『原風景』
少し時間は巻き戻る。ブルーは祈りを捧げる人造人間たちを尻目に昇降機に向かっていた。目的は幾つかある。一つはメインシステムに対しハッキング用機器を有線接続することだ。
無線は外部からの接続が容易であるが故にある程度の防備がある。一方直接接続を行う際には利便性の確保のためにセキュリティは少し甘い。
『ジェネレーターに過負荷をかけてダウンさせないと転換砲が防がれる。ブルー、急げ』
「わかっています。あと少しです」
ホワイトエンドミル社日本第3支部地下一階2−4駆動区画。廃塩対策の気密扉をくぐり抜けた先もまた以前と変わらない。ひび割れた樹脂の壁と地面が囲う空間。ただし一つだけ異なるのは中央にある巨大な昇降機と、その周囲に伸びる変電器や資源コンテナ、そして小型ドローンや飛翔空機の群れ。塩に侵されては困る貴重品がここには収納されている。その性質上人造人間たちはこの場から離れることを許されていない。
だからがしゃりがしゃりと壁に向かって人造人間たちが歩く。本来人造人間たちが0009視閉協定により祈るためのホール、その向きにある壁に。当然進めるわけもなく頭の塗装が壁と擦れ削れる。しかしそれでも彼らは歩みを止めることなくそちらに向かおうとする。
古いゲームのNPCのようだ、とブルーは思った。目的地が設定されており、しかし移動制限がかけられているが故にその境界上で歩行のモーションをし続ける。彼らはまさにそれだった。
もう少しでそれも終わる。ブルーは急いで周囲を見渡し、飛翔空機の給油機にコネクタを発見する。不要なまでに複雑な形をしたコネクタにブルーが持つ何十本ものケーブルのうち一つが差し込まれ、端末と接続した。
『マジでクソなんだよな。買い替え強要するために細かく形状変えるのやめて欲しい』
『タイプG1082型だな、それなら高速通信できるラッキー』
『マジでパンイチ乳首絆創膏の不審者走ってるwwwwww』
『天下のホワイトエンドミル社もまさかこんな変質者来るとは思わねえよな……』
『うっ、昔返り討ちにあった時のトラウマが』
耳から、ではなく彼女は脳とコンピューターを直接接続している。2080年以降では基本のその機能は今掲示板の閲覧に使われていた。ここまでは大丈夫だ、とブルーは安堵する。0009視閉協定中に攻撃されれば全ての前提は崩れる。いや、それを言うならば
「ここまでホワイトエンドミル社が崩壊していたのも前提を大きく覆していますね」
言われてみれば当然だった。いくら戦争の勝者と言えどこの終わった世界で何百年も勢力を保てるかというとそんなはずはない。摩耗し時間感覚のずれた転移者とその周辺の人間としては大きな誤解であった。とはいっても嬉しいかと言われるとそれも違うが。
『宇宙計画もひどいもんよ。採算が取れないからという理由で21世紀から大して変わらず、ようやく必要になった頃にはスペースデブリの群れがそれを阻害してしまう。何世紀もの間宇宙をゴミ箱として扱った末路さ』
『宇宙飛行士、俺の時代だと便所管理人とか言われてたしな。ほんと最悪』
資本主義の末路、といえば単純で理解しやすいがそこには無数の悪意と無関心がぐちゃぐちゃにうねっている。何が悪くて何がいいのか、そんな答えを出せないほど根は深く太い。
それでも今、最も悪い者がいるとすればホワイトエンドミル社に違いない。ブルーは見覚えのあるその姿を見ながらそう確信していた。掲示板に残り10秒、と書き込まれる。躊躇いなくブルーは壁に向かって歩く人造人間たちの心臓部を拳銃で撃ち抜いた。
8発射撃しすぐにマガジンを再装填する。ホワイトエンドミル社の人造人間は脳のバックアップがある以上殺してもクローンが蘇る。また脳さえ破壊しなければ義体を手に入れることも可能だ。もちろん労災が降りれば、の話ではあるが。
銃弾は銃に搭載された照準システムにより1発目以外は完璧に命中する。その場にいる人造人間の実に半数がその一瞬で動きを停止する。砕けた胸部からは緑の液体が流れ落ちる。ブルーのような生身の比率が多い人造人間とは異なる、懲罰改造を施された人造人間特有のものだ。
そもそもこの区域に存在する人造人間の数は少なく、そして懲罰改造の施された個体が多い。と言うのもここは昇降機含む塩雨を浴びてはならない駆動物が揃う区画であり、責任が重い。だから誰もやりたがらない。必然的に最小の人数で最下層の人間が担当することになる。
0009視閉協定が終わる。それと共に壁に向かって歩くのを人造人間たちは止める。しかし銃を引き抜く動きは遅く照準も曖昧だ。ここにいるような人間はもはやまともなメンテナンスを受けられるような金銭すら持っておらず、ブルーの弾丸1発で倒されていく。
唯一違うのは最近改造された個体だ。その身体能力で銃撃を軽やかに回避する。カタン、と地面を靴で叩き銃を構えるその姿にブルーは顔を強く顰めた。見た目は辛うじて元の印象を保っている。ただし目と腕は完全に機械のものに換装され、額には切り開いた跡が幾何学的な紋様として残っていた。脱走、そして転移者を匿うという重罪を犯した人造人間。名無しのチンパンジーと共に回収されていたその少女は意志を奪われた機械と化している。全てが無機質に成り下がった彼女を見てブルーは悲痛な表情で語りかける。もう掲示板からの指示もブルーには届いていなかった。
「イエロー」
「対象を発見、射殺します」
「明るく喋ってください」
「照準システムエラー。手動制御に切り替えます」
「……お願いします」
「指部制御システムに異常発生。格闘プログラムを起動します」
「お母様を覚えていますか。あの日、捨てられた私たちを拾って。泣きながら体を修復してくれたあの顔を」
「格闘プログラムエラー。武装投擲を行います」
「自身の会社がこんなことを引き起こしたことへの絶望か、それとも憐れみか。結局教えてもらえませんでしたけど、あの日々が私の原風景です。貴方がはしゃいでお母様が微笑む」
「腕部機能停止。射殺を行います。照準システムエラー。手動制御に切り替えます。指部システムに異常発生。格闘プログラムを起動します。格闘プログラムエラー。武器投擲を行います。腕部機能停止。射殺を行います」
「その喋り方をやめろっ!」
「照ジュっ…………」
カチカチとイエローの口が開いたり閉まったりするが音は出ない、当然ではあるがブルーは戦闘開始前にイエローへのハッキングは済ませてあった。だからこそ理解する。イエローの脳内データはほとんどが削除されている。もはや彼女の心に名無しのチンパンジーとの記憶はない。無数に入力された社則を削除したところであの彼女が戻ってくるかは極めて不透明だ。あれは摩耗していない名無しのチンパンジーがいたから成立したものだ。恐らく次に生まれるのは似た別人だ。
倒れ伏す人造人間たちの中でブルーは顔を伏せ、涙をこぼす。希望も途絶えてしまった。これからは自分はこの作戦が成功したとしても摩耗した名無しのチンパンジーと、壊れたイエローと過ごすしかない。今までの彼女たちを知っている身からすればそれは遺体と生涯を共にするに等しい気持ちであった。
しばらく時間が経ち、転換砲の衝撃が辺りを襲う。ハッキングされ倒れるイエローを庇うようにブルーが立ち上がり、そこでようやく冷静になる。すなわち掲示板を見る余裕ができる。ジェネレーターのハッキングには成功したのか、田中太郎はどうなったのか。しかし掲示板に流れる文字列はその答えを示さない。
『アルフォート派だって言ってんだろうが!』
『邪道!時代はポッキーだ出直せ!』
何を言っているのかよくわからなかった。しかしそれを理解させられる瞬間はすぐに来る。壁が打ち破られ衝撃と共にこの区画を影が横切る。それがあの長文タイトルが本名の執行者、上級個体であると判断するのにブルーは数秒かかった。
蹴飛ばされ吹き飛ぶ上級個体は叫ぶ。それと同時に同じ場所から鎧の男が戦車すら跳ね飛ばす勢いで走って来る。そいつは聞き覚えのある声で信じられないほどどうでもいい返事をした。
「きのこの山が世界一ダ!」
「たけのこの里に決まってんだろカス!」
ブルーの涙が少し引っ込んだ。何言ってんだこいつら。
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『駆動区画』
ホワイトエンドミル社において最も辛い職は責任が転嫁できずミスが許されない場所である。ミスの度に減給とマニュアルの複雑化が進み続ける駆動区画の作業担当員こそが真の最下層と呼べるだろう。1番大事にすべき場所なのにね……
『きのこの山』
かなりの割合の食品は味覚データが保存されている。この時代における数少ない娯楽。掲示板民曰く、焼肉の動画を見ながらご飯を食べてる気持ちになるらしい。食感や見た目、匂いまで誤魔化す機能が付随するものは極めて高級である。
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