にのた打ち回っている。

「どうだ、『光のマザー』とやらを引き寄せたか」

 青い巨大な岩石に似た塊が小さな石のような塊に訊いた。

青緑魔神罵唯亜バイア様、『光のマザー』は狙喰がこの星デルビルの西エリアにまで引き寄せたものの引時空間を千切られ、逃したように御座います」

 小さな球形の塊が答えた。

「『光のマザー』は、今どこにいるのだ?」

「この星の近く、恐らくは西エリアのデロコ周辺かと思われます」

「あのエリアは、現在我が軍が全戦力を集中して妖魔軍司令本隊と交戦している地帯だ。もう一歩で妖魔軍を全滅させる事が出来る筈が、万一『光のマザー』が妖魔軍に合流などすればマズい事になるやも知れぬ。新型魔獣兵器万喰バクを準備せよ」

青緑魔神罵唯亜バイア様、それ程のご心配は不要かと存じますが・」

「妖魔軍に放った密偵によれば、『光のマザー』とは光の神の使いで、相当なる力を持っているらしいではないか」

「それにしても青緑魔神罵唯亜バイア様、我がモノボラン軍の敵ではないと思われますが・」

「馬鹿者、既に畏怖イフが潰され狙喰ソジキの引時空間が千切られている事を忘れるな」

「御意」

 七瀬は見知らぬ場所にいた。いきなり時空間が歪み、全身が無理矢理に何者かの黒い腕に引っ張られた。もがきながら体を包む違和感を拒絶し、黒い腕を振り解いた。途端に、この場所に移動した。

「ここはどこだ……」

 高く聳える建物はないが、かと言って樹木も植物もない。住居のような低層建物と幅広い道路が続く砂漠地帯があり、その向こうに海のような大河の水辺が見える。辺りは夜明け前のせいなのか薄暗い。様子を窺った。ヒトの気は感じるものの位置を特定出来ない。暫く砂漠の道路を歩いていると、暁闇の空に変化があった。地上から上った雷光が天を突き抜いた。

 地上から立ち上がったスプライト状の何かの自然現象か。いや違う、あれは地上からの攻撃だ。地上から天に向かって何者かが攻撃しているのだ。その直後、天空が一瞬輝いて、白い尾を引く幾つものミサイルのような爆雷が落ち、地上にキノコ雲が立ち上った。今度は天空から地上への攻撃に違いない。

「これは戦争か?」

 畳み掛けるように天空からに穴が開き、真っ赤に燃え盛る幾つもの巨大な火の玉が落とされた。火の玉は海のような大河の水面を激しく叩きつけながら落ち、津波となって押し寄せた水が激流と化した。流された兵士と思しき人々の溺れる姿が見える。激水は砂漠を抉るように人も建物も凡ゆるものを押し流していった。

 顕かに地上軍の大敗と思われたが、水が引き始めた途端に地上から天空に向かって火を噴く槍が飛んだ。爆裂の光輪が見え、天から白い雲に包まれた巨大な船が地上に墜落したた。七瀬は仰天するというより、次の展開を興味津々で凝視している。

「凄い、まるでハリウッド映画のようだな」

 悠長に感想を吐露している七瀬の前方から、白いヘルメットと宇宙服を纏った兵士らしき一団が金属的な光を発する板に乗って飛んで来るのが見えた。近づいた兵士達は七瀬の姿に不思議そうに目を遣った。

「お前は何者だ?」

 兵士達は七瀬に問い掛け、正体を探っている。

「妖魔人ではない、ヤツ等でもないな。地球という星のヒト型生物か?」

「わからないが、何故こんな所にそんなヤツがいるんだ?」

「気を付けろ、赤い悪魔軍のヒト型魔獣兵器かも知れないぞ」

「止まれ、お前は何者だ?」

「何故こんな所にいるのだ、答えろ」

 兵士達は疑いの目と銃器を七瀬に向け、緊張気味に訊いた。

「ワタシは・」

 答えようとした七瀬の言葉を遮って、至近距離で爆発音が連続で響いた。

「マズいな、ヤツ等だ。皆、撤収するぞ」

「コイツはどうします?」

「放っておけ」

 兵士達はそれぞれが金属製の板に乗って猛スピードで走り出し、七瀬の横をすり抜けていく。

「これに乗れ」

 金属板に乗った一人の兵士が七瀬を手を取って拾い上げた。上空を円盤状の大型飛行機械が兵士達とシンクロし、一人づつ機内に移動していく。

「早く来い」と空間から腕が現れ、兵士の手を掴み引っ張り上げた。その後方で鈍い悲鳴らしき声がした。飛行機械の内部に引き上げられている戦士の一人の姿が半身だけ消えていく。

「ヤバい、ヤツ等の引時空間だ。皆、健闘を祈る」

 七瀬は右足の辺りに引っ張られる力を感じた。この場所に引き込まれた時と同じだ。飛行機械に移動している状況で兵士の半身が消えていたのは何なのだろう、時空間で引き裂かれているのか。それは嫌だ、そう思った瞬間に条件反射で右足に絡み付く何かを思いきり蹴飛ばした。確か、この場所に引き込まれた時も無意識に同じ事をした気がする。

 という事は、同じ結果になるのだろう。さて、今度はどんな場所へ飛ぶのか。七瀬奈那美はちょっとだけワクワクした。だが、その期待は脆くもほんの一瞬で崩れ落ちた。飛んだ先の時空間は、耳目鼻口のない殺気立った赤と黒の二種のヒト型生物の群れの真っ只中だった。絶望的に泣きそうな状況だ。泣きはしないまでも、応戦ようにも武器などなく、丸腰でいきなりの『赤い悪魔』との戦闘が必至。七瀬は精神を集中し気合いを入れて対峙した。

「コイツ等が『赤い悪魔』なのか?」

 物ノ怪世界で「赤い神」を殲滅したにはしたが、夥しい数のヤツ等を一挙に潰したせいで、ヤツ等がどんな姿形など見る暇もなかった。赤いのと黒いのがいた以外には何も知らない。

「ヤツ等は宇宙生物で、黒いのは幼体、赤いのが中間体だ。異宇宙から来たと言われている」

 七瀬の呟く疑問に、いつの間にか背中を合わせている妖魔軍の若者が答えた。

「お前はどこから来たんだ?」

「ワタシは地球人だ。これは戦争なのか?」

「ここで何が起きているのかは、後で教えて上げるよ。生きていたらな」

「やるしかないか」

 七瀬奈那美は、開き直って赤いヒト型生物の群れの中に突っ込んだ。七瀬の掌底が群れる生物を捉え、槍に変化したオレンジ色の光が貫いた生物達が溶け出した。

「何だ、これは」

「コイツ等は幼体だから、見た目よりも弱い。それよりも、救援機が来たら機体を包む黒い霧の中へ飛び込め」

 背後から、飛んで来た飛行機械が七瀬と兵士を拾い上げた。一瞬で飛行機械の中へと移動した。機内に見た顔の男達が立っている。

「お前はビルデ・ガルデ、それにマルゴじゃないか」

「光護崇高神様。御活躍のみぎり、何よりで御座いますな」

「ヌシ、やっぱり生きてたかぁ?」

 兵士達がビルデ・ガルデとマルゴにひざまずいている。

「お前等な、来るならもっと早く来いよ」

「ビルデ様、この者は?」

「この御方は光の神の力を持つ我等が援軍、光護崇高神様だ」

「援軍?勝手に決めるな」

 魔王ビルデ・ガルデが御座なりの心配を口にした。

「光護崇高神 様、マルゴからヤツ等の引時空間に取り込まれたと連絡があり、心配しておりましたぞ」

「いきなり異空間に引っ張り込まれたが、大した事はない。それよりこの状況を説明してくれ。何がなんだかさっぱりわからない」

「ここは、我等が『赤い悪魔』であるモノボラン星人軍団と交戦中の最前線です」

「戦況はどうなんだ?」

「ヤツ等は常に増殖し続けており、流石にここまで膨れ上がったのを倒すのは容易ではありません。しかも、既に我等β宇宙の妖魔世界以外の殆どはヤツ等に破壊されてしまっています。我等の宇宙が消滅するのは時間の問題です」

「こんなヤツ等が宇宙を潰し廻っているのか……宇宙を潰す目的は何なんだ?」

「ヤツ等モノボラン星人は宇宙を潰したと同時に幾つかに分かれて他宇宙へと翔び、翔んだ先の宇宙で更に増殖して宇宙を破壊し、それを永遠に繰り返しているという事なのです」

「気が狂っているな。ヤツ等の弱点は、やはり「水」なのか?」

 七瀬は、π宇宙の物ノ怪世界に侵入した「赤い神」をヤツ等の唯一の弱点であるという「水」で殲滅させた。定かでない記憶の中ではそうだった・と思う。

「ヤツ等はほぼ完全な戦闘生物であり、神水に溶けるという事以外に弱点はありません。宇宙に侵入した直後のヤツ等なら、即刻叩くという手もありますが」

「デカくなる前に潰か、水で溶かすかって事か」

「それ以外にヤツ等を倒す術は見当たりません。既に、β宇宙にはオニガホシの我等妖魔族以外には存在していません」

 その一言で、β宇宙の悲惨な状況、非常事態がわかる。そして、同時にヤツ等がどれ程の強さなのかもわかる。

「この状況じゃ話にならないな……しかも、ヤツ等は水を操って津波で妖魔軍を攻撃していたからな。単純に水を掛けたくらいじゃ勝てないだろう」

 ヤツ等が水に弱い事は既に判明しているから、物ノ怪世界で使った降雨作戦は有効ではあるのだろうが、ヤツ等にも学習能力はあるだろうからそれ程期待は出来ない。何と言っても、弱点である筈の水を自らの攻撃の一つとして実践的に使っている事を考えるならば、降雨以上の作戦を用意する必要がある事がわかる。

「ヤツ等への攻撃に、秘密兵器はないのか?」

 無邪気に言った七瀬の言葉に、魔導士ビルデ・ガルデからの返答がない。それはそうだろう、そんなものがあるならβ宇宙に危急存亡の時は訪れていない。

 重い空気がその場にし掛かったその時、妖怪悪魔軍司令部に緊急事態を知らせる奇妙な報告が入った。

「ビルデ様、第3エリアに変化あり。第98分隊が苦戦する前線でヤツ等を蹴散らす者達がおります。我等の者ではなく、物ノ怪軍でもありません」

 その報告に、ビルデ・ガルデは首を傾げるしかない。妖魔軍と物ノ怪軍以外には『赤い悪魔』と交戦出来る者など存在しない。

「あれは、何だ?」

 モニター画面が切り替わり、映し出された画像に七瀬は仰天した。間違いなく知った顔の者達、物ノ怪世界の長老妬唆之裡伽火とさのりかひと、小泉、前園の三人が無敵と言われる『赤い悪魔』達を、平然と、まるで対戦ゲームのように倒している。七瀬には話の流れが掴めない。何故あの三人が一緒にいるのか。七瀬は精神を集中して、妬唆之裡伽火とさのりかひを呼んだ。

「おい、妖怪爺さん」

 妬唆之裡伽火とさのりかひの天衣無縫な声がした。

「これは、これは、光護崇高神様では御座いませぬか。御久しゅう御座います。はてどちらに居られるのですかな?」

「煩い。そんな事よりも、β宇宙のアルビナク大王に私を殺れって言ったそうだな。お陰でエライ迷惑しているんだ」

「さぁ、何の事やらトンとわかりませぬな」

「ふざけるな爺・」

 その時、聞いた事のある二つの声がした。

「あっ先輩、無事ですか?」

「ケガしてまへんか?」

「お前等、そこで何やってんだ?」

 想像もしなかった状況に戸惑う七瀬に、小泉と前園は遊園地で戯れる子供のようにはしゃいでいる。嬉々とした声が響く。

「長老さんに元気玉もらって勇者ごっこしてるんですよ」

「そやで」

「勇者ごっこって、そいつ等は狂暴な宇宙を破壊する化け物だぞ・」

「物ノ怪村の時と同じで、楽しいですよ」

「大した事ないですよ」

 宇宙を破壊する『赤い悪魔』を相手に、遊園地気分の小泉と前園は能天気に遊んでいる。二人の屈託のない笑顔がモニターに映る。七瀬は妬唆之裡伽火とさのりかひへの怒りも忘れて、ウズウズした。

「何だか楽しそうだな。私も行く。爺さん、そっちへ飛ぶから私にも元気玉をくれ」

「御意」

「マルゴ、飛べ」

 七瀬奈那美は満面の笑みを浮かべ、マルゴの移動時空間に飛び込んだ。何とか対抗しつつも全滅さえも覚悟し、緊張感が途切れる事のない妖魔軍司令本部にいる兵士の誰もが、遊園地気分で悪魔を蹴散す三人と態々敵の真っただ中に乗り込ん行く一人に、言葉を失っている。

「ビルデ様、あの方は一体何者で御座いますか?」

「う・う・ぅん、説明が難しい。多分、あぁいう御方だ」「?」

「ビルデ様、我々も行きましょう」

 訳のわからない四人を見た妖魔軍1196部隊長が勇む気持ちを言葉にした。それは隊員達全ての意思でもあった。部隊員達の心の叫びが士気を増幅する。

「そうだな。皆、行くぞ」

 マルゴが移動時空間を飛んだ。七瀬の姿が消えて、モニターが映す場所へと一瞬で移動した。そこに妬唆之裡伽火とさのりかひがいた。七瀬は怒りをぶつけた。

「コラ爺、β宇宙の件だけじゃない。物ノ怪世界から「赤い神」と星羽をα宇宙の人間世界に追いやる作戦を立てたのはお前らしいじゃないか。そのせいで、人間世界の時空が崩壊したんだぞ」

「時空間は再生した。そして、崇高神様も小泉殿も前園殿もここに居られる、という事で御座いますよ」

「再生すればいいってものじゃない」

 妬唆之裡伽火とさのりかひは悪びれる様子もなく、作戦の現状を告げた。

「「我等の作戦」は全て順調に進行しております」

「煩い、何が順調だ。お前達にとって都合の悪い「赤い神」を、π宇宙の物ノ怪世界からα宇宙の人間世界へ追い出すというお前の胸くそ悪い作戦は、結局「赤い神が」人間世界に来なかった事で失敗したじゃないか?」

 妬唆之裡伽火とさのりかひは相変わらず悪びれた様子もなく、作戦の遂行についての概説を始めた。

「光護崇高神様は勘違いをされておられますな。まぁ、敵を騙すにはまず味方からと言いますので、仕方なき事ではありますが」

「何を言い訳がましい事を言ってやがる・」

 妬唆之裡伽火が続ける。

「「赤い神」はβ宇宙に侵入し、我等π宇宙へ侵攻しました。それを崇高神様の御力で殲滅していただき残ったヤツ等をα宇宙へと追いやるワシの作戦は、その半分は成功し半分はヤツ等に気づかれ頓挫したのですが、それは想定の内で御座いますよ」

「想定の内だと?その為に、α宇宙は時空間が崩壊し、お前のクローンの星羽と魔神デイダラは消滅したのが想定の内だと言うのか?」

「α宇宙は光護崇高神様が存命ならば再生される。星羽とデイダラは我が力で復活する事は容易。重要なのは、ヤツ等を一つのエリアに集めて殲滅する事なのです。その決戦の時に、ワシと妖魔族そして光護崇高神様がいれば、この作戦は成功する可能性が極めて高くなるという事で御座います」

「その為に、妖魔族に私を殺れと言ったというのか?」

「そうすれば、貴方は必ずここに来られる事になる。ワシに文句の一つも言いたいでしょうからな。ワシの作戦には崇高神様の御力が必須なのです。今、全てのヤツ等はワシの作戦通りにβ宇宙のこの特定エリアに集まっております。今こそヤツ等を殲滅致しましょうぞ。これが最後の聖戦で御座いますよ」

 全てが妬唆之裡伽火とさのりかひの作戦だったのだという。俄かには信じ難い。仮にそれが本当だとするならば、まんまとその作戦に乗せられて二度も戦った上に、三度目の「最後の聖戦」が始まるという事になる。

 この状況がちょっとムカつく状況ではある事は否めないが、毒を喰らって中途半端というのも嫌なので、皿まで喰らって乗せられてやろう。

 元気玉で正義の衣に身を包んでいる戦士小泉亰子が豪胆に叫んだ。

迂愚うぐなる者共よ。我が廉潔れんけつの白刃の錆となれ」

 同じく、元気玉で正義の衣に身を包んでいる戦士前園遥香が剛勇に叫んだ。

愚癡ぐちなる者共よ。我が正義の鋭刃えいじんの塵となれ」

 小泉と前園は既に気概の勇者に成りきっている。呪文とともに、赤子の手を捻る如く赤と黒の悪魔を切り裂いていく。二人の潜在能力は折り紙付きだが、空を埋め尽くす赤と黒の悪魔の軍団に、勇者は弱音を吐いて涙目になっている。

「あっ、ひえぇ、まだ、あんなにいるぅぅ」

「ぐぇぇ、気色悪ぅぅぅ」

「物ノ怪村で見たのと同じヤツ等だから、確か星を包み込む程の数がいる筈だ」

 吐き気をともなう程の光景は、トライポフォビア集合体恐怖症でなくとも目を覆いたくなるが、それは逆に涙目の気概の勇者の魂に火を付けた。軽い恐怖と緊張感は戦士を変異させる。小泉と前園が叫ぶ。

「ナメるなボケ。願・変異・巨大砲・」

「ナメたらあかんぞコラ・願・出現・超巨大砲・」

 全てを蹴散らす存在感を振り撒きながら、二人の勇者の剣は巨大な銃砲へと変異した。巨大砲は、勇気を魂に変え、赤と黒の化け物を一気に打ち砕く。地鳴りが大地を揺らす。立っているのがやっとだ。天空の赤い悪魔と黒い悪魔が砕かれて消えていくが、即座に新たな悪魔は出現する。

「キリがないな」

「魔導士ビルデ・ガルデ殿、今こそ千載一遇のチャンスじゃ。アレでいきますぞ」

「了解した」

「光護崇高神様、過日と同様で御座いますよ」

 妬唆之裡伽火とさのりかひの問い掛けの意味をビルデ・ガルデは即座に理解した。いきなり振られた七瀬奈那美は、わからないので成り行きに任せた。

「先輩、アレって何ですか?」「何ですの?」

「さぁ、何だろな?」

 妬唆之裡伽火とさのりかひとビルデ・ガルデが嬉しそうに印を組み、二つの秘術が発動される。

 多元宇宙には数え切れない核宇宙が存在し、宇宙孔で繋がっている。核宇宙の一つであるβ宇宙に侵入した『赤い悪魔』と呼ばれるモノボラン星人は、宇宙を破壊しながら増殖を続けている為にその数は把握出来ない。その『赤い悪魔』が一つの宇宙であるβ宇宙の、一つのエリアに集まっている。妬唆之裡伽火とさのりかひの言う通り、それがヤツ等を叩き潰す千載一遇のチャンスである事は間違いない。そして、妬唆之裡伽火とさのりかひと魔導士ビルデ・ガルデが発動した秘術は、そのチャンスを物にする絶対的な効果を持っている筈なのだ。

「人間世界・引・海・水・時空滑・孔・最大・解放」

「物怪世界・引・海・水・狸・穴・最大・解放」

 α宇宙アマノガワ銀河系恒星タイヨウ系属地球は、表面積の71パーセントを海水が占めている。その青い海の水面がキラリと光ると、海水が一筋、二筋と螺旋を描いて空へと舞い上がった。そしてそれは大量の水塊すいかいとなり、解放された時空間孔を伝ってβ宇宙妖魔世界惑星デルビル西エリアのデロコ周辺へと押し寄せた。

 π宇宙カイヨウ銀河系恒星バケモ系属惑星オニガホシも、表面積の57パーセントが淡水で覆われている。その澄んだ大河の水面がキラキラと輝いた途端、淡水の竜巻が螺旋状に空へと舞い上がった。そしてその大量の水塊すいかいもまた、時空間孔を伝ってβ宇宙妖魔世界惑星デルビル西エリアのデロコ周辺へと押し寄せた。

 天空に大量の水粒が出現し、猛烈なスピードで黒い雲を形成し雨粒となった。雨粒は躊躇なく嵐となって、次々と現れる赤い悪魔と黒い悪魔に襲い掛かった。現れては嵐の中で消え、また現れては嵐の中で溶けて消えていく。止む事を知らない嵐が赤く染まった。真っ赤な雨が地上に降り注ぐ様子は不気味ではある。

「先輩、あれは何ですか?」「何やらわかりまへんね」

「ヤツ等の最大の弱点だよ」

「あっ、わかった。水だ」「そうや、前にもこんなんがあったような……」

 二人の気概の勇者は、敵の最大の弱点という頼りになる助っ人の登場に歓喜した。

そのタイミングで、妬唆之裡伽火とさのりかひとビルデ・ガルデが七瀬奈那美に向かって叫んだ。どうやら七瀬の出番のようだ。

「光護崇高神様、今です。光護の光で、ヤツ等の封印を願います」

「今こそ、この作戦実行の時です」

 どうやら、ビルデ・ガルデもこの作戦を知っているようだ。結局は妬唆之裡伽火とさのりかひてのひらで踊らされているようで気に入らないが、役立たずと言われるのも癪だ。七瀬は両手に集中し、オレンジ色の光を拡散させた。光は有限の範囲に収束する事なく拡大し続け、全空を輝くオレンジ色に染めた。嵐と赤い雨とをオレンジ色の光が覆い尽くした。

 豪雨が止んだ。地上に赤い川が流れているが、空にも地上にも見渡す限りの範囲にヤツ等の姿は見えない。

「先輩、終わったんですかね?」

「ウチ等が勝ったんちゃう?」

「さぁ、どうなのかな」

 カルビナク大王が言った。

「いえ、まだヤツ等の攻撃は終わっていません。愈々本体の攻撃が来るでしょう」

「本体って何だ?」

「何、そうなのか……」

 妬唆之裡伽火の落胆の声がした。

 赤と黒の溶けた川の岸に何かが立っていた。優に3メートルはあろうかと思える程の白熊に似た生物が「オレは万喰バク」と言って七瀬奈那美に近づいた。近距離で身構えた一瞬の隙を突いて、一気に首を伸ばした白い生物が七瀬の頭部に噛みついた。七瀬の頭が白い生物に喰われている奇妙な光景に一同は驚くしかない。

「先輩、生きてますか?」「不気味やけど、生きてはります?」

「心配するな、こんな訳のわからない化け物に喰われて堪るか」と七瀬の声がした。

 その声が終わらない内に、白い生物が徐にオレンジ色に変色し始め、全身が変色し終わったと同時に熊のような生物の身体は収縮を始めて、そして消えた。

「先輩、今度こそ終わったんですかね?」

「そうやで、ウチ等が勝ったんちゃう?」

「さぁ、どうなんだろな」

「いえ、まだまだヤツ等の攻撃は終わりではありません。本体兵器の攻撃が来ます」

 その言葉通り、次の兵器と思われる何者かの声がした。いつの間にか青緑色の人型生物が中空に浮いている。全身が青緑色のバトルスーツを纏う兵士らしき姿をしている。まるでカエルのような趣味の悪さが滲み出ている。 

 青緑色の人型生物の頭部には巨大な岩石が付き、何故か両手には異様に巨大な三本指が付いている。人のようで人ではない不格好な生物が何やら勇ましく喋り出した。 

「オレの名は、青緑魔神罵唯亜バイアだ。お前、凄いな。第一兵器の畏怖イフの爆裂を蹴散らし、第二兵器の狙喰ソジキの引時空間をブチ切って、第三兵器の万喰バクの溶解さえも弾き飛ばすとはな。ちょっと感動したぜ。だが、例え誰だろうと俺には敵わないぜ。俺は時空間を分離する。分離空間の中では全てが消滅する。空間消滅に震えるがいいぜ。覚悟しろ」

「随分と前置きが長いな」

「ほぅ、いつまでそんな姿でいられるかな。レベルMAX」

 青緑色の人型生物が三本指を翳し指先が光り出した後、指を握り締めた、その途端に指の前方にある建物の真ん中に三本指の型の穴が開き、ビルが崩れ落ちた。何が起きているのか、一同には理解が出来ない。

「あれは青緑魔神罵唯亜バイアの空間消滅です。光子を放ち、包み込んだ空間を焼き尽くす絶対的攻撃です。防御策はありません」

 ビルデ・ガルデが謎解きをした。七瀬は驚く事もなく冷静にどう対処すべきか思案に暮れている。光子、つまりは高出力レーザーのようなものらしい。

「さてと、どうしたものかな」

「先輩、私がやります」

 唐突に小泉亰子が口端を上げながら言った。小泉がこういう顔をする時は何か悪巧みをしようとしているに違いない。

「小泉、大丈夫なのか?」

「全然、大丈夫です。秘策がありますから」

「秘策?あれ、へぇ」

 七瀬が独り言のように何かを呟いた。

「小泉よ、珍しくヒカリの姉御が「お前について行く」と言っているぞ」

 七瀬のオレンジ色の光には自我があり、何と言っても光の神の意識なので、かなり頼もしい。

「是非お願いします」

 オレンジ色の光が小泉京子の肩に乗ったが、妬唆之裡伽火が不安そうに言った。

「崇高神 様、無茶ですぞ。ニンゲンがヤツ等に敵う筈がない」

「まぁ、大丈夫じゃないかな。ヒカリの姉御もいるし」

「そんな無謀な。ヤツ等は星さえ瞬時に消滅させる力を持っているのですぞ」

「まぁ、いいんじゃないか?本人がやる気なんだから」

 妬唆之裡伽火とビルデ・ガルデは七瀬の言葉に嘆息した。

「小泉チャン、思イ切リヤッテ。防御ハワタシガ完璧ニスルカラ」

「あれ、喋れるんですね。じゃあ宜しくお願いします」

 そう言った小泉は何かを呟き始めた。元気玉の効力は未だ切れていない。呪文に呼応して赤く燃える刀剣が光り出し、小泉の身体がオレンジ色に輝いた。

「無茶だ。単独で勝てる相手ではない」

 小泉に向かって翳した化け物の三本指が光り出した。指を握り締める。

「駄目だ・」

 ビルデ・ガルデが息を呑んだ。小泉の身体は周囲の空間とともに一瞬で消滅した、筈だった。だが、逆に青緑魔神の身体の大半が抉られて、肉破片となって飛び散っている。

「何だ、何がどうなったのだ?」

 小泉亰子の前に巨大な鏡が出現している。

「なる程な、秘策とはそういう事か」

「はい。先輩がいつも言ってる「物事には常に表と裏がある」で思いついて、空間を消滅させる光子を鏡で反射させたんです」

 青緑魔神罵唯亜バイアが命辛々からがら逃げ出した。その背後を黒い光が貫き、青緑魔神罵唯亜バイアが爆裂して消えた。

 黒い光の正体は直ぐにわかった。今度は中空に漆黒のヒト型生物がいる。展開は速いが、色が変わっただけにも見える。

「ワシは、宇宙最強の黒魔神魔腔亜マクアじゃ。罵唯亜バイアのように愚かではない。一瞬で終わりにしてやる。まずはキサマからじゃ」

 黒いヒト型生物は、口から劫火を吐いた。そこに前園が立っている。

「姉御、今度は前園に付いてくれ」

「了解」

 驚嘆の声を上げた前薗が黒い炎に包まれている。炎を流れる風に変えるオレンジの光が問い掛けた。

「大丈夫デスカ?」

「えっ、誰?」

 どこからか聞こえるその言葉に、前薗は不安そうな声を出した。

「前園チャン、ワタシはオレンジ色ノ光」

「先輩のオレンジ色の光さんですか?」

「ソウ、ワタシはアナタノ味方デス」

 その言葉は震える前薗の頭を優しく撫でるように包み込んだ。不安な気持ちは一瞬にして消え、奮い立つ勇気に変化した。「頑張ります」と、前薗の力強い声がした。

 その頃、七瀬は思案をめぐらしていた。宇宙最強という黒い化け物をどうやって倒すか。弱点のない生物などこの世に存在しない。天空を飛び回っていた赤と黒の生物は水に極端に脆弱だった。物ノ怪世界で戦った時も今回も、同じように水に触たれただけで溶けてしまった。それなら、そいつ等の親玉であろう黒い化け物が水に溶けない筈はない。試してみる価値はある。

「爺さん、まずはアレでヤツの様子を見る」

「御意。瞬時乞雨・」

 七瀬の作戦に適宜に応える妬唆之裡伽火とさのりかひが呪文を唱え、再び水を呼び大粒の雨を降らせた。雨は次第に勢いを増し、黒い巨大な化け物の全身に叩きつけるように降り仕切った。

「水こそがヤツ等を叩き潰す答えだったのか……」

 水は宇宙最強の悪魔をも倒せる可能性を秘めた魔法のアイテムに違いない。水の効力にビルデ・ガルデは目を輝かせた。

「いや、そんなに簡単じゃないと思った方がいい」

 いつになく慎重に七瀬が答えた。七瀬の予想通り、魔法のアイテムである筈の水を全身に浴びた黒い化け物に特段の変化はない。それどころか黒光りするその姿は勇壮でさえある。正体不明の霧状の何かが化け物を蛇のように這い廻りながら包み込んでいるのが見える。

「爺さん、ビルデ・ガルデ、あの黒いのは何だ?」

「さぁ、何で御座いましょうか?」

「残念ながら、不明です」

 黒光りの化け物が、自分の存在を主張するように吠えた。

「愚かな奴等じゃ。ワシには神水など通用せぬ」

「控えろゴミ共、黒神様の有り難い御言葉だ。有り難く聞くが良い」

 黒い化け物の頭上に現れた小さなピンク色の魔物が叫んだ。

「妖魔軍よ、良く聞け。模呑吠乱モノボラン大魔王様は既にこのβ宇宙を手中に治めておられる。キサマ等との戦いなど宇宙を潰すまでの余興に過ぎぬのじゃ。キサマ等は良くやった、褒めてやろう。だが遊びは終わりだ、燃え尽きるが良い」

 黒い化け物の身体を這い廻る霧の蛇が燃え出した。昇る黒い蛇のように炎が天に舞い上がり、同時に前園に纏わりついている黒い炎までが勢いを増した。

「怖イデスカ?」

 黒い炎に巻かれた前薗は、オレンジ色の光の中で唇を噛み悔しそうに、涙きそうな顔で首を横に振ったが、膝は震えている。

「恐ロシクテ当タリ前。コレハゲームデハナク殺シ合イ、戦争ナノダカラ」

 黒い炎は、気を抜いた瞬間に喰らいつきそうな獣の殺意を放って、執拗に前園に纏わりついている。

「デモ、泣イテイル時間ハアリマセン。サァ、一緒ニ反撃シマショウ」

 涙目の前園はコクリと頷き、そして目を瞑り意識を集中した。前薗の心理の底から溢れ出る凍り付く程の恐怖は、ヒカリの言葉で戦士の強固な意思に幾何級数的に変化した。

「怖いけどムカつく。ボケ、やったるわい」

 前薗は叫び声を上げながら両手を翳し、重く苦しい恐怖を粉砕する正義のレーザー砲をイメージした。強烈な思いは目の前に戦車の如き重砲レールガンを出現させた。恐怖を掻き消す前薗の叫び声とレールガンの爆裂音が木霊す。

「サァ、ワタシヲ弾ニ変エテ全テノ意識ヲ解放シナサイ」

「ラジャー」

 復活した元気印の前薗のレールガンは黄金色に輝き出した。

「準備完了、撃ッテ撃ッテ、撃チ捲レ」

 オレンジ色の光弾を放ち続けるレールガンが全てを蹴散らすように唸りを上げる。

「馬鹿め。こんな玩具のような武器でこのワシを倒せるとでも思っているのか。何だこんな・もの・?」

 小動物が操る爆裂する黄金色の重火器に、黒い化け物は不思議な違和感を覚えた。小さなニンゲン生物如きが操る背丈の倍以上もある砲弾兵器から飛び来るオレンジ色の光の弾に、驚くような衝撃はない。だが、光弾が当たる度に宇宙にその名を轟かす最強魔神は、今までに受けた事のない、針が突き刺さるような鈍痛を感じた。それが何なのかはわからないが、確実に嫌な感覚は増大してくる。一発の弾が魔神の黒い炎に溶けて燃えた。バリアが消えていく。「マズい・」そんな感情が湧く。宇宙最強の魔神が本能的に背を向けた。黒い化け物が逃げる。

「私が止めましょう」

 ビルデ・ガルデは両手で印を組み、人差し指と親指を合わせ。出現した四角い空間が黒い化け物を容赦なく捉える。

「例えこの宇宙を破壊する力を持つヤツであろうが、短時間なら私の魔空間の中から出る事は出来ません」

「前園、ヤツは動けない。今だ、撃って撃って撃ちまくれ」

「ラジャー」

 即席地球防衛軍隊長七瀬の無邪気な指令に、実直に応える戦士前薗の弾んだ声が聞こえた。

 黒い炎のバリアを剥ぎ取られて身体の自由を奪われた化け物の頭部を、オレンジの光弾が貫いた。黒い化け物は断末魔の悲鳴さえも潰され爆裂して消えた。

 魔導士ビルデ・ガルデは驚嘆した。

「どうなっているのだ、青魔神といわれた青緑魔神罵唯亜バイアと黒魔神と言われた黒魔神魔腔亜マクア。どちらも、β宇宙を恐怖のどん底に叩き込んだあの魔神戦士が何と呆気なく……」

 ビルデ・ガルデの驚嘆が止まらない。

「崇高神様、どんな魔術を使ったのですか?」

「いや、難しい事じゃない。何故ヤツが弱点の水に反応しなかったのか。それは黒い炎を纏っていたからだ。ヤツの黒い炎は、多分私のオレンジ色の光と同じ絶対防御の力だ。何故同じ力があるのかはわからないが、二つの力は相殺し消滅する。黒い炎さえ消せれば、ヤツがどんなに屈強な化け物だろうと倒す事は出来る」

「なる程、そういう事で御座いましたか」

 夥しい数の赤と青の生物を殲滅し、宇宙最強の青魔神と黒魔神を倒した。大勝利である筈の現状にビルデ・ガルデの表情が優れない。ビルデ・ガルデが何かを言おうとして口籠った。

「どうしたんだ?」

 カルビナク大王が絶望的な声を出した。

「ヤツが来る事に変わりはありません……」

「ヤツ?」

青緑魔神罵唯亜バイア黒魔神魔腔亜マクアという宇宙最強の悪魔を倒したと言えども、所詮は模呑吠乱モノボラン大魔王のクローンに過ぎません」

 ビルデ・ガルデは神妙な顔で言いながら、微かに恐怖する己を恥じた。

「ビルデ・ガルデよ、模呑吠乱モノボラン大魔王って何だ?」

「この世の全てを破壊し尽くす闇の神の化身と言われております」

「高々化け物の親玉如きに、随分と弱気だな」

「ヤツは次元が違うのです」

「そうなのか?」と言った七瀬の頬を空気を引きずる生暖かい風が通り過ぎた。天空に何かがいる。

 ビルデ・ガルデが「やはり・来た」と言って天空を指差した。輝く天の月を覆い尽くす程の巨大な円形の物体、一瞬ではその存在自体を把握出来ない何かがそこにいるが、逆光で姿は確認出来ない。

「あれが宇宙の赤い悪魔、模呑吠乱モノボラン大魔王です」

 ビルデ・ガルデは、そう言ったまま呆然と空を見上げた。何かは静かに一同の真上まで移動し停止した。逆光で見えなかった姿が、漸く赤、青、黄色が混在した途轍もなく巨大な球体である事がはっきりと見てとれる。

「こりゃデカいな」

 唯只管ただひたすらに巨大だが七瀬に恐怖はない。何故なら、七瀬は赤い悪魔模呑吠乱モノボラン大魔王がどれ程の強さなのかなど知らない。知らないものに恐怖するのは道理に合わない。妖魔族を統べるカルビナク大王や妖魔を従える魔導師ビルデ・ガルデが恐怖するのは、ヤツの強さを知っているからだ。七瀬は軽い調子で大魔王退治を口にした

「じゃあ、行くかぁ」

 カルビナク大王とビルデ・ガルデ、そして妬唆之裡伽火とさのりかひが、単独で向かっていく七瀬に慌てた。

「崇高神様、相手は宇宙を消滅させる力を持った悪魔ですぞ、我が妖魔軍とともに戦うのが良策かと存じます」

「大丈夫、私だけでいいよ」

「いや、それは無茶苦茶です」

 仰天するビルデ・ガルデの声が上擦うわずっている。幾ら七瀬が光の神の使いであろうと、相手が悪過ぎる。余りにも無謀と言わざるを得ないのだが、七瀬が引く事はない。

「ビルデ・ガルデを共に行かせましょう」

「いえ、ワシが参りましょう」

「いいんだよ」

「何故で御座いますか?」

「何故って?そんなの、私の出番だからに決まっているだろ」

「出番?」「?」「?」

 七瀬の身体を包み込むオレンジ色の眩しい光が一気に膨張した。七瀬はオレンジ色の神の意識に告げた。

「姉御、ヤバそうだから最初から飛ばしていくよ」

真姫マコチャン、本気ダネ』

「当然だ。宇宙の命運が掛かっているらしいからね」

『ヤル気十分ナンテ、珍シイネ。ドウシタノ?』

「理由なんてないよ。まぁ、そんな事もあるさ」

 その積極的な行動に理由などない、唯の気まぐれだ。七瀬のオレンジ色の光は更に光り輝き、白色の光の塊へ変化しながら一気に膨張した。それでも、模呑吠乱モノボラン大魔王の巨大さとは比べようもない。

「ニンゲン共よ、お前達は良く戦った。褒めてやろう、褒美はキサマ達全ての一瞬の死だ。ワシの本当の力を見せてやるぞ」

 山程もある模呑吠乱モノボラン大魔王が燃え出した。赤い邪気を振り撒く激しい炎が、容赦なく周囲の物質を焼き尽くしていくが、白色の光の塊は強靭な意思で立ちはだかるように一歩も引かず対峙した。

「何が一瞬の死だ、ノータリン野郎」

 模呑吠乱モノボラン大魔王は一目で七瀬奈那美の力を見通した。

「ほぅ、お前のその力は光の神の意識ではないか。だが、そんなものはワシの力たる闇の恐怖の足元にも及ばぬぞ」

 闇の力を放つ模呑吠乱モノボラン大魔王の赤い炎が漆黒の冷たい炎に変化した。七瀬の白い光の塊と黒い炎が鎬を削る戦況を見つめる五人が叫ぶ。

「光護崇高神様、負けてはなりませんぞ」

「崇高神様、宇宙は貴女の肩に掛かっております」

「崇高神様、きっと貴女なら勝てる・気がします」

「ヌシ、頑張れ」

「先輩、負けちゃ駄目です」

「先輩、ガンバやで」

 魔導士ビルデ・ガルデでさえ恐怖する宇宙の化け物相手に単身で対峙するこの状況で、七瀬奈那美は口端を上げて微笑んでいる。勿論必勝の根拠はないが、だからと言って七瀬奈那美に敗北など存在しない。

「私の辞書に敗北の文字などない。黙って見てろって」

 そう言いながら、七瀬奈那美は思った。この化け物は強い、自分の持つ光の神の力を最大限に駆使しても敵わないのではないか、そう思わせる程に絶対的な力の差を感じる。気合いで何とかなるレベルではないだろう、絶対に勝てるとは到底思えない。

「なる程、宇宙最強は流石に違うな」と黒い化け物に感心した。だが、この世に絶対はない。自分が宇宙最強の絶対的な力を持っている訳ではない事くらいはわかっている。それでも、いざ自分に相手よりも力がないとわかると、ちょっと情けなさと悔しさが込み上げて来る。

真姫マコチャン、コノママ負ケタラ悔シクナイ?」

「まぁ、このまま負けるのは悔しいね。でもそれ以上に、ワタシに敗北というものは存在しない。姉御も知ってる通り、私にとって負けるという事は自らの存在を否定される事と同義語だ」

「真姫チャン、イクヨ」

「当然」

 七瀬奈那美の苦渋の叫びが響く。七瀬の持つ光の神の力は既に限界を超えている。それでも硬直しそうになる身体を前へと押しやり無意識に所定の目標を達しようとしている。このままでは身体が張り裂けるだろう。仮にそうなったとしても、それはそれで仕方がない。「世の中はなるようにしかならない。だから今やれる事を一生懸命にやれば何とかなる。ならなければ、その時は諦める」それが七瀬の座右の銘。

 七瀬の悲痛な叫びが頂点に達したその時、赤、青、黄色、三色の奇妙な玉がどこからともなく現れた。

「モウイイ・ヤメロ・」「モウイイ・クダラン・」「モウイイ・ツマラン・」

 頭上に現れた三つの玉は、そう呟きながら衝突する漆黒と白色の光の周りを回り出し、一つに融合し虹色の玉へと変化した。更に虹色の光が白く輝く光に変わっていくと、その中に魔法陣を映した。

妬唆之裡伽火とさのりかひ殿、あれは光虹こうぎの玉ではないですかな?」

「確かに、あれは語り継がれる光虹の玉に違いない。為らば、あれはβ宇宙を治める宇宙神か?」

「いや、我等β宇宙の宇宙神レガル様は既に居られない」

「我等π宇宙にも宇宙神はいない」

「では……α宇宙の・」

「そういう事になりますな。魔法陣が……」

「間違いない、あれこそα宇宙の宇宙神……」

 虹色の玉の中に現れた魔法陣、その中から出て来た白い何かは次第にヒトの姿に変貌すると、三つの光がその肩部分に留まった。

 ヒト型の影を映す白い光の戦士は、漆黒の光を挟撃するように白色の光の反対側に位置した。2メートルはあろうかと思われる白い光のヒト型戦士が言った。

「邪悪なる模呑吠乱モノボランよ、お前は光の神の鉄槌を受けねばならない。覚悟せよ」

「何だと、キサマは誰だ?β宇宙の宇宙神は既に種の限界を迎えた筈……」」

 白い光の戦士が叫ぶ。

「邪悪・者・消・滅」

 地震のように時空間が激しく振動した。同時に、天空を突く光の戦士の右腕から神の力が人差し指の一点に集中し、光の戦士の人差し指から無数の光の槍が激しい勢いで螺旋を描きながら飛び出した。飛び出た無数の槍は、容赦なく模呑吠乱モノボラン大魔王を縦横無尽に串刺しにした。

「こんなもの・」

 模呑吠乱モノボラン大魔王は光の槍を跳ね返そうと激しく足掻あがいたが、光の槍は大王を串刺しにしたままビクともしない。無数の光の槍は大魔王を縦横に串刺しにしたまま轟音をともなって爆裂し、巨大な大王の身体が肉片となって飛び散った。

「勇気ある者達よ、去らばだ。いつの日か再び会おう」

 眩しい閃光の後、白いヒトは天空に溶けて消えた。それが誰だったのか、α宇宙の宇宙神だったのか、α宇宙の宇宙神が何故β宇宙にいるのか。そんな事は、七瀬にはどうでもいい。

「何だ、今のは?」

 無敵の模呑吠乱モノボラン大魔王は地に響くような悲鳴とともに無数の肉片となって天空に舞い散った。

「さっきのアレは何だ?」

 赤い悪魔の本体が突然現れ突然駆逐された一連の出来事に、魔導士ビルデ・ガルデが呆けた顔で言った。

「恐らくは、α宇宙を治める宇宙神ではないかと思われます」

「何だよ、その宇宙神というのは?」

「それぞれの宇宙を治める光の神の使いと伝えられております」

 一件は落着した。またいつの日か、どこかの宇宙に異宇宙からの赤い侵入者がやって来ないとは言い切れない。だが、七瀬奈那美の座右の銘の通り「それはそれでやるべき事を一生懸命やれば、何とかなる」のかも知れない。

 β宇宙妖魔世界を統べるカルビナク大王と魔導士ビルデ・ガルデ、マルゴ。そしてπ宇宙物ノの怪世界の長老妬唆之裡伽火とさのりかひが感謝を示した。

「崇高神様、この度は我がβ宇宙の存亡の危機をお救いいただき、感謝の言葉も御座いません」

「感謝申し上げます」「ヌシ、サンキュー」

「光護崇高神様、我がπ宇宙もまた同様に御座います」

「煩い。礼ならあのデカい白いヤツに言え。私はお前等を救ったんじゃなくて、クソ生意気な化け物達と遊んでやっただけだ」

 小泉と前園が場を繕った。

「皆さん、先輩は恥ずかしがり屋なので」

「照れてるだけやからぁ」

「小泉、前園、余計な事は言わなくていい。とっとと帰るぞ」

「ヌシよ、オラが送ってやる」

「あぁ、頼む」

 その会話が終わった瞬間、七瀬奈那美と小泉亰子と前園遥香の姿が消えた。残された時空間移動を操るマルゴが驚きに言葉を失っている。

「マルゴ、どうした?」「どうしたのじゃ?」

「消えた……オラの時空間移動じゃない」

 不思議がるマルゴとビルデ・ガルデとカルビナク大王、妖魔軍の兵士達。そして、妬唆之裡伽火とさのりかひのいる空間が消滅して消えていく。

 消えた七瀬、小泉、前園の三人は後ろ向きに時空間を移動している。次々と時空間が崩壊しているのが見える。ビデオテープが逆回転で巻き戻っているようだ。

「先輩、これは時空間移動ってヤツですか?」

「いや、マルゴの時空間移動とは違う」

「ほしたら、またあの化け物の引時空間ってヤツですか?」

「いや、それも違う。それ等とは根本的に別物だ」

「じゃあ、何?」

「これが何なのかはわからないが、前にも同じ事があった。もしそれと同じだとすると、引っ張られた先には過去が待っている筈……」

「時間を遡っとるて事ですか、何で?」

 いきなりの七瀬の説明に、小泉も前園も理解が出来ない。

「過去ってどういう意味ですか?」

「先輩、身体が消えていきますよ」

 三人は、理解の追いつかない事態に悲鳴を上げる暇もなく、時空間の渦に巻き込まれて消えた。

 意識が戻ると、七瀬は独り超々常現象研究会の部室のある別館の前にいた。意識が混濁しているが、以前にこの場所に立っていたような気がする。デジャヴというものなのか。いや違う、過去に自分は確実にここにいた、そんな確信がある。

「あれ、今まで何をしていたんだったかな?」

 軽い頭痛と同時に微妙に意識が遠退く。何となく思い出せる部分的もあるが意識は薄い。確か……過去に飛んだんじゃなかったか。以前と同じだとすれば、過去に戻っている筈?

 外は台風でもないのに激しく雨が降っている。雨雲のせいで辺りは薄暗く、何かが起こりそうな根拠のない予感が膨れ上がる。七瀬奈那美は部室のある別館の入口前で一人の学生と出会った。隣の部室のラグビー部員だ。記憶が少しずつ戻ってくる。録画したビデオのようだ。

「姉さん、オハヨウッス」

「おぅ、随分早いな」

「昨日から朝まで飲み会で、これから朝一の講義に出るッスよ」

「感心だな。頑張れよ」

「ウッス、ゲロ吐きそうッス」

 頭は筋肉だが好感が持てる。七瀬は社会に出てこういうヤツがきっと出世するに違いない……と思いながら地下への階段を降りる。次に何かが起こる……ような気がする。次は……そうだ、子供だ。

 降りる途中、踊場で奇妙な子供とすれ違う筈……何となくそんな気がする。だが、すれ違う筈の子供とすれ違わない。大学のキャンパスにいる事自体が不自然な子供が……いない。それはそうだ、そんな子供がいる理由がない。

 地下へと階段を降りた。最奥の部室のドアが開いている。中の様子を窺いながら覗いた部屋にいる筈の小泉亰子が……いた。独りパソコンにカジリ付いている。

「あれ、小泉早いね」

「お早う御座います」

 顔も動かさず目もくれず、一心にキーボードを叩いている。

「小泉、今日もチャカ持ってんの?」

 小泉が鞄に銃を忍ばせている……そんな気がした。

「えっ、チャカ?そんなモン一般人が持ってる訳ないでしょ」

「まぁ、そりゃそうだよな」

「何故そう思うんですか?」

 何故か、何となくそんな気がした。七瀬はドアの外に神経を集中させている。何かがいきなり起こりそうな気がして落ち着かない。その仕草に小泉が不思議そうな顔をしている。特別な何かが来る事はなかった。

「先輩、今日は何かヘンですよ」

「そうかも知れない。でも、気にしなくていいよ」

 雨音が聞いた事のあるリズムを打ち、気のせいか雨の中で微かに風の音がする。

 窓の外に白い雪が舞っていた。


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時空超常奇譚3其ノ七. OTHERSⅢ/最後の聖戦 銀河自衛隊《ヒロカワマモル》 @m195603100

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