第33話



 翌日、オレはジャミールとは別行動で、広き丘の集落から少し離れた場所を流れる、川の上流へと向かう。

 その目的は、長く集落を支えたベテランの竜神官が死ぬ原因となった傷を負わせた魔物の討伐だ。

 何でも、ベテランの竜神官は深い傷を負いながらも、魔物に対して反撃し、手負いにして追い払ったらしい。

 だがその後、竜神官は傷が原因で地に還り、手負いとなった魔物はより狂暴化して、川には誰も近付けなくなっている。


 これを放置しておけば、冬越えの備えには大きな悪影響が出てしまうし、或いは手負いの魔物が冬となっても眠らず、動きを鈍らせずに、広き丘の集落を襲う可能性もあった。

 手負いの魔物は、その行動が読めない分、傷を負わぬ魔物よりも危険で手強い事がある。

 まして、その魔物は竜神官を殺しているのだ。

 話によれば、死んだ竜神官は第三階梯には達していたらしい。

 つまり防御に優れた竜鱗の加護を得られるにも拘らず、死に至るだけの傷を負ってる。

 これはかなり危険な話だった。


 何度か述べた通り、いと高き場所でも平原は比較的だが危険が少なく、人間にとって暮らし易い場所だ。

 その大きな要因は、強力な魔物が少ない事にある。

 もちろん全く皆無な訳ではないけれど、長く集落を支えたベテランの竜神官なら、手に負えない魔物に関しては、その避け方も含めて熟知していた筈。

 しかしその魔物は竜神官に致命傷を負わせた。

 少しばかり不可解な話だ。

 恐らくは、何らかの理由があるのだろう。


 オレとジャミールの、二人の見習い竜神官を顎の谷で預かるとの提案に、広き丘の部族の長は、まずはこの魔物の討伐で実力を見せて欲しいと依頼した。

 その言葉には、或いは他の竜神官が聞けば怒ったかもしれない。

 何故ならオレは第六階梯、ジャミール第四階梯に達した竜神官で、第三階梯だった竜神官よりも実力は明確に上だ。

 しかし広き丘の部族にとって、長く集落を支えた竜神官は紛れもなく英雄であり、ずっと年下のオレやジャミールは、幾ら階梯が上であっても、頼りがいなく見えたのだろう。

 オレは、最近は僕のお陰でそういった機微が少しはわかるようになったし、ジャミールは元よりその手の感情には聡い。

 部族の長の言葉にも怒る事なく、その依頼を受け入れた。


 まぁ元より、この集落にやって来た目的は魔物の駆除と物資の蒐集である。

 仮に長が依頼せずとも、オレはその魔物を狩りに行っただろうから、別に何の手間も増えていない。

 なのに依頼を受けた事で、広き丘の部族に売れる恩の量は増えたのだから、文句を言う筋合いは全くないのだ。



 川に近付くと、その魔物の痕跡は一目瞭然だった。

 疼く傷に苛立っているのか、それとも単に隠れる気がないのか、魔物は活動の痕跡を隠そうとすらしていないどころか、暴れて無意味に周囲を傷付けながら移動している。

 獣や魔物が、己の縄張りを示す為に敢えて痕跡を残す事はままあるが、それとは全く別物だろう。

 いや、縄張りの主張には、或いはなっているのかもしれない。

 他の魔物だって、こんな状態の相手には近寄りたくもないだろうから、自然と避ける。


 ……もしかすると、待っているのかもしれないと、そんな事を思う。

 自分を傷付け、自分が傷付けた相手を、この暴れる魔物は待ってるんじゃないだろうか。

 傷を受けても自分は生き残ったのだから、相手もまだ生きていて、決着は付いていないと、そんな風に考えて。


 けれども、そうだとしても待ち人は、もう永遠に現れない。

 決着は既に付いているのだ。

 生き残った魔物の勝利という形で。

 ただその勝利が認められないというのなら、同じ竜神官として、オレが代わりに決着を付けよう。

 尤も、勝利を認めたら認めたで、仇討ちとして戦うのだから、所詮は言葉遊びだった。


 立ち止まり、遠目に見えたソイツを観察する。

 それは、走り蜥蜴の一種に見えた。

 少し前、元開拓村の住人に言葉を教えている時に聞いたのだけれど、人間の国ではあの類の魔物を走竜と呼んで、馬のように荷を引かせる事があるそうだ。

 魔物であるから狂暴ではあるものの、馬と同じサイズでありながら力はずっと強く、卵から育てる事ができれば多少は言う事も聞くからと。


 確かに姿は少しばかり似てなくもないが、いと高き場所で、アレを竜と呼ぶのは殺してくれと言ってるに等しい。

 人間の国から来たという事情を知ってるオレは別に怒らなかったが、他の竜を崇める民の前では絶対に口にするなと忠告したが、……彼らは加わった部族で上手くやれてるだろうか。


 しかし気になるのは、走り蜥蜴は平原でもそれ程に珍しい魔物じゃない事だ。

 色違いの亜種がいて、強さも多少は違うけれど、それでも一纏めに走り蜥蜴と呼ばれる程度の魔物である。

 いと高き場所では、平原でも捕食される側になる事が多い魔物で、……ベテランの竜神官が不覚を取るような相手じゃない。

 そもそもここまで辿った破壊の痕跡から考えて、オレはもっと大きな魔物を想定していたのだけれども。


 痕跡を追って発見した事、潰された片目、落ち着きなく荒ぶる気配と、その走り蜥蜴が件の魔物だと断定する条件は整っていた。

 何とも興味深い。

 考えられる可能性は幾つかある。

 例えば、実はあの走り蜥蜴は群れの長で、目立つあの個体に隠れて、複数の配下が周囲に潜んでいて、破壊の痕跡を残したのは大勢だったとか。

 または魔物の中には特殊な能力を持つ種がいるから、あの走り蜥蜴も、……攻撃の呪いに近いような能力を持っていて、それを使って破壊を撒き散らしたのだとか。


 ……ただあの魔物が群れの長だったとしても、配下の足跡等をオレが見逃してるとは考えにくいし、呪いの類を使える程に知能が高い魔物なら、こんなに無秩序に暴れない筈。

 結局のところは、遠目に見ながら考えたところでわからなかった。


 まぁ、いい。

 答えは目の前にあるのだ。

 オレは手を鉤爪に変え、全身を竜鱗に包まれながら、前に出る。

 そうすれば流石に走り蜥蜴もこちらに気付き、ジッと視線をオレに注ぐ。

 まるで、現れたのが自分の待っていた相手かどうかを、確認するかのように。


 だが、走り蜥蜴の都合は関係なかった。

 奴がオレを決着を付けるべき相手だと認識しようがしまいが、これから起こる事に変化はない。


「ク゛ル゛ゥ゛オ゛ォ゛ォ゛ォ゛オ゛オ゛オ゛ッ゛」

 大きく息を吸い、圧するように咆哮を放つ。

 平伏せ。さもなければ殺すとの意を込めて。


 竜の咆哮。

 第六階梯の試練を越える事で授かったその咆哮を耳にすれば、人であれ魔物であれ弱き者は意識を失い、そうでなくとも戦意を挫く。

 正面から咆哮を浴びた走り蜥蜴は間違いなく一瞬怯んだが、しかし意識を失わず、逃げ出しもしなかった。

 だったらもう、間違いはない。

 この走り蜥蜴こそが、広き丘の部族の竜神官を殺した、強い魔物だ。



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