第41話
件の竜騎士は、毎日決まった時間、日暮れの前に境界の川の上を飛ぶという。
さて、一体どういった理由を付けてあの天騎士はそんな行動を取っているのか。
訓練か偵察か示威行動か、或いは親しかった辺境伯爵家の令嬢を殺された憎しみから、そんな行動を取っていると周囲には思わせているのかもしれない。
実際、開拓村が襲撃された時、グリフォンに乗って逃れる事の出来た天騎士のみが生き残ったという筋書きだから、竜を崇める民を恨んでるという設定には説得力がある。
オレは、あの天騎士に対しては今も複雑な思いがある。
けれども同時に、彼女には強い敬意も抱いてた。
何故なら、主君の娘を守れなかった騎士という風聞は、間違いなく天騎士の体面を大きく傷つけた筈だ。
だけど彼女はそれをわかって、リジェッタの命が助かるならば安い物だと、ただ一人で逃げるという汚れ役を引き受けたという。
尤も、竜を崇める民に関しては信用し切れないと、最初はリジェッタの身柄を預ける事に酷く反対したそうだけれど。
それでも一度納得すれば、五人の竜神官が駆るワイバーンに追いかけ回されて逃げるという、屈辱的な姿を晒すのも厭わなかった。
だからこそ余計に、彼女に対して勝ち目がないと、命を惜しんで逃げる事を選んだ自分を思い返して、複雑な感情をオレは抱いてる。
もちろん、あのまま勝てぬとわかって挑み続け、死を選ぶのが正解だったなんて、今はもう思わない。
仮にあの時、オレがあそこで死んでたら、少なくともリジェッタを竜を崇める民が受け入れるなんて展開にはならなかった筈だ。
ただ、その結果としてあの誇り高き天騎士に泥を被せてしまった事が、何とも口惜しく感じてしまう。
本当に、オレにもどうしてそんな風に思うのか、さっぱりわからないけれども。
……まぁ、さておき、相手が現れる時間がわかってるなら、落ち合う事は簡単だ。
但し誰かに見られて疑いを持たれぬように、という条件が加わるならば多少の工夫は必要となる。
いや、見られて困るのは人間の国側の事情だけれど、リジェッタが守ろうとしたそれは、オレもできる限りは守ってやりたい。
彼女は集落の一員として働いてくれていた。
貴族のお嬢様だったのだから、客人扱いに胡坐をかいてもおかしくはないのに、懸命に竜を崇める民の一員になろうと尽くしているのだ。
顎の谷の集落では、既に彼女は多くの者から身内として認められている。
竜を崇める民は、余所者を排斥してはいる分、身内となった人間には、オレも含めて甘い。
何故なら、厳しい環境のいと高き場所では、集落の身内とは協力し合わねば生きていけないから。
オレは時間を待って境界の川の上を飛ぶ天騎士を確認すると、ヴィシャップを相手よりも上空から接近させ、火球を相手のグリフォンには当たらぬよう、つまりは川に向かってばら撒かせた。
ワイバーンの火球は、竜の吐息のように純粋な炎ではなく、吐き出す酸性の粘液が空気に触れて燃え盛った物だ。
そしてこの燃え盛る酸性の粘液塊は、冷たい水に触れると激しく爆ぜる。
これだけでも遠目には、派手な戦闘が行われているように見えるだろう。
天騎士も、わざと火球を外してるこちらの意図はすぐに察したのだろう。
大仰な回避動作を取りながらも、ヴィシャップと同じ高度、地上からは細かな動きを判別できない高さにまで上がってくる。
オレは小さく、天騎士にのみ見えるように手招きすると、敗走を装ってヴィシャップの頭を北へ向けさせた。
竜を崇める民が、いと高き場所に外の人間を招き入れる事はありえない。
いや、そもそも外の人間からすれば、竜を崇める民は言葉の通じぬ蛮族だ。
話し合いができるなんて発想自体、リジェッタのように過去のバーネル王国との交流があった記録を知ってなければ出てこないからこそ、オレの後ろを付いてくる天騎士の姿を見ても、誰もがそれを追撃だとは疑わない。
オレだって外の人間を好んでいと高き場所に招き入れる訳じゃないけれど、話し合いを隠すなら、いと高き場所の中で行うのが一番確実なのは間違いないから。
竜人のラグナからも、開拓村の住人達に言葉を教えた居留地を、話し合いの場所として使う許可は取っていた。
あそこは、いと高き場所の中にありながら、近くにヌシと呼べる竜が生息していない、竜を崇める民にとってはさして重要でない場所だ。
だからこそヌシたる竜に伺いを立てる事もなく、開拓民を受け入れて言葉を覚えるまで住まわせられたし、今回の話し合いにも使える。
もちろんここだっていと高き場所の一部には違いがないから、今回はあくまでも例外だった。
次回の話し合いがあるとしても、それはいと高き場所の外で、人間の国側で連絡が取れるようにして貰わなければならない。
それすらできないようならば、そもそも協力関係を結ぶ意味すらないだろうし。
「……ここは、集落の跡なのか?」
降り立った居留地で、いや、元居留地で、周囲を見回した天騎士がそう呟く。
あぁ、なるほど、彼女もオレが既に新しく人間の国で使われてる言葉、ガラシャ帝国の言葉を理解できるようになっているとは、思ってもいないらしい。
意思疎通を期待してる訳じゃなくて、恐らくはバーネル辺境伯からの親書を届ける為に、オレについて来たのだ。
「ここは、開拓民に、オレ達の言葉を、教える為に、一時的に、住まわせた場所だ」
だがオレが天騎士の言葉を理解してると、黙っているのは不義理だろう。
暫く黙って様子を見る事も考えたが、わざわざ彼女の不信感を買う必要はない。
オレは一言一言区切りながら、身振りを交えて言葉を発する。
「っ!? 言葉が、わかるのか……?」
目を見開き、大仰に驚く天騎士。
仕方ないとはいえ、聞きようによっては随分と失礼な言葉だった。
それではまるで、自分達の用いる物のみが、言葉の全てであるような言い草だ。
蛮族が自分達の言葉を理解する。
驚くのは仕方ないが、その蛮族からしてみれば、決して気分のいい物言いではない。
故にオレは、意図的に思考を僕に寄せる。
生粋の竜を崇める民としてではなく、少しでも客観的に相手の言葉を受け取る為に。
「言葉を教える為、沢山話す。だから少しは、相手の言葉も、覚える」
大きく一つ息を吐き、僕は一つずつ言葉を発した。
怒りは、もうない。
悪意なき驚きを、自覚なき見下しを、咎めたところで話は進まないし。
「そ、そうか。すまない。貴殿はあの者達に、良くしてくれたんだな」
自分の失言に気付いたのか、謝罪を口にした天騎士に、僕は首を横に振る。
開拓民を竜を崇める民として受け入れたのは、それはもう前例のない特別扱いだ。
竜人であるラグナが賛成して集落との折衝に動いてくれなければ、決して実現はしなかっただろう。
その後に言葉を教えてから集落に割り振った事も含めて、最大限の扱いだったといっていい。
「礼は、不要。彼らはもう、竜を崇める民。我らの、同胞。助け合わねば、この、いと高き場所に、生きていけない」
ただそれに関しては、礼を言われる話じゃない。
リジェッタが話し合える可能性に賭けて砦ではなく開拓村を築き、現れた僕との話し合いを選び、懸命に落としどころを探った結果、それは実現した。
そして彼女も、開拓民達も、今は竜を崇める民の一員として、その力を尽くしてる。
だからこれは既に終わった話であり、リジェッタと開拓民以外からは、礼を言われるような話じゃないのだ。
「……そうか、だがそれでも、私は感謝しているよ。あぁ、すまない、名乗りが遅れた。私の名はカージャ・サイル。バーネル辺境伯家に仕える天騎士だ。まさか、あの使者の少年が、私を追ってきた飛竜使いだったとは、驚きだよ」
そういって名乗る天騎士、カージャに、僕は今度は頷いた。
彼らが既にこちらの人間であると理解した上で、それでも礼を言いたいのなら、それを無理に止める必要はない。
好きにすればいいだろう。
「飛竜使いは、いい言葉じゃない。ワイバーンは、竜じゃない。竜は、我らにとって、特別な存在。そこを間違えば、争いになる。この身は、竜神官。顎の谷の、ザイド」
ただ、ワイバーンに関してはモノ申してから、僕も自分の名前を名乗る。
もちろん、竜を崇める民の一員、竜神官である、顎の谷のザイドという名を。
以前にも一度、カージャの前では名乗っているが、その時は、彼女には理解できない言葉で話していたから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます