『禁忌兵装:異塩変換式鎧剣』

 地下1階の薄暗い広場は計測するだけで10km四方を超える異常な大きさを保有している。しかしそうは見えないのは上の建物を支えるためのビル以上の太さを持つ柱、そして電力を供給する線や管が無数に伸びているからだ。


 生温い樹脂管は足場としては60点。太いが故に足を踏み外すことはないが下を見れば無数の人造人間の祈り。恐怖に竦む足を叩き俺はその上をパンイチ乳首絆創膏で走り出す。


《警告:地下施設への偽造ID所有者の侵入を確認。対象の職員は対処願います》

《自動返信:現在0009視閉協定期間に基づき応答できません。終了後にお掛け直し下さい》

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 名無しのハッカーが傍受した向こうのログを流してくる。あの上級個体が言っていた通り流石に地下施設という機密情報の塊への入り口は騙せなかったようだ。しかし誰一人としてそれに反応する者はいない。皆ただ機械的に対応しているのだ。0009視閉協定があるうちは黙祷しなければならないというルールに、危機が訪れてもただ従っている。


 だからその隙をついて管の上を全速力で走る。足元の人造人間は時々ぶれる。数をホログラムで水増ししているのだ。この世界でそんなことをやって何の意味があるのだ、とは思うが、数万に及ぶ祈りの腕の中に本物は1割にも満たない。


『残り3分、もう少しだ!』

『変態疾走』

『え、こんなに人造人間の数減ってたの?』

『右斜めに見えた奴、武装腐食してるっぽいが……』


 素肌に冷たい風が突き刺さる。息切れしそうな体はそれより早く正常を取り戻し全力疾走を無限に続けさせていた。もはや自分が疲れているのかそうでないのかも滅茶苦茶になりながらただ前に走る。無数に入り乱れる樹脂管は迷路のようであり、しかしそれは明らかに異彩を放っていた。


「あれか……!」


 巨大な黒い螺旋階段。階段部と共にスロープも併設されており、何度も物を引きずった跡が残っていた。その先は深く暗い地下に沈んでおり、そこからうっすらと生ぬるい空気が流れてくる。発電機とやらの熱が伝わっているのだろうか、その暖かい方向に向かってただ走る。


 残り1kmほど。この樹脂管は螺旋階段の脇にある柱に通じており、そこから真っすぐ地下に降りていく。つまり柱の部分で飛び降りれば俺は目的地に到達できる。


 だがそんなに甘くないようで。


『時間切れだ、来るぞ!』

『権兵衛まだ?』

『ヤバいってヤバいって』

『ブルーが到着した、今からアクセス開始する!』


 がちゃり、と全く同一の動きで足元の人造人間たちの腕が下ろされる。彼らはその金属の瞼を開き、緩慢な動きで俺のほうに視線を向ける。幾千の目がパンイチ乳首絆創膏の俺を視認する。次の瞬間大半の人造人間は何事も無かったかのように姿勢の曲がったまま各々の持ち場に戻り、一部の人造人間たちが動き出す。


 影が複数跳ね上がる。樹脂の床を歪め彼らは10メートルは上の、俺がいる樹脂管群の上に一動作で降り立つ。中級個体。上級個体とは異なり緑色の軍服を着た彼らの手にはライフルが握られている。全く見覚えのない、しかし俺の知っているより更に数百年の害意が詰め込まれた殺人のための兵器だ。


 ばちん、という音と共に姿勢が崩れる。右足が動かなくなっていた。視線をそちらに向けると腱だけが的確に射抜かれ血が夥しく流れ出している。遅れてくる苦痛に歯を食いしばるより、再生をするよりも早く左足が打ち抜かれ立ち上がれなくなる。返り血が俺の体を染める。


「転移者の対処法。再生力は状態の変化に比例すル。全身を刻まれたならばさておキ、腱程度であれば再生するより再度破壊する速度の方が上回ル。特にお前のような不慣れナ、再生速度の遅い者なら猶更ダ。総員、射撃を継続せヨ」

「拘束ハ?」

「引き延ばセ。逆探知でハッカーの場所を見つけ出すまで通信機と奴には生きてもらう必要があル。顔は狙うナ」


 そして俺の行く手を阻むようにあの上級個体が立っていた。奴に向かおうと指の力で体を動かそうとするとそれより早くぐちゃりと指が弾丸で破壊される。苦痛に悶えるより早く再生が始まり、それより早く再生しきった腱が再び砕かれる。


 淡々と、規則的に銃声が鳴り響き俺の肉体が破壊される。一切の抵抗が出来ず俺は破壊されるままであり、そして。


「……何故前に進ム?」


 少しづつであるが前に進み始めていた。滅茶苦茶になった神経が頭をシェイクし砕ける肉体が追い打ちをかけてくる。だが両手両足を砕かれてもなお、腰と顎の力で芋虫の如く這い続ける。10cm。20cm。


 痛みは減らない。アドレナリンは出るより早く銃弾に散らされる。だが悶えることはできない。樹脂管から落ちてしまうから。だから涙を脂汗と血で誤魔化しながら淡々と前に進む。


「……何故前に進ム? 戦闘経験のないお前に苦痛は耐えがたいはずダ。あの女にそこまでする価値はないはずダ。ましてやここで諦めず苦痛に身を浸す必要も無いはずダ」


 再度上級個体が問いかける。何故。何故か。俺は血まみれになった顔に強がりの笑みを浮かべる。


「そうだ、薄っぺらだからだ。戦闘経験もない。名無しのチンパンジーさんに死ぬほど思い入れがあるわけじゃあない。苦痛に身を浸す必要もない」

「ならバ」

「だけどよ、姉貴は道なき道を血の滲むような努力で切り開いたんだ。1本すらまともに使えない状況から義手の訓練を始めた。常に「機械の腕に頼るのは芸術ではない」なんて自分の努力が一蹴される恐怖と向かいあって。何年も。何年も。対する俺は痛みはあってもゴールの決まった戦い。どちらが苦しいのかは言うまでも無く、だからこの程度に負けて顔向けできない自分にはなりたくはない」

「理解できなイ」

「そうか? もしかしてお前にはいないのか、尊敬できる相手と言う奴が」

「黙レ」


 苦痛が増していく中でも樹脂管から落ちないよう姿勢を調整し続ける。掲示板の民は本物だ、滅茶苦茶をあっさりこなしてくる。平然と敵のシステムをハッキングし周到に作戦を練っている。だから俺はそれを信じる。もう痛みのあまり音声通信が何を言っているのか聞こえなくなってきたが、それでも。


「……っ、ほら少し近づいたぜ」


 顎が管のささくれに引っかかり肉に入り込んでくるのを無視する。そうやって少しづつ近づいてくる俺を見て、身震いのようなものをした上級個体は早口で指示を下した。


「方針変更。体を掴んで拘束せヨ」


 中級個体たちが銃を下ろしこちらへ跳躍してくる。逃れるべく無理やりズタボロの体を動かそうとしたところでバチン、と地下が暗闇に堕ちる。突然の暗闇に着地先を見間違え樹脂管に衝突、跳ね返って落下する音と共に回復の始まった体に音声が届く。


『ハッキング完了、ジェネレーター停止! 権兵衛、転換砲を撃て!』

『承知』


 非常電源が復帰し少しだけ灯りが帰って来る。同時にけたたましい独特な音が鳴り響き、上級個体が全速力で逃げ出すのが見えた。何が起こる、そう考えるより早く衝撃が大地を包み上層を揺らし、そして再度衝撃が走る。その2射目は基盤を突き抜け地下にいる俺や中級個体達を黒煙と共に吹き飛ばす。


 正確にはまず光が到達した。次に物質が白い塩に変換されていく。そしてその塩が濃くなると共に黒煙を上げ先ほどのホール一帯を消し飛ばしたのだ。一瞬で幾重もの地下階層が蒸発しその断面をさらけ出す。先ほどまで存在していたホールは既に外の瓦礫山と区別がつかなくなっており、大量の塩が積もる中、空から降る塩雨がかつて屋根があった場所を抜け降り注いでいた。


 しかし俺は立っていた。爆発が到達するより一瞬早く飛び込んできた黒い塊が俺の体に衝突し突き刺さる。それは俺に突き刺さったままぶわりと体積を広げ体を覆い尽くし、爆発のダメージを防ぎきったのだ。その名を回避に成功したらしい上級個体が驚愕と共に叫んだ。


「禁忌兵装:異塩変換式鎧剣だト!」


 さっぱり何のことか分からない。砲もこの服も一体何なんだよ。だがまず俺はやっておくべきことがあった。



「言っただろ。『俺の本気を見れば後悔する、必ず』ってな」


 いつの間にか手に握られていた黒い巨大な刃を振るう。その通り道には塩が生まれている。

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