青葉(おおは)の笛 ~僕の初恋は平敦盛 異説タイムトラベル平家物語~

池田 裾兵衛

第1話 プロローグ 名前の価値

 「私はいつか一族の危機を救う。私はその為に生まれてきたのですね、父上。」

 

 父にそう尋ねる彼女はまだ生まれて5年しかたっていなかった。。

 父は娘の質問に静かにうなずいた。

 そして彼女の大きな目に宿る、緋色の輝きを見つめた。


「そうだ、そなたこそはわが一族の危機を救う者。救世主である。」


 父はそういうと懐から横笛を取り出し、おもむろに奏でだした。


 彼女は、神々しい気持ちになった。


(一族の危機を救うとはどういうことだろう。救世主ってなんだろう。私に何ができるだろうか。)


 自分にそう問いかけるが答えは出ない。

 しかし、父の笛の音は、ただ美しかった。




 彼女が誕生する10か月前、平経盛(たいらのつねもり)は、京都鞍馬寺で、読経の日々を続けていた。

 彼の6歳上の兄、太政大臣平清盛が病に倒れたのだ。

 彼は、境内に一人こもり、ひたすら経を読み、兄の回復を仏に祈り続けていた。


 寺に籠って3日目の朝。彼の頭の中に声が聞こえた。

  

『次にそなたの家に生まれる子が、男子で会ったら女子、女子で会ったら男子として育てなさい。さすれば、大願成就し、またそなたの一族の危機を救うであろう。』


 経盛はそのお告げに従うことを誓った。


 次の日から、兄清盛の病状は奇跡的に回復に向かい、翌月には政務に復帰した。。

 周囲は驚いたが、経盛は全く驚かなかった。


 翌年、経盛に子が生まれる。

 女子だった。


 瞳は燃えるような緋色。

 産婆たちはなんと美しい姫よと褒めたたえた。


 しかし、経盛は、お告げ通り赤子を男子として育てることを決めていた。

 経盛の妻は、夫の錯乱に驚愕し、輿入れしてから初めて夫に逆らったが、聞き入られなかった。


 その赤子は、姫ではなく、六男とされた。

 そして平家の公達として育てられることになった。

 その名を、平敦盛(たいらのあつもり)という。




 敦盛は成長し、京でも評判の美しい公達として評判を呼んだ。

 父に笛を習い、大人顔負けの腕前となった。


 評判を聞いた叔父、平清盛は、天皇・上皇を招いた宴席で、当時10歳の敦盛に笛を奏でさせた。彼女が奏でる調べは出席者を感動させた。

 彼女は後白河法皇より直々にお言葉を賜った。


 清盛はそれを大いに喜び、平家の家宝『青葉(あおは)』と『小枝(さえだ)』という二本の名笛を敦盛に与えた。




 時は流れた。

 平清盛は没した。

 京に木曽義仲軍が侵攻した。

 平家方は、京を脱出し、元服したばかりの敦盛もそれに同行した。


 そして、治承8年(1184年)2月7日、敦盛初陣。

 弱冠16歳。


 摂津国福原に陣を張る平家軍は、源義経の奇襲作戦に慌てふためき、もろくも敗走した。

 敦盛は悔しかった。

 源氏武者を倒し名を上げようと挑んだ初陣がとんでもないこになった。

 彼女は右往左往する味方に紛れ、何もできなかった。


(自分は一族を救う救世主ではなかったのか。)


 敗色が濃くなった。

 助け船に乗り込み逃げることになった。


(一戦もせず、ただ逃げるために生きている自分とは。)


 彼女は首をもたげ、馬を走らせた。

 


 その時。後方より声をかけられた。


「そこにいるのは、平家の大将軍とお見受けいたす!」


 振り向いた。屈強そうな源氏武者がこちらを見ている。


 彼女は迷わず、馬の頭をめぐらせた。

 刀を抜き相手に突進した。


 しかし、彼女の刀は空を切り、気が付くと馬からおろされ兜をはぎ取られていた。

 馬から落ちた時背中を打ち、身体が動かない。


 武者は、首を刈ろうと刀を振り上げたが、彼女の顔と身体を見て、手を止めた。

 そして彼女にこう尋ねた。


「いったいあなたはどういうお方ですか?お名乗りください、命だけはお助けしましょう。」


 彼女は、相手は自分が女であるがゆえに助命しようとしていることが判った。


「……そなたこそ誰であるか。先に名を名乗りなさい。」


 武者は熊谷次郎直実と名乗った。

 歴戦の勇者として、彼女でも聞いたことのある名前だった。


 彼女のほうは、名前を教えるつもりはなかった。


 (一族の救世主どころか、初陣で負けるような者の名前に、なんの価値があるのか。)

 (顔立ちと笛の腕だけの武士の名前に何の価値があるのか。)


 首を京にいた誰かに見せれば、誰であることがわかるだろう、と武者に答えた。


 彼女は目を閉じた。


(一族の危機を救いたかった。もう一度その機会を得る事が出来たら……。)


(そして、私は……。)


 彼女は神仏に祈った。

 彼女が自覚しない本当の願いを、生まれて始めて、祈った。


(ああ、私は……私の願いは……。)


 彼女は可笑しくなった。


 瞬間、周りが青白く光った。

 

 彼女は急に力が抜けるのを感じた。


 そのまま意識を失った。



 

 

 


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