第31話


 ここ最近、顎の谷の集落では慶事が続く。

 その一つはアメナが第二階梯の試練を乗り越え、見習いではなく正しく竜神官となった事。

 新たに魔物と戦える竜神官の誕生は、集落の存続にも関わる大きな慶事だ。

 更に、顎の谷の集落では、第一階梯の試練を乗り越えて竜神官の見習いとなった子供が、二人出た。


 一人はハサム、六歳の男児で、もう一人はレッサ、四歳の女児である。

 全ての食物に一切火を通さず生で食べ続け、竜の食事を真似る第一の試練は、竜への道、竜神官が挑む試練の中で、最も死亡率が高い。

 何しろ竜を崇める民に生まれた者なら、おおよそ誰もが一度は挑み、命を脅かされて中断している試練なのだ。


 これまではアメナが最も年下の竜神官で、それ以降は長く第一階梯の試練を乗り越えた子供は出なかったが、立て続けに二人の子供が竜神官の見習いとなった。

 その事は本当に、誰もが心から祝える慶事であろう。

 アメナが第二階梯の試練を越えた件に関しては、彼女を嫁にと狙っていた者等、素直に喜べなかった連中も少なくはなかったから。

 別に試練を越える事と婚姻は全く関係ないのに、相手が魔物と戦える竜神官となると、急にしり込みする様子。

 まぁ、そんな事はさておき、今、顎の谷の集落では、皆の雰囲気がとても明るい。


 加えて秋という時期は食料の豊富な実りの季節だ。

 尤も魔物も冬になる前に精一杯に肥え太ろうと活発に動くから、必ずしも喜びばかりがある時期ではないのだけれど、そこは竜神官の出番である。


 しかしそんな時期にも拘らず、オレは顎の谷の集落を留守にする事が多かった。

 さっきも述べた通り、秋は実りの季節であると同時に、魔物が活発に動く時期だ。

 そして魔物が怖くとも、秋の間に食料を集めねば、冬越えに支障が生じてしまう。

 顎の谷の集落は、今、非常に竜神官の数が多いから魔物も脅威にはならないけれど、竜を崇める民の全ての部族にその余裕がある訳じゃない。


 昨年までは頼りにしていた竜神官が、試練に挑んで命を落とし、急に苦境に立たされる集落は、決して珍しくないのである。

 その為、今の顎の谷のように竜神官の数に余裕がある集落では、苦境に立たされる集落に竜神官の一部を応援に出すのが、昔からの風習だった。

 まして、ワイバーンに乗って素早く移動できる竜神官が二人も居るなら、応援に赴ける集落の距離も問題にならない。

 集落の英雄であるラシャドは万一に備えて動かせないにしても、オレを応援に派遣して欲しいという要望はかなり多かったのだろう。

 オレはあまり休む間もなく、西へ東へ、南へ北へ、ヴィシャップに乗って飛び回る事になっていた。


 ただ、一人だと目が回りそうな忙しさも、道連れが居れば随分と気持ちも紛れてくれる。

「全く、何だってボクがこんな事に……」

 そう、ヴィシャップに乗って運ばれる度に溢すのは、顎の谷の集落で第四階梯に達した竜神官の一人、ジャミールだ。

 ラシャドはさっき言った通りで、長もまた立場的に集落からは動かせない。

 アメナは流石に他所の集落に派遣するにはまだ未熟で、レイラは育ててる子から離れたがらないとなれば、オレ以外に気楽に動ける竜神官はジャミールしかいない。


 気楽に動けるは、言い方を変えれば命が軽いとも言う。

 もちろん竜神官の存在は集落にとって大きいから、軽く見られてるって訳じゃない。

 けれども、オレやジャミールは、失ってもまだ換えが利く存在である。

 実際、オレとジャミールを足しても、ラシャド一人に及ばないのだ。

 故にオレやジャミールが他の集落に派遣されるのは当然であり、納得済みの事だった。


 にも拘わらずジャミールがヴィシャップに乗る度にブツブツと溢すのは、……どうやら彼は、高い場所が苦手だからなのだろう。

 当然、プライドの高いジャミールが自らそれを口にする事はないけれど、ヴィシャップに乗る時のガチガチに固まった姿を見れば一目瞭然である。

 地上では偉ぶってるし、訪れる先の集落では女に囲まれて満更でもなさげなジャミールが、ヴィシャップに乗って移動する時は途端に大人しくなってしまうのが、これが中々に面白い。

 別にわざわざそれを指摘して、プライドを傷つけてしまう心算はないけれど、忙しい日々の中で見つけた、ささやかな娯楽にはなっていた。


 前世の僕の知識でいうところの、高所恐怖症か。

 いや、恐れを押し殺しながらワイバーンの背に乗れてる時点で、そう呼ぶ程に深刻な物ではないのかもしれないけれども。

 人間が高き場所を恐れるのは自然な事で、身の安全が確保されていても高さを忌避するって然程珍しい訳じゃない。

 但し竜神官にとっては、かなり大きな弱点だ。


 第四階梯である今なら、採取に赴く先を碧風竜が棲む険しい西の御山ではなく、黒地竜が棲む、極端な起伏の少ない東の御山にする事はできる。

 別に西の御山に比べて東の御山が安全って訳でもないので、それで文句を言われはしないだろう。

 今にして思えば、オレに西の御山での仕事が良く回って来たのは、ジャミールが東の御山に頻繁に出入りするからだったのかもしれないけれど、そのお陰で碧風竜に気に入られたのかもしれないと考えれば、感謝してもいいくらいだった。


 けれどもジャミールが第五階梯に挑む心算なら、高い場所を苦手がってる場合じゃない。

 第五階梯の試練で屈服させなければならないワイバーンは、空を自在に飛べる相手だ。

 もちろんワイバーンと戦うならば飛ぶ事を許さずに叩き伏せるのが一番だが、必ずしもそれが上手くいくとは限らない。

 仮に順調に第五階梯の試練を乗り越えたとしても、高い場所を恐れていては、従僕としたワイバーンに侮られてしまう。

 また今のオレのように、他の集落からの応援を要請される事だって、ワイバーンを得れば増える筈。


 以前ならともかく、今のオレは、高い場所が苦手だからと言って、ジャミールを弱いと決めつけてしまう気はなかった。

 欠点、弱点は、誰にもあって当然だと、今のオレは思ってる。

 前世の僕は、オレから見れば弱い存在で、実際に病に抗い切れずに理不尽に死んだ。

 しかしその前世の僕があったからこそ、オレはヴィシャップを屈服させられて、前回の侵略者、開拓村の件もより良い形で解決できた。

 だったらそれは、間違いなく強さである。


 弱くても、強い場合があるのだ。

 同じ人間でも、弱さが目立って上回る時と、強さが発揮される時がある。

 リジェッタは肉体的には弱い女だが、けれども同時に彼女はとても強い女だった。


 オレには想像もできないけれど、英雄と呼ばれるラシャドにだって、何らかの弱点や欠点、苦手はきっとあるのだろう。

 だから高い場所が苦手だというだけで、今のオレはジャミールを弱いと決めつけない。


 竜の中にも、空を飛ばぬ水竜や地竜はいる。

 ジャミールが目指す竜がそれらであるなら、別に彼の苦手はあっても構わない類のものだ。

 ……まぁ、ワイバーンには最低限でも乗れた方が良いとは思うけれども。

 折角、オレにはヴィシャップというワイバーンがいるのだから、ジャミールがワイバーンに乗れるように協力してやりたいとすら、思う。

 ただ、プライドの高いジャミールに、どうやってそれを申し出れば良いのかは……、中々に難しい問題だった。


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