(旧連載版 第11話)
ダンジョンの中はD
そしてこのD子の働きによって、地上では到底考えられないようなことが起こる。
一つ。D資源と呼ばれる特殊な資源が産出されること。
二つ。D生物(魔物)と呼ばれる、奇妙な生物が棲んでいること。
三つ。D子に影響を受けた人間が、異様な力を発揮すること――「魔法」。
魔法。
ダンジョンにおいて、D子を利用した冒険者たちが起こす非現実的な現象は、シンプルにそう呼ばれた。
手から火を放ったり、とんでもない怪力を発揮したり。
ファンタジーの世界にしか存在しなかったその概念は、いまやダンジョンという未知空間で、現実のものとなった。
ダンジョン黎明期の偉大な冒険家オリバ・ルーツは、「魔法の扱い方」について尋ねられた時、こう答えた。
「魔法を扱う上で重要なのは、自分が『何を望んでいるのか』をはっきりさせること。
自分が目の前に出現させたいものは、火なのか、それとも水なのか。
どれくらいの量の、どれくらいの質のものを望んでいるのか。
具体的に思い描き、心の底から望むことさえできれば、ダンジョンではそのイメージが、必ずや現実のものとなるだろう」
重ねて、「魔法の限界」について尋ねられると、彼は首を振ったという。
「望む方法さえ間違えなければ、どんなことでも現実になり得る。魔法にもし限界があるとするならば、それは人間の想像力の限界に等しい」
バチンッ。
何かを叩くような激しい音が耳に届いた。
そして俺は、自分の目を疑った。
足元まで迫っていたはずの巨大カブトガニが。
まるで透明な大男にでも蹴り上げられたかのように、吹き飛んだのだ。
無防備な腹を見せ、宙を舞う巨大カブトガニ。
その姿が、コマ送りのように感じられる。
ドサッ。
鈍い音を立てて、数メートル先の地面に落下した。
しばらく、茫然として動けなかったが。
はっと我に帰り、俺はゆっくりと立ち上がった。
地面についた尻を払い、右手からこぼしたこん棒を拾って。
巨大カブトガニにゆっくりと近づく。
ひっくり返ったカブトガニは、うじゃうじゃと足を動かしていた。
自力で起き上がることができず、もうこちらを攻撃してくる状態でないことは分かる。
ただひっくり返ったその見た目は……甲羅部分にも増して、グロテスクだった。
「うへぇ……」
蠢く巨大足の、夢にまで出てきそうなほどのおぞましさ。
「とりあえず討伐しなくちゃ……」
俺は右手のこん棒を握る。何度か叩けば、倒せるに違いない。
『ん……待てよ』
そこでふと、先ほどのことを思い出す。
カブトガニが、目の前から吹き飛んだ時のことを。
『さっきのはたぶん……魔法、だよな』
自宅の反転ダンジョンでは、幾ら試しても、何一つ起こらなかったのだが。
『通常のダンジョンなら……俺でも使えるのか?』
俺はこん棒を、アームシールドを装着したままの左手に持ちかえる。
そして空いた右手を、魔物へと向けた。
『望むことを……はっきりと……』
ダンジョンのガイドブックに書かれていた、著名な冒険家の言葉を思い出しながら。
俺は頭の中で、イメージを膨らませる。
ボッ。
「!!!」
『ほ、本当にできた……』
思い描いた通りの炎が、魔物の足に出現する。
そしてその炎は、次第に全体へと広がって。
俺は二三歩、後ろへと下がる。
巨大カブトガニは、みるみるうちに火だるまとなった。
火が、消えた。
魔物は焼け焦げて、真っ黒になっていた。
その黒い巨大な炭の塊のようなものが、ぼろぼろと崩れ落ちる。
と、そこから、黒い煙のようなものが発生し。
ものの数秒で、魔物の残骸は消えてなくなった。
「討伐、できた……」
自然とため息がこぼれる。
ダンジョン内に棲む魔物は、討伐すると、例外なく姿を消す。
そしてこの「消失反応」の際に放射される成分が、人体のD子への順応度を高める
ことに寄与するのだ。
つまり、「経験値を得る」というやつ。
経験値を得てレベルが上がれば、ダンジョン内での基礎的な身体能力が上がったり、扱える魔法の精度がさらに上がったりするというのだが。
『さすがに一体倒したくらいじゃ、感じられるほどの変化はないよな……』
俺は右手を握ったり開いたりして、苦笑する。
自宅ダンジョンでの地味な基礎トレーニングで、多少レベルが上がってるといいんだが。
「おっ」
巨大カブトガニがいたところに落ちているものを見つけ、俺はそれを拾い上げる。
青く輝く、宝石のような石。それほど大きくはないが、色や輝きからして、ただの石ころではなさそうだ。
何の石かまでは定かではないが。D鉱石の一種であることは間違いだろう。
ダンジョン内で取れる有用な石は、全て基本的に「D鉱石」と呼ばれている。
もちろんそれぞれの石の種類によって、用途や価値などは大きく異なるのだが。
それらは地面や壁に埋まっていることもあれば、力尽きた魔物が残していくこともあり。
しかし討伐された魔物が必ずしもD鉱石を落とすとは限らないらしいので、一体目からゲットできるというのはなかなかに幸先が良い気もする。
俺はホクホク顔で、その石をリュックの中にしまった。
さて。
『戻るか。進むか』
初めてのダンジョン探索。
魔法を使い、魔物を一匹倒したというだけでも、無駄足ではなかった。
しかしまだ、ダンジョンに入ってから1時間も経っていない。
このダンジョンの入場料は、なんと5000円(高い……)。
日をまたがない限り追加料金はかからないので、たった数十分で帰ってしまうのはなんとも勿体ない気がした。
それに。
さっきは初めて魔物に遭遇したという状況で、完全にパニックに陥っていた。
幾ら不気味な見た目の相手だったとはいえ、何かをする前から動揺し、怖気づいてしまったことが悔しかった。
でもおかげで、分かったこともある。
きっとダンジョンでは、「実際に自分で経験したこと」が、何よりの知恵、武器、財産になる。
魔物を前にした時の、恐怖も、動揺も、嫌悪感も、プレッシャーも。
全ては実際に魔物と対峙したからこそ、得られた経験には違いないのだ。
「……行くか、もう少しだけ」
俺は深く、息を吐いた。
そしてダンジョンの奥へと、一足踏み出した。
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