第40話


 冬が終われば、春が来る。

 春の訪れを告げるのは、降り注ぐ日差しの暖かさだ。

 集落の周囲は相変わらず降り積もった雪に覆われてるけれど、やがて日差しがそれを緩めて解かすだろう。


 尤ものんびりと、全ての雪が解けるのを待ったりはしない。

 これ以上に雪が増える事がないならば、集落の男手は雪を除け、外への道を切り開く事に使われる。

 それから冬の間に消費した資材や食料、薬草等を集めて、竜供の儀式に備える必要があった。

 供物となる牛の用意は竜供の担い手の仕事だけれども、儀式を行う為にはその他にも色々と準備はある。

 例えば竜がやって来る祭壇まわりの雪を排除して、雪崩が起きないようにする事とか。

 竜神官には冬の眠りから目覚めて動き出した魔物を狩る仕事もあるし、春は忙しい季節なのだ。


 しかも今年の春は、特にやる事が多かった。

 見慣れぬ魔物が再び出現したと竜人に報告、相談をしなければならないし、広い丘の集落を手助けにもいかねばならない。

 今、広い丘の集落は守り手となる竜神官が一人も居ないから、魔物の駆除は優先的にしてやらねば、下手をすれば集落が壊滅する事だってあり得てしまう。


 そういえば広い丘の集落から預かった竜神官の二人の見習いは、年長者であるオレスがもう半年も鍛えれば、第二階梯の試練に挑めると見做されて、顎の谷の集落に留まる方向で話は進んでる。

 ならば残る一人の見習い、ウィンプも一緒に預かったまま、もう半年は訓練を施そうと、そういう話になっていた。

 正直、オレはあまり彼らの訓練には関われなかったのだけれども、広い丘の集落の命運は自分達次第だと、二人ともが理解しているらしい。

 彼らは訓練に非常に熱心で、それは顎の谷の見習い達にも、良い影響を与えてる。

 広い丘の集落には、手助けの魔物の駆除ついでに、良い報告ができるだろう。


 けれどもそんな忙しい時期なのに、いや、或いは忙しい時期だからこそなのか、更に厄介な仕事がオレに舞い込んできた。

 その仕事の話が飛び込んで来たのは、春も半ばが近付いて、皆が竜供の儀式を心待ちにし出した頃。

 竜供の儀式に参加する為に集落に招かれたラグナが、

「顎の谷のザイドよ。また君の力を借りたい事が起こってしまった」

 オレに向かってそんな言葉を口にした。


 その頃にはもう広い丘の集落での手伝いは終えていたけれど、だからこそ竜供の儀式の準備を含めて、顎の谷での仕事は山積みに残ってる。

 思わず顔を顰めそうになってしまったのも、無理のない事だと見逃して欲しい。

 しかし幾ら忙しくとも、竜人からの頼みを断るという選択肢は、オレには与えられていなかった。

 以前から繰り返し述べている通り、竜人は竜を崇める民にとっては特別な存在で、その権威は決して無視できるものではないから。


 詳しい話を聞いてみると、なんでも春の始まり頃から、境界の川の上を決まった時間に飛ぶ天騎士がいるらしい。

 こちらに配慮しているかのようにいと高き場所には踏み込まず、境界の川の上を飛ぶその天騎士は……、あぁ、間違いなくこちらとコンタクトを取ろうとしているのだろう。

 ならばラグナが、オレのところに来た事も頷ける。


 以前、開拓村の住民に竜を崇める民の言葉を教える際、リジェッタの通訳を受けながらではあるけれど、オレも今の人間の国、ガラシャ帝国の言葉に触れた。

 ラグナのように熱心に向こうの言葉を学ぼうとした訳ではないけれど、長く親身に接していれば、相手の言葉もある程度は覚えるものだ。

 故に彼らが各集落に割り振られる頃には、意思の疎通くらいはできていた。

 その天騎士がこちらにコンタクトを求めているなら、接触を取るのは、竜を崇める民の中ではオレが最適だろう。


 よりによって今、この時期に来なくとも、なんて風にも思うけれど、あちらにはあちらの都合がある。

 冬が終わってようやく動けるようになったのか、それとも今の時期ならガラシャ帝国の目を盗み易いのか、その辺りはわからないが、まずは接触して向こうの意思を確認し、協力関係を築くのなら、今後も定期的に連絡を取り合う方法を決めねばならない。

 そうしなければ、用事がある度に向こうは境界の川の上で延々と待ち、こちらはその度にオレが連絡を受けて駆り出される事になってしまう。

 流石にそれは、どちらにとってもあまりに手間が大き過ぎだ。


 恐らく、境界の川の上を飛ぶ天騎士は、……リジェッタと親しいというあの天騎士だろう。

 リジェッタにこの事を教えるべきかは、少しばかり悩む。

 教えてやると、きっと喜びはするだろう。

 しかし接触をした結果によっては、逆に悲しませる事になるかもしれない。

 相手側、バーネル辺境伯家の意思は、まだわからないのだ。

 竜を崇める民との協力関係を築いてくれる可能性もあるけれど、リジェッタはこちらに預けるが、その上で敵対を選ぶなんて場合も、決してないとは言い切れなかった。


 正直、もし後者だったらその報告をリジェッタにはしたくない。

 彼女は自らの死を前提に、あの開拓村の責任者に志願したそうだから、そんなの今更なのかもしれないけれど、そうだとしても気まずい話である事には変わりがないから。

 オレは天騎士の件は一先ず伏せると決めて、ヴィシャップの背に乗り顎の谷から飛び立つ。


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