第21話
つくづく蛮族だなぁと、僕の感性が感じてる。
これが試練に必要な行為であったとしても、家畜の血を身体に塗りたくるのは、あぁ、まぁ、文明的には程遠い行為だろう。
実際、オレにとっても決して気持ちのいい物ではないのだし。
まだ寒さが残る暗い夜の森の中、壺に入った家畜の血を体に塗り終えたオレは、残った中身を辺りに撒き散らす。
血の臭いが辺りに広がるように。
これは、そう、撒き餌のような物だった。
血の匂いは、飢えた魔物を興奮させて、呼び寄せる。
けれどもやって来た魔物の全てを満足させる程の獲物は、ここにはない。
ただ、オレがいるのみだ。
家畜の血に塗れ、魔物の食欲を刺激する匂いに包まれたオレが。
故に魔物達は、我先にとオレを引き裂き、その肉を喰らおうとするだろう。
他の魔物に食われてしまう前にと。
魔物同士で争う間すら惜しんで、オレに殺到して来る筈だ。
その為の、家畜の血であるのだから。
ここは決して大きな森じゃないから、一体一体の魔物は然程に強くはない。
たとえそれが森の主であっても、一対一ならオレが後れを取る事はない。
だが問題は、数だった。
無数の魔物に四方八方から襲い掛かられれば、或いは巨大な一体の魔物に薙ぎ払われる以上に、回避は困難になる。
数の力は、時に強い個の力を上回る。
だけどその数の力を捻じ伏せ、踏み潰してこそ、強い個どころではない圧倒的な強者、竜へと続く道を先に進めるのだ。
今回の試練には、上品な感性はあまり役に立たないだろう。
巧遅では動く前に数に飲まれる。
必要なのは、拙速であり蛮勇だった。
それも己の魂の形を変えるくらいの野生、本能を内側から絞り出し、強者に至る格を得なければならない。
ギィィィィィィッ。
その声と共に、夜の森が揺れた気がした。
血の匂いに気付いた魔物達が、我先にとこの場所へ押し寄せだしたのだ。
オレは息を吸っては吐いて、心を定める。
竜の鱗を身に纏い、鉤爪を生やす。
「グルォオオオオオオオオッ!」
そしてひと声、大きく吠えた。
これは竜の咆哮ではない。
単なる大声、ウォークライだ。
血に匂いに興奮した魔物は、この声を聞いてすらいないだろう。
けれどもこの戦いの中で、オレはこの咆哮を本物の竜の声とする。
ギャァ!
樹上から、真っ先に飛び掛かって来た猿の魔物を鉤爪で引き裂き、その骸を蹴飛ばし、こちらに向かってこようとする他の魔物にブチ当て動きを止めて、オレは自ら魔物の群れへと突っ込む。
受け身に回れば、勢いのままにひき潰されて死ぬだけだと、本能的に理解したから。
殺される前に魔物を殺し続け、体力が尽きる前に、魔物が畏怖する本当の強さを、自分の中から引き摺り出す。
魂の形を竜へと近付ける為に。
魔物の爪や牙を、竜の鱗で弾き散らしながら、引き裂き、踏み潰し、血と肉を撒き散らし、前へと進む。
しかしダメージが皆無という訳ではない。
鱗で魔物の爪や牙を弾いても、衝撃は中の肉体にまで届く。
一つ一つは小さくとも、それはオレの身体の中に少しずつ蓄積していくだろう。
やがてオレは、その蓄積を疲労感という形で感じるようになる。
竜の守りが万全なのは、鱗の堅牢さに加えて巨大な体躯と、それに相応しい体力があるからだ。
衝撃を物ともしない質量は、未だ竜ならぬオレにはどう足掻いても手に入らない。
だから感じる疲労感を忘れる為に、より一層の蛮勇を震わせ、血と殺戮に酔い、高揚を以てそれを吹き飛ばす。
いずれ限界が来るとは分かっていても、それ以外に方法はなかった。
殺し、殺し、殺し、殺す。
もはやどちらが魔物か、わかった物ではないだろう。
いいや、どちらも魔物であるのだ。
今のオレの心は、人であるよりも獣に近い。
魔物が魔性の獣であるのなら、オレもまた、血と殺戮に酔った魔性の獣であった。
つまりは全く足りてない。
竜を目指すオレが、獣や魔物で満足してていい筈がないのだ。
魔物では、今も周りを取り囲む有象無象と変わらない。
腕に噛み付いた狼の魔物を、地に叩きつけて首を折って殺す。
それを隙と見て襲い掛かってくる他の魔物達は、口から火を吐き、焼いて殺した。
何匹か纏めて焼いたから、どんな魔物であったかは、一々確認していない。
けれども疲労感が、高揚で誤魔化せなくなってきている。
オレの肉体は小さく、そこに詰まっている体力は有限だ。
こちらが攻撃をしても、魔物の攻撃を受けても、体力はジワジワと削れ続けてる。
限界は、然程に遠くはないだろう。
だが殺す。
殺さねば殺されるからではなく、殺す。
有象無象の魔物如きがこのオレを殺せると、餌だと見做してる事実に怒りを覚えながら、殺す。
そう、限界が間近になったオレの内側から引き摺りだされて来たのは、……自分でも驚く程のプライドだった。
竜に至らんとするオレが、魔物如きに舐められている事が許せない。
どうしようもないと理解はしていても、苦戦しているこの状況にすら腹が立つ。
その事が、真っ赤な炎となって燃え盛り、オレは怒りのままに、口を開いて飛び掛かって来た魔物の上顎と下顎を掴み、上下に引き裂く。
しかし怒りは収まらず、オレは胸に燃えるそれを口から吐き出すように、周囲に向かって炎を撒き散らす。
これまでよりもずっと強い炎の壁に遮られて、魔物達は明確に怯む。
それはオレの怒りが、魔物の血への興奮を上回った一瞬だった。
ふざけるなと、その事にすらオレは怒りを覚える。
この程度で怯む雑魚がオレの前に立とうとするな。
血を撒き、魔物を呼び寄せたのが自身であったにも拘わらず、そんな風に理不尽な怒りを覚えるオレ。
今、オレの中では、もう完全に己が上で魔物達は下なのだ。
ごく自然にそう感じていて、オレは口を開く。
「ク゛ル゛ゥ゛オ゛ォ゛ォ゛ォ゛オ゛オ゛オ゛ウ゛ッ゛」
平伏せ。さもなければ殺す。
邪魔だ。殺す。
不愉快だ。消え失せろ。いや、死ね。
怒りと、上からの意思を下に叩きつけるような、咆哮。
それを浴びた魔物達の反応は激烈で、距離があった魔物達は一目散に逃げ出して、近くの魔物も、多くは竦み、地に伏して、まるで命乞いをするかのような姿勢を取っている。
残る魔物は、より弱い魔物だったのか、声を浴びただけで気を失って、転がっている。
あぁ……、これが竜の咆哮か。
それが正しい形であるのかはわからないけれど、ごく当たり前に存在の上位者が、他を圧する声。
もちろん、全く足りてはないのだろう。
オレが本当に竜であるなら、こんな有象無象の魔物は、声に怯むどころか、声の届く位置にすら近寄らない。
竜に近寄れる程の強い魔物であったなら、今のオレの咆哮なんて無視した筈だ。
けれども、今、確かにオレの魂の形は、以前に比べて少し変化してる。
そう、第六階梯の試練を、オレは無事に乗り越えたのだ。
後は咆哮の使い方に慣れ、鍛え上げれば、より強い相手の意気も挫けるようになる。
だが不思議と、その事への喜びがまだ湧かない。
今は、まるでそれが当たり前のように感じてしまっているから。
ぐるりと周囲を見回す。
伏せてる魔物達が目に入るが、そちらへの興味も、失っていた。
踏み潰す事は簡単だが、それに意味を感じない。
帰ろうか。
ここにいる意味は、もうないだろう。
オレはもう一度声を上げ、ヴィシャップを呼ぶ。
背に乗って、集落へと帰る為に。
その声にすら周囲の魔物は震えるが、それはもう、オレの知った事では全くなかった。
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