第32話


 オレとジャミールがその集落に派遣されたのは、秋も半ばが過ぎた頃の事。

 それは南の平原の片隅にある、人口も百人程の小さな集落だった。

 暮らす人々が名乗るのは、広き丘の部族。

 実際の集落の規模とは裏腹の、大きな名前だ。


 以前にも述べた事があるかもしれないが、南の平原はいと高き場所の中でも、比較的ではあるが暮らし易い場所で、集落の規模も大きなところが多い。

 にも拘らずこんなに小さな規模の集落があるというのは、中々に驚きだった。

 何でも以前の人間の国からの、ガラシャ帝国の本腰を入れた大規模な侵略で、多くの戦士と竜神官を失って集落の規模を縮小せざるを得なくなり、それからも中々竜神官が生まれずに、立て直せていないのだとか。


 ただこの集落が抱えてる問題は、人口の少なさではなく……、あぁ、いや人口の少なさもその要因の一端だけれど、より深刻なのは竜神官の不在だった。

 この集落を細々とでも存続させる為に奮闘していた竜神官が、秋になって活発に動き出した魔物に不覚を取って深い傷を負い、そのまま地に還る事になってしまったのだ。

 後に残されたのは、頼りを失った百人と、まだ魔物と戦った事のない竜神官の見習いが二人。


 これは非常に拙い事態である。

 正直に言えば、もう広き丘の部族の存続は諦めて、他の集落に受け入れて貰った方が早いくらいに。

 実際、竜人に助けを求めれば、そうすべきだと諭される筈。

 何しろ、この状況からでは、集落を自力で立て直す術がない。

 今、広き丘の部族は、間違いなくいと高き場所で暮らせぬ弱者だった。


 竜神官の見習いの二人は、集落にとっての希望だろう。

 しかしその希望は、とても重くて残酷だ。

 まず先達たる導き手が居なければ、正しい修練はもちろん、第二階梯の試練を受けるに足る実力が身に付いたかの判断すらできない。

 更に素手でどうにか殺せる程度の魔物を選別して、一対一の状況を作る事だってできないから、試練の危険度は通常とは比べ物にならなかった。

 ハッキリと言えば、単なる自殺も同然となる。


 もちろんもっと昔の、竜を崇める民がいと高き場所に暮らし始めた頃の竜神官なら、それが当たり前だったのかもしれない。

 野に生きる獣や魔物が、戦う相手を選べないのと同じように。

 だがそうした竜神官が、先達がより着実に竜へと続く道を踏み固めてくれた結果、今がある。

 わざわざそれを放棄して、野の獣と同等になる必要はどこにもない。


 オレとジャミールが頼まれたのは、魔物の駆除と集落に必要な物資の蒐集。

 つまりは冬を越す為の準備だ。

 けれどもそれだけで良いのだろうかと、ふと、そんな事を考えてしまう。


 魔物が減って物資があれば、確かにこの集落は冬を越せる。

 でもそれだけだ。

 この集落が置かれた状況は変わらないし、やがて期待を背負った見習いが第二階梯の試練を越えられずに死んで、結局は集落も解散する未来が待っている。

 だったらオレ達のする集落の延命に果たして意味はあるのだろうか。



「馬鹿にでもなったのか?」

 だけど、ふとオレがそれを口にすると、ジャミールは心底呆れた表情を浮かべて、そう吐き捨てる。

 まぁ、そう言われるだろうとは、薄々わかっていたけれど、やっぱりか。

 オレだって、自力でこの地に生きられぬ者達に、必要以上に手助けをする事がおかしいのはわかってた。


 でも、その先に続くジャミールの言葉は、少しばかりオレの予想外の物で……、

「集落の解散を先延ばしにする意味なんて、あるに決まってるだろ。できるだけの事をしてからでないと、諦められないなんて当たり前じゃないか」

 まるで彼の言い分は、広き丘の部族を擁護しているようにも聞こえる。

 思わず、呆然としてしまう。


「けれども頼まれもしないのに手出しするのは、余計なお世話だ。オマエ、誰に助けて欲しいって言われたよ。誰もそんな事は言ってないだろ」

 ジャミールの口調は辛辣だが、……何故だかどうして、その裏側に優しさを秘めてるように、錯覚しそうになる。

 いや、錯覚ではなく、ジャミールはわかり難いところはあるけれど、目下や弱ってる相手には優しい奴だ。

 確か以前も、下手な慰めを言いに、オレの洞窟を訪ねて来た事があった。


「そりゃあ、この集落の連中だって助けて欲しいとは思ってるさ。でもその為に他所の集落の竜神官を長期間借り受けるなんて無理だ。だから少しずつでも諦める為に、時間が必要なんだよ」

 その言葉に、オレは頷く。

 あぁ、確かにそうだろう。

 他所の集落の見習いを鍛える時間があるならば、自分の集落の見習いを鍛える事に労を費やした方が良い。

 顎の谷の集落でも、ハサムとレッサ、二人の竜神官の見習いが誕生したばかりである。


「見習いだって別に死にやしないさ。全てを失ってから他の部族に身を寄せるのと、竜神官の見習いを手土産に身を寄せるのじゃ、どっちが歓迎されるかなんて考えるまでもないだろ。オマエは変な事を気にし過ぎなんだよ」

 ジャミールの言いように、オレは返す言葉もない。

 そんなに上手くいくだろうかとオレは考えてしまうけれど、僕に思考を寄せてみれば、彼のいう事は一々尤もに感じる。


「でも、ちょっと驚いたな。オマエは、竜と自分以外には無関心な奴で、他人なんてどうでも良くて、集落に対しても義務を果たしてるだけだって顔してたけど、ちょっと変わったんだな」

 最後に、ジャミールは少しだけ笑って、そう言った。

 随分と言いたい放題だけれども……、確かにそうだったかもしれない。

 今までのオレなら、ジャミールの言葉を正しく理解しなかっただろうし、そもそも彼がそれを言う事もなかった筈だ。


 変わった理由があるとすれば、それは前世の僕を思い出したからか。

 前世の僕を知ったから、ジャミールの言葉が、弱い者の立場から物を見てるが故に出る物だと理解できる。

 竜神官という強い立場でありながら、弱い者の視点を持つジャミールは、恐らく本当に優しい奴なのだろう。

 その優しさが、竜へと続く道を歩む手助けになるのかは、オレにはまだわからないけれども。


 ふと、思考を僕に寄せたからか、その時ある事を思い付く。

 他所の集落の見習いを鍛える為に、竜神官を長く派遣する筈がない。

 それは確かにそうだった。

 けれども、逆ならどうだろうか。


 第二階梯の試練を越える力を身に付けさせるために、見習いを他の集落に、この場合は、顎の谷の集落に派遣する。

 見習の彼らは、今は広き丘の部族を支える役には立たないだろう。

 だから極論を言えば、集落に居続ける必要はない。


 また顎の谷の集落でも、見習いの方から出向いてくれるなら、自分の集落の見習いを鍛えるついでに、纏めて面倒を見るくらいはする筈だ。

 教えを受けた見習いは、間違いなく顎の谷の集落に恩義を感じるし、彼らが無事に竜神官になったなら、広き丘の部族も恩を感じる事だろう。

 仮にそのまま集落が解散したとしても、手土産となるのが教えを受けていない見習いと、教えを受けた見習い、或いは第二階梯の試練を越えた竜神官では、受け入れる側の集落の歓迎度合いも大きく変わる。


 オレの、いや、正しくは僕の提案に、ジャミールは驚いた顔で固まってから、真剣な表情で思案を始めた。

 ブツブツと呟きながら、より具体的な案を固め出す彼。

 先程までの言葉でわかった事だが、ジャミールもまた、救えるものなら広き丘の部族や見習いの竜神官を、救いたいと思っているのだ。

 それから暫し、オレとジャミールは詳細を詰める為に言い合いを続け、以前よりも少しだけ互いを理解する。


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