第2話 出会い

 その日の、窓から見える空はどんよりとして気が滅入るものだった。

 夜には大雪が降ると昨日の天気予報アプリに書いてあったのを思い出した。


 しかし、大雪どころか自分の人生が激変することがこれから起ころうとは、その時の僕は全く予感しなかった。


 そんなことより、カレンダーアプリの今日の日程に『単位認定テスト!絶対出席!!』の文字が出てくるのを見て、僕は白い溜息を部屋中に満たした。


 今は1月。大学へ行くのは半年ぶりだ。


 幼少期から、母親代わりの10歳年上の姉を尊敬していた。

 姉と同じ大学に入り、一緒の研究室に入るのが、僕の人生の目標だった。


 体力に自信がなかった僕も、勉強だけは得意だった。

 小学校高学年の時、テストで全教科100点を取り、先生やクラスメイトに賞賛される快感を知った。


 それ以来、毎日勉強しかしてこなかった。趣味もなければ恋愛にも興味がない。

 受験勉強を乗り切るため、毎朝のラジオ体操だけは欠かさなかった。


 ちょうど一年前。姉の勤める大学と学部を第一志望として挑んだ大学受験。

 結果は全滅。


 志望の大学と志望の学部に軒並み落ちた。

 第8希望の、しかも望んではいない大学の望んでいない学部だけがかろうじて、引っ掛かった。


 憧れの姉と同じ大学の研究室で働く僕の人生の最大目標はそこで潰えた。

 親が残した預金通帳には、一年間浪人生活できるだけの貯蓄は残っていなかった。

 

 そんな気持ちで入った大学だが、次第に足は遠のき、夏休み以降はほとんど授業に出なくなった。

 毎日ゲームと読書に明け暮れる、怠惰な生活を続けてきた。


 だが、今日のテストだけでは受けないと、単位がマジでヤバイのだ。

 留年して、姉にこれ以上迷惑はかけられない。


 僕は、机の上のレーズンパンを、コップに一口分だけ残っていた牛乳で流し込んだ。

 身支度を整え黒のダウンジャケットを羽織ると、本棚から真新しいままの教科書を取り出し、鞄に詰め込んだ。


「行ってきます。」


 誰もいない玄関でそうつぶやくと、車庫に向かい車に乗り込んだ。



 大学へ行く道は、半分忘れかけていて、少しずつ思い出しながら運転する。

 憂鬱な気分だ。


 国道につながる交差点で、信号は赤に変わり、ブレーキを踏んだ。


 そういえばここの信号長いんだっけ……。


 少し寒い。

 エアコンのスイッチを入れることすら忘れていた。


 スイッチを探すと、スピードメーターの横に見慣れない小さなボタンがあることに気がついた。


 謎の小さなボタンの周りは青く点灯している、。


「当分の間車を使うんじゃないぞ、使ったら殺す」


 先週姉はそう言い、当面車の使用を禁止した。理由は不明。

 

 しかし、スペアキーを密かに作り持っていることを、姉は知らない。


 僕は、信号待ちの間、エアコンをつけるのも忘れ、ボタンから発せられる青い光に見とれた。

 頭の中で自分の思考の声が聞こえた。


(このボタンを押すことによって、今の怠惰な生活から抜け出せるんじゃないか。)


(ここじゃないどこか、今じゃない何時かに、連れて行ってくるのではないか。)


(僕の運命が変わるんじゃないか。)


 なぜそう思ったかは今でもわからない。


 僕は唇を軽く噛んだ。そしてボタンをグッと奥まで押し込んだ。


「……。」


 何も変わらない。


「……まあ当たり前か。」


 その時。


 車からウィーンという機械音がして、車体全体がグラグラと揺れはじめた。


 次の瞬間、視界が揺れた。息が止まる。


 青白い光。




 ……数秒後、振動と光が同時に収まった。


 目を開き、車内から前方を見渡す。

 目の前に信号は無く、道路も無かった。


 住宅街も信号も道路も無く、出勤前のサラリーマン達も見えなかった。

 見知らぬ海岸と、数百人の戦う武者と馬が見えた。



「ここは、どこ?っていうかいつの時代?」


 時代劇の撮影じゃないことは、漂う血の匂いですぐにわかった。

 夢じゃないことは、猛烈な吐き気をもよおしたことでわかった。


 僕はドアから飛び出し、膝を突き吐いた。


「オエェエェェ。」


 砂の上に、朝食のレーズンパンと腐っていたらしい牛乳を全部吐き出す。

 吐き終わると、ようやく状況がわかってきた。


 馬のいななき、武者達の掛け声と悲鳴。

 飛び交う弓。

 戦場だ!


「いかん、死んでしまう。」


 僕があわてて車に這い戻ろうとしたときだった。

 5メートルほど先にいた彼女と目が合ったのだ。



 大柄な武者が小柄な武者にまたがり刀を振り上げ首を切ろうとしていた。

 

 小柄の方の武者の顔が見える。

 瞳は紅く、口元は死を目前と強いるにもかかわらず、わずかに笑みを浮かべていた。

 大柄な武者は、なぜか刀を振りあげたまま動かない。


 気が付くと、僕は砂を蹴りダッシュしていた。

 そしてそのまま大柄の武者にショルダータックルをかました。


 予期せぬ方向からの攻撃に、大柄な武者はもんどりうった。


 僕は小柄の武者の手を取り身体を起こすと、そのまま背負い、全力疾走した。

 甲冑が思いの外、重い。


 スニーカーの中に砂が入ってくるが、そんなことはお構いなしだ。

 途中さっき僕が吐いた、レーズンパンだったものを踏んでしまったが、そんなことはお構いなしだ。


 車の後部座席を開けて、武者を放り込みすぐドアを閉める。


 運転席に座る。早くさっきのボタンを。


 ボタンは赤く点灯していた。

 僕は迷わずボタンを連打する。


「早く、早く!」


 大柄な武者が呆然とした顔で車に近づいてくる。


 バックミラーに映る、後部座席の武者は、どうやら気を失っているようで目をつむっている。

 

 大柄な武者が後一歩で車に届くという瞬間、車からウィーンという機械音がした。

 車体全体がグラグラと揺れはじめた。


 赤い光。





 車は先ほどの信号待ちの道路に戻っていた。

 ボタンは消灯した。


 僕は前を向きなおした。

 信号はまだ赤のままだった。




 


 

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