第39話


 雪虎をどうにかするといっても、谷を出て追う訳にはいかない事は変わらない。

 ただアレがこの付近に棲む魔物ではないとわかり、取るべき対処は決まる。

 恐らく雪虎は、今は自分が棲むべき場所を探しているのだろう。

 そしてどうやらこの谷が具合が良さそうだと、先住者を追い出して自分の縄張りにする心算なのだ。


 最初の晩は威嚇の咆哮を発し、破壊痕を残して自分の強さを示した。

 次の晩は出てきた先住者の力を確かめ、抵抗の意思を確認した。

 ならば多分、次の晩も再び攻め込んで来る。

 今度は確実に、こちらの戦力を削り取る心算で。

 或いはジャミールの力を脅威に感じていれば、どこか遠くに行ってしまってもう二度と現れないかもしれないけれど、……去り際の様子を見るに、攻め込んで来る可能性の方が高いとオレは思う。


 そうであるならば、今晩は、確実に雪虎を仕留めなければならない。

 幸いだったのは、あの魔物が顎の谷に執着を示した事である。

 これが顎の谷の周辺を縄張りと定めていたならば、雪が解けて周辺の様子を見る為に集落を出てきた戦士達が、不意に襲われていた可能性は高かった。


 今の雪虎は他者の縄張りを攻め取る為に慎重だが、逆に自分の縄張りを定めた後に、そこに余所者が入り込んだと思ったならば、今とはまるで違って積極的に襲いに来た筈だ。

 その場合、竜神官ならともかく、集落の戦士では太刀打ちできずに多くの犠牲者を出したかも知れない。

 だから犠牲なく相手の正体を確認し、万全の対応を取れる今の状況は、間違いなく幸運だった。

 後はどうやって雪虎を逃がさず仕留めるかを決めるだけだが……、まぁ、それは多分、オレがやる事になるのだろう。



 夜、オレは一人で、これまで二度、雪虎が攻め込んできた場所に座り込み、待つ。

 来るとわかっているならば、無駄に交代で見張る必要もないし、ただ待てばいい。


 これまでの雪虎の行動は、魔物としては慎重だ。

 恐らく雪虎は、集落を群れた魔物の縄張りと見据えて、ゆっくり攻め落とす心算なのだろう。

 多数に囲まれないように群れの数匹を排除し、出てきたリーダーを下す。

 そうすれば縄張りと乗っ取れると、魔物の理屈で考えて。


 雪虎の理屈に付き合っても、この集落で最も強いラシャドが負ける筈はない。

 けれどもそれまでに、集落の人間に何人もの犠牲者が出てしまう。

 故に今、オレ達はいと高き場所に暮らす竜を崇める民として、魔物の理屈には付き合わずに雪虎を狩る。


 腐らぬように塩漬けにして干した肉を齧りながら、寒さを堪えて待ち続けた。

 食べ物に火を通さない竜神官だが、冬という季節には新鮮な肉は手に入らない。

 だが雪虎を狩れば、久しぶりに血の滴る肉にありつける。

 他の竜神官も新鮮な肉は久しぶりだから、雪虎は寄って集って食われるだろうけれど、その心臓は、狩ったオレの特権として真っ先に食えるから。

 あぁ、そう考えれば楽しみだ。

 寒さから逃れたいから、肉を食らいたいから、早く来いと念じて、その襲来を心待ちにする。


 やがて、寒さがより増し、白い雪が闇にチラつき始める頃、真っ白な毛皮のソイツは姿を見せた。

 まるで雪がそのまま動き出したかのように真っ白で、静かに優美に動く。

 けれどもこちらを見据えるその瞳からは、剥き出しの殺意が放たれている。

 どうやら雪虎も、やる気は十分のようだ。


 勝てると踏んでいるのだろう。

 ジャミールと対峙し、その力量を察して、それでも勝てると踏んでやって来た。

 つまりジャミールはコイツに舐められたのか。

 第四階梯に達したジャミールは、今は顎の谷の集落では三番目に強い竜神官だ。

 長は戦い方こそ巧みだが、年齢もあって衰えがある。

 レイラが本調子になればジャミールに勝るかもしれないが、今の彼女は自らを鍛える事より、子を守り育てる方を優先していた。


 故にジャミールはこの集落の三番手だ。

 けれども、それでもオレをジャミールと同等だと考えるなら、雪虎の考えは甘すぎる。

 オレが未だラシャドには遠く及ばないように、ジャミールも同じだけオレには及ばなかった。

 越えた試練の数の差は、決して飾りなんかではない。


 雪虎とオレは、全く同時に大きな咆哮を放つ。

 二つの咆哮がぶつかり合い、ビリビリと冷たい空気が揺れるけれど、しかしオレが放った咆哮は、相手を威圧する為の物ではない。


 自分よりも小さなオレが、怯まず咆哮を放った事に雪虎の殺意が怒りの熱を帯びた。

 だがその時、ズンッっと重い物音が、谷の入り口から響いてくる。

 そう、今のオレの咆哮は、上空を舞っていたヴィシャップをここに呼ぶ為の物。


 更に、オレの背後からも、大きな咆哮が一つ。

 集落への道を遮るようにそこに立ったのは、顎の谷の部族が誇る英雄、ラシャドだ。

 そしてラシャドの咆哮に応えたワイバーンも、ヴィシャップに並ぶように谷の入り口に降り立つ。


 簡単に言えば、雪虎は左右を谷の壁に、背後を二頭のワイバーンに、前をオレとラシャドに塞がれた形になる。

 つまり僕の知る言葉を使うなら、まさに袋のネズミというやつだった。


 でも、その状態で前に出たのは、オレ一人。

 雪虎の実力は不明で、オレ一人で本当に大丈夫なのかは、わからない。

 だがそれでも、オレは一人で雪虎を狩る事を選ぶ。


 ワイバーン二頭が入り口を塞ぎ、雪虎が逃げる道はない。

 破れかぶれで突破を図ろうにも、集落への道はラシャドが塞いでる。

 万一にも集落に乱入されて、要らぬ犠牲者が出るなんて事もないだろう。

 だからオレは、もう何も他を気遣わず、ただ雪虎の身に集中してこれを狩ればよかった。


 唯一人、前に出たオレに、雪虎は怒りの咆哮を発する。

 罠に嵌められたと感じて怒っているのか、それともオレが一人で相手をしようとしている事に、舐められたと感じて怒っているのか。

 どちらにしても構わない。

 オレの身体は竜の鱗に覆われて、手は鋭い鉤爪に変わる。


 次の瞬間、雪虎が尾の先端をこちらに向けると同時に、オレは横跳びにそれを避け、口から竜の吐息を放つ。

 すると先程までオレが立っていた場所の雪が爆ぜ、そして雪虎の身体はオレが吐いた炎に包まれる。


 昨日、竜鱗で身を守っていたにも拘らず、口から血を流していたジャミールは、見えない何かに殴られたと言っていた。

 恐らくそれが、この雪虎の能力なのだろう。

 雪に紛れて行う、不可視の攻撃。

 鋭い牙でも爪でもなく、打撃を行うそれは、恐らく呪いに近い代物だ。


 呪い、魔術に使われる力である魔力を、塊にして放っているのだと、ジャミールの傷を見て話を聞いたオレは、いや、僕は雪虎の能力をそう判断する。

 相手が魔物であるのなら、そんな能力を備えてる事はちっとも不思議じゃないから。

 何しろ魔物の中には、質量を無視して巨大化する能力の持ち主さえいたのだ。

 不可視の衝撃を放つなんて、それくらいは当然のようにしてくるだろう。


 雪に溶け込むように白い雪虎が、不可視の攻撃手段を持っている。

 それは単純な能力だけれど、本当に恐ろしい組み合わせだ。

 けれども相手がその優位を理解して、それに頼ってくると予測がついていたならば、そこに付け入る隙があった。


 不可視の衝撃で相手を崩し、必殺の爪牙で仕留める事が、雪虎の必勝戦術だったのだろうけれども。

 初撃は予測されて回避され、逆に炎の吐息を浴び、予想外の熱と痛みに驚き怯んだ瞬間に、オレの鉤爪が顔を上げた雪虎の喉を抉る。

 つまりは雪虎がやろうとした事を、そのまま返した形だ。


 そしてもちろん、オレは一度掴んだ優位はもう離さない。

 雪虎は痛みに暴れようとするけれど、崩れた体勢ではその力が万全には発揮さず、ならば並の人間ならともかく、高い階梯にまで登った竜神官の膂力と技なら、それを捻じ伏せる事は可能だった。

 体格の大きな雪虎を、小さなオレが押さえ込む。

 それは傍から見ると、実に奇妙な光景だっただろう。

 だが押さえられた雪虎からすれば、それを奇妙に思う余裕もなく必死にもがく。

 オレの鉤爪はその間にもゴリゴリと雪虎の喉を抉り続け……、やがてその命は、この腕の中で尽きた。


 強敵ではあったのだ。

 仮に出会う場所が雪山で、全く事前情報がなかったなら、命を失っていたのがオレかもしれない程には。

 しかし雪虎は、狙う場所を間違えた。

 力量が近ければ、情報、策、戦う場所の有利不利が、結果を大きく左右する。


 まだ熱い雪虎の骸から心臓を抉り出し、口の運ぶ。

 強敵の力が、どうかこの身に宿るようにと、願いを込めて。


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