『有給休暇』

「掲示板の皆様、助けて下さり本当にありがとうございました……」

『急にどうしたんだコイツ』

「近くに迫る死に怯えてるんだと思います」


 俺は絶望に身を浸しながらベルトを緩め服を脱いでいく。そして年代層に紛れ込んでいた絆創膏をべりりと剥がし両乳首に張り付ける。遂にパンツ一丁に俺はなってしまった。天井から伝って落ちてくる塩雨が体を濡らし、その冷たさに身震いする。


 あの場所から潜るように細い隙間を通り抜け、俺達は瓦礫山の谷に到達していた。溶解した金属塊を押しのけるとあの基盤が目と鼻の先である。だが全てのビルは閉め切っており入れそうな場所がない。どうなってるんだよこれ、と困惑していると上空から滑空するような形で蝙蝠の如き羽とブースターを付けた人造人間が降りてくる。地上に降りた人造人間がしばらく待機するとぎぎぎぎ、という音と共にビルの壁が2つに割れて入り口が現れた。


 その中に入っていくそいつを尻目にブルーが俺に服を差し出す。それは彼女と全く同じ白い人造人間と同じ服である。いや今パンイチ乳首絆創膏なんだけど、着るの? 変態味凄いことになるけど、と思うが掲示板から解説が入った。


『安価実行の為に方針を変更する。まずは装甲服の下パンイチ乳首絆創膏で侵入、0009視閉協定と共に地下に潜入、装甲服を脱ぎ捨てた『†最後の英雄†』が走り出す』

『地上部は思ったよりセキュリティ甘いからこっちからのハッキングで何とかなりそうなんだよな。安価達成についてはこちらで調整するから一先ず2階の食堂を目指してくれ』

『そんなことあります? 私のイメージ的には個人のハッキング程度では絶対無理な化け物だったんだけど』

『元ホワイトエンドミル社の人間の結構いるしまあ。後そのイメージは割と近いんだけど、そもそもここまで攻めに行った例は権兵衛くらいだし実は謎。何か内部で起きてるのかも』

『皆摩耗してるしねー。パンイチ乳首絆創膏で突入する奴でも出てこない限りこんなに真面目にすることはないし実情を探るいい機会ー』


 よくわからないが大丈夫なようである。一先ず全てを諦めて装甲服を着、仮面を付ける。ブルーと仮面越しに頷きあった後、俺たちは瓦礫の隙間からホワイトエンドミル社のビルに向かって歩き出した。


 怪しい者だと思われないよう平然を装いながら俺たちは歩く。無言のまま数十メートルほど歩き、先ほど人造人間が降り立った場所の近くに立つ。すると壁の一部からうっすらと赤い光線が俺達に向かい照射され、脊髄に向かって狙いを定める。


『動くな。偽造チップを装甲服に入れてIDを偽装しているから大人しく認証を受けろ』

『大丈夫なのアレ? レベル3程度だと大分粗が出ると記憶してるんだけど』

『検査項目のログを確認したらかなり杜撰だった、問題ない』


 かなり不安になってくる会話であったがしかし、終わってみればなんてことはなく。しばらくの沈黙の後ぎぎぎぎ、という音と共に再びビルの壁が開いた。2人が並んで入れる程度の狭いその穴を身震いしながら抜ける。


 背後が閉まる音と共に仮面のスリットから周囲を見渡す。そこは余りにも無機質だった。黒い樹脂で塗り固められた廊下はあちこちが剥げておりそれを上から金属を流し込むことで補修している。しかし熱膨張によるものだろうか、実際にはヒビが広がり更に汚いありさまとなっていた。


「これが戦争の勝者の姿か?」

「酷い有様ですね。もう見栄を保つのも限界に達している。あの社訓は一体何だったのですか」

『これマジ? 100年前に突っ込んだ時と様相が違いすぎません????』

『そういや最近金属管も液漏れが放置されてるもんなぁ。本格的にこいつらも終わり始めてたのか』


 辺りを人造人間たちは忙しそうに行き来している。仮面を被った見知らぬ人造人間の方を彼らは一瞬だけ視界に入れ、直ぐに無視し少し曲がった背筋で自分の行くべき場所に歩き出す。恐らくチップや権限の照合すらせず、彼らは「仮に侵入者だとしても他人の仕事で俺は無関係だ」と無視しているのだ。俺はこの光景に凄く見覚えがある。うん、滅茶苦茶帰りの電車で見かけた。


「疲れ切ったサラリーマンだ……!」

『やめろ』

『死地に潜入してるはずなのにブラック企業の調査してる気分になってきた』

『残業代出てなさそう』

『有給無しのアットホームな職場の皆様ですね』


 ブルーの呆れた雰囲気を察しながら俺は少し安堵していた。とんでもない怪物かと思いきや実情はこれ。想像していた先行きの見えない不安が少し和らぐのを感じていた。いや、未だにこれからどうするのかよくわかってないんだけど。俺下級個体にボコられるんだぜ、禁忌兵装なるものを寄越すとか言ってた気はするがそれでどうにかなるのか。雰囲気的には十分だけど、肝心の使用者がさっきまで緊張で足が少し震えていた人間なのである。

 

 ひび割れ汚れた廊下を抜け大広間に辿り着く。そこには幾つもの柱が立っておりその内部をエレベーターが行き来している。上を見上げると何十階あるのかわからないほど縦に長く、しかしぽろぽろと上から零れてくる破片が限界を物語っていた。


 周囲には先ほどより更に多くの人造人間が俯きながら歩いている。彼らの多くはよく見ると目があらぬ方向に動いていたり脳の電極が異常放電を起こし転がりながらあるいていたりとまともな様相ではない。


 この世界は文字通り終わっていた。それは戦争の勝者も敗者も関係なく一様に。


 彼らと目を合わさないようにしながら古びた階段を登り2階に進む。階段のすぐ先が俺たちの目的地、食堂であった。そこには数多の椅子があり、しかしながら座っているのはたった一人しかいない。


 彼は視線をこちらに向け、直ぐに何かに気が付いたかのように金属の眉を持ち上げる。しかし何事も無かったかのように手元にあるスティック状の合成食に視線を落とした。






「すまなイ、今日は0009視閉協定終了まで有給休暇を取得していル。侵入者への対応は行っていなイ」


それは俺たちを襲ったあの上級個体の姿であった。……そんなことある?




―――――――――――――――

有給休暇

すなわち取得できない物。国家による法の締め付けが緩み、企業の自治が進んだ後でも有給休暇というシステムは残っていた。それをできる限り使わせず奴隷として働かせる為に企業はあらゆる策を尽くした。その一つが社内カレンダーで1年を24か月、1か月を60日として制定するという方式である。これにより有給休暇の削減は勿論年間休日125日を容易に達成できるようになったのである。


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