第22話


 冬が終わり春が来て、世界を取り巻く色が変わった。

 雪の白から、草花の鮮やかな色へと。

 吹く風も、冬の鋭さが嘘のように、今はとても柔らかい。


 しかしそんな季節になったからこそ、生き物の動きは活発になり、そこには何らかの問題が生じる。

 例えば雪が解けた草原に狩りに出掛けた戦士が、魔物に怪我を負わされたりだとか。

 それは冬の間、集落に籠っていたから身体が鈍っていた為かもしれないし、冬の眠りから目覚めた魔物が腹を空かせて狂暴だったせいかもしれない。

 けれどもそれでも、戦士達が狩りに出ねば、冬の間に蓄えを減らした集落が飢える事になるし、魔物が人間を侮れば、集落に手を出す恐れもあるだろう。


 だから春は、竜神官にとっても忙しい季節だ。

 怪我人の為の薬草を集め、戦士が手に負えない魔物を狩り、更にはまず何よりも大切な、御山に供物を捧げる儀式もあった。

 前の儀式が夏の終わりだったから、本当は冬の終わりにその儀式は行われるべきなのだろうけれど、まだ雪の残る御山で主たる竜が動けば、下手をすれば緩んだ雪が崩れてしまう。

 御山の主たる竜にとっては雪崩なんて何の問題にもならないだろうが、谷の集落に住む人間にとっては大事だ。

 故に夏の儀式は終わり頃の定められた日があるが、春の儀式は麓付近の雪がなくなってから、日を選んで行われる。

 でもそれは毎年の事で、大変ではあっても、多少の問題が生じても、誰も慌てはしないし、やはり春は皆が待ち望んだ季節なのだ。


 だけど今年の春は、そんな毎年の問題以外に、とても厄介で面倒な出来事が起きたらしい。

 その厄介事の報せを運んで来たのは、この顎の集落の住人ではなく、竜人にして先達たる竜神官のラグナ。

 つまりは、そう、それは顎の集落にとってだけの厄介事ではなく、全ての竜を崇める部族を巻き込む大きな問題だった。


 それを最初に見つけたのは、ここから南にある平原に住む部族の一つだったという。

 平原から更に南、いと高き場所と人間の国を遮る大きな川のこちら側に、船着き場と村が、着々と作られつつあったというのだ。

 そう、実に不可解な事に、軍の駐屯地でも砦でもなく、村である。

 人間の国に住む住人にとってのいと高き場所は、彼らが蛮族と呼ぶオレ達が住む敵地であるというのに。


 仮にそれを見付けたのが顎の部族であったなら、深くは考えずにオレを含む竜神官が複数人で襲撃し、燃やして終わりにしただろう。

 砦ならともかく、単なる村を燃やす程度なら、オレとヴィシャップだけでも事足りる。


 だが平原の部族は、見付けた村に対しては慎重だった。

 以前にも少し述べたけれど、いと高き場所でも南の平原は比較的だが人間にとっても住み易い場所で、そこに集落を構える部族は少なくない。

 いやむしろ、いと高き場所に暮らす人間、竜を崇める民の半数程は、南の平原で暮らしてる。

 但し暮らしやすい環境であるからだろうか、平原の部族に所属する竜神官は、高い階梯にまで試練を進める者があまり多くないと聞く。


 竜を崇める民にとって最大の戦力は、やはりどうしたって竜神官だ。

 堅牢な鱗と鋭い鉤爪を備えた、第三階梯にまで進んだ竜神官だって、並みの戦士の十や二十は軽く蹴散らす。

 ましてやワイバーンを従えた竜神官ともなれば、もはや戦力差は単純な数では埋まらない。

 何せ空から火球を落とすだけで、並の人間には手出しができなくなるのだから。

 要するに竜を崇める民の基準で言うならば、平原の集落に暮らす彼らは、数こそ多いが戦力には乏しい部族であった。


 だからこそ村を見付けた平原の部族は対応には慎重で、すぐには手出しをせずに周囲の集落とその情報を共有し、それが偶然にも南の平原を訪れていた竜人の耳に入ったらしい。

 そしてその竜人が思い出したのが、冬の初めに天騎士がいと高き場所を探っていたという、顎の集落からの報告だったそうだ。


 敵地に村を築くという無防備な行動もおかしければ、まだ本格的な戦いが始まっている訳でもないのに、人間の国にとって切り札とも言える天騎士が、それもグリフォンを従える程の強者が動くのも不可解である。

 竜を崇める民としては、その村の存在を許す訳には当然いかない。

 しかし竜を崇める民としても、人間の国との全面的な争いは、避けれる物なら避けたいのだ。


 いと高き場所を守る為、あらゆる犠牲を許容する覚悟はあった。

 それでも流れる血は、少なければ少ない方が良いに決まってる。

 人間の国との全面的な争いになれば、竜神官も戦士も多数が命を落とすだろう。

 竜神官はそれでも、己を磨く修練、試練の最中に死んだと思えばそれも仕方ない。

 相手が魔物であっても人間であっても、戦いは己を磨く機会である。


 だが戦士は同時に狩人なのだ。

 獣や弱い魔物を狩り、集落に肉を齎す存在だった。

 彼らの数が減ったなら、集落の守りが弱くなるだけでなく、養える人の数も減る。

 生まれる子供の数が減り、或いは一人一人が食べられる量も減り、竜を崇める民そのものが少なく弱くなってしまう。


 いと高き場所という厳しい環境で、竜を崇める民が力を取り戻すには、多大な苦労が必要となる。

 竜人はそう考えて、この問題を竜を崇める民の集落全てで共有し、対処する事を決めたらしい。

 侵入者は必ず排除しなければならないが、対処の方法を上手く選べば、今回は人間の国との全面的な争いは避けられる可能性があると、そう判断したのだろう。


 何とも、実に優しい話であった。

 多くの竜人にとって、竜神官以外の人間は、それが竜を崇める民であっても、放っておけば勝手に数が増える何か、くらいの認識だろうに。

 今回の件を判断し、主導して動いてるラグナは、もしかすると竜人の中でも変わり者の部類になるのかもしれない。

 高位の竜神官でもある彼が、竜人の中でも高い地位にある事は、恐らく間違いないのだろうけれども。


 そしてそんな竜人のラグナがこの集落へとやって来た理由は、

「顎の谷のザイドよ、汝には竜を崇める民を代表し、いと高き場所からの退去を勧告する使者として、我と共に件の村へと赴いて欲しい」

 オレをその村へと連れて行く為だった。


 相手が侵略者であろうとも、竜を崇める民を代表する使者として赴くならば、当然ながらそれなりの格が必要だ。

 竜を崇める民においてその格とは、やはり竜神官である事だろう。

 また同じ竜神官であっても、多くの試練を乗り越えていて、更には竜から鱗を授かっていれば、より高い格を備えていると判断される。

 例えば、ラシャドが顎の部族の英雄として扱われているように。


「しかし年嵩の、熟練の竜神官を連れて行けば、件の村は大いに警戒するだろう。ただでさえ我が姿は、人間にとっては脅威に映る。無用な刺激は避けたいのだ」

 だからこそ若年者でありながら、既に第六階梯までの試練を乗り越え、竜からの鱗も与えられたオレに、その話は回って来たのだろう。

 オレならば相手に危機感を抱かれ難いというのは、軽く見られているようで腹立たしいが、若年者である事は事実であり、ラグナがオレを軽く見てるという訳ではない。

 竜人の表情は人間であるオレには読み解けないが、彼は真摯に頼み込んでいる風に見えた。

 無論、退去を勧告したところで村が素直に従うとは思えないが、あちらの意図が掴める可能性は低くない。

 仮にあの村が、人間の国が仕掛けた罠であっても、竜人に加えて第六階梯まで乗り越えた竜神官が居れば、罠ごと食い破って村を焼き、脱出する事もできようからと。


 ……まぁ、断る理由はないだろう。

 危険も皆無ではないが、それは竜神官にとっては何をするにも当たり前の話である。

 多少の危険と引き換えに、竜を崇める民の犠牲が大きく減らせるかもしれないのなら、やる意味は十分だ。

 竜人に貸しを作れる機会なんて、滅多にある事じゃないのだし。


 何より、あの天騎士が一体どこの誰だったのかも、もしかすると掴めるかもしれないから。

 オレはラグナからの要請に躊躇わずに頷き、彼と共にその村を訪れると決めた。

 いずれは争う事になるだろう人間と、見知って言葉を交わす為に。

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