第15話
預けた鱗の加工には、少しばかり時間が掛かるらしい。
簡単な細工であれば瞬く間に、それこそ魔法のような手際で作り上げてしまう彼らであっても、碧風竜という強力な竜の鱗に見合った加工を施すには、それなりの手間暇をかける必要があるのだろう。
故にオレは、最低でも一週間はこの地人の集落に滞在し、その世話を受ける事となった。
だが当たり前の話だが、何の対価もなしに鱗の加工や、また滞在の世話をして貰える訳じゃない。
また金銭のやり取りを行う文化のない竜を崇める民の間では、対価と言えば物品か、或いは労働だ。
そして交易の為の品を持参した訳でもないオレに支払える対価と言えば、魔物の討伐か、地の小人の集落に必要な物資を採取してくる事くらいだった。
つまりは、そう、何時も通りの竜神官としての仕事である。
地の小人の集落は、山の大きな洞窟に作られているが、彼らが集落として利用するのはその入り口部分に過ぎず、その奥は更に大きく広がって、巨大な地下空洞になっているという。
そこは燃え盛る炎の川が流れる高熱の空間で、時には毒性の瘴気が充満していたり、その環境に適応した魔物も多く棲んでる。
僕の知識を用いてもう少しわかり易く言えば、マグマが流れ、火山由来の有毒なガスが溜まっている事もある、実に危険な場所だ。
しかしそんな危険で特殊な場所だからこそ、そこでしか採取できない物がある。
それを採取して来るのが、或いはその採取の邪魔となってる魔物を排除するのが、竜神官であるオレの役割だった。
とは言えそんな特殊な環境での活動を、案内人もなしにこなせる自信は、流石にない。
例えば燃える石を取って来てくれと言われても、どれが一体その燃える石で、どこに行けば手に入るのか、さっぱりオレにはわからないからだ。
僕なら燃える石と言われると硫黄や石炭を連想するが、確実にそれであるという確証はないし、どこに行けば手に入るのかはやはり同じくわからないし。
故に案内人として付けられたのが、
「おぅおぅ客人、喉が渇いたら早めに水は飲んどけよ。ここの熱気は余所者にはキツイし、アンタが倒れても俺っちにはどうしようもねぇからよ」
オレの肩の上で良く喋る、ギギアルという名の地の小人。
彼は集落の長であるババベラの甥の子、つまりは大甥で、その小さな顔立ちは子供のようにしか見えないが、既に大人として働いている年齢だという。
尤もオレは地の小人が何年生きて、何歳で大人として扱われるのかを全く知らないから、ギギアルが年上なのか年下なのかはわからない。
尋ねようかとも思ったが、仮に年下ならば、やはり子供扱いしてしまいそうだし、逆に物凄く年上だったりしたら、意識せずとも畏まってしまいかねないから。
謎は謎のままに、彼は対等の、仕事相手として扱う事を心に決める。
「あぁ、わかった。確かに慣れない環境だ。ギギアルの言う事に従おう」
確かに暑いが、この程度なら大丈夫……という気持ちに蓋をして、オレはギギアルの言う通りに水袋に口を付けた。
以前のオレなら侮られまいと、必要ないと断ったかもしれないけれど、今はそれは意味のある必要な事だと、僕の知識を得て知っている。
高温環境による脱水、熱中症は、体力や気力の有無とは別に人を行動不能にし、時には死すら齎すという。
もちろん意地を張る事が必要な場合も稀にはあるが、こんな所で張る意地は愚かだし下らない。
ギギアルの案内で歩く地下空洞は、これまでオレが見てきたどんな場所とも全く違う環境だ。
外からの陽光は届かないのに、燃え盛る炎の川が放つ光で充分に明るい。
だがその反面、ドロドロゴボゴボとした音は鳴ってるし、妙な匂いも立ち込めていて、耳と鼻を使った警戒には難がある。
熱で空気は揺らいでいるし、魔物の気配も感じ難かった。
もしもオレが一人でこの地下空洞に踏み込んでいたら、或いは魔物に不覚を取ったかもしれない。
しかし肩の上の同行者であるギギアルは、案内人としてはとても優秀で、
「おぃ、姿勢を低くしろ。あっちの道に走り蜥蜴の群れがいるぞ。ほら、そうっと覗いてみろ、あっちの方にいるだろ」
素早く魔物の存在を察知しては動き方を指示してくれるので、オレは不意を打たれずに済んでいる。
走り蜥蜴とは、強靭な後肢で素早く駆ける魔物で、強靭な顎と短い前肢には鋭い爪を持つ。
その姿はワイバーンや竜を連想させ、人間の国では走竜なんて風に呼ぶそうだ。
実際、僕の知識でも走り蜥蜴に近いのは、前世の世界に大昔に生息したという、ラプトルという恐竜になるだろう。
けれども竜を崇める民の間では、あの魔物を竜の名前で呼ぶのは、あまりに竜に対して不敬であるとして、走り蜥蜴と呼んでいた。
顎の谷の集落の近くでも、東の御山では時折見かけるが、こんな場所にも生息してるらしい。
竜とは比べるまでもないちっぽけな存在ではあるのだけれど、それでも肉食の狂暴な魔物だ。
強靭な後肢で素早く駆け、遠間から一気に飛び掛かって来るこの魔物には、戦い慣れた戦士でも不覚を取る事がある。
ましてや群れともなれば、その脅威は決して小さくなかった。
「走り蜥蜴が……、七匹か。狩っておいた方がいいな。何か注意すべき事は?」
でもだからこそ、その脅威は竜神官であるオレが排除しておくべきものだろう。
数を確認し、オレが小声で問いかければ、
「そうして貰えるとスゲェ助かる。ここの走り蜥蜴は炎には強い。だけど酸や毒を吐いたりはしないから、アンタが聞いてる通りの実力なら問題はねぇと思うぜ」
ギギアルは肩を下りて懐に潜り込みながら、そう答えた。
つまりそれは、走り蜥蜴以外には、この辺りには酸や毒を吐く魔物が出るって話なのだろうけれど……、あぁ、まぁそれは後で聞くとしよう。
懐の奥にギギアルがしっかりと収まったのを確認してから、オレは伏せていた場所から飛び出す。
吶喊するオレに対して走り蜥蜴は、それが人間だと確認すると獲物と認識し、逃がさぬように包囲をする形で動く。
それは獲物を狩って喰らう肉食の魔物としては、至極当然の選択である。
人間は彼らにとって餌に過ぎず、ましてやそれが一人であれば、脅威に思う事はない。
だがその甘い認識が、走り蜥蜴達を殺す。
地を蹴って跳んだオレは、中空で両手を鉤爪に変えて、一撃で走り蜥蜴の一匹を切り裂いた。
一体何が起きたのか、死んだ走り蜥蜴には認識もできなかっただろう。
更に、四方から飛び掛かってくる走り蜥蜴達に対し、オレの身体は鱗に包まれる。
走り蜥蜴の身体を覆うそれよりも、それどころか彼らの爪牙よりも、ずっと硬くて強靭な竜鱗に。
オレは走り蜥蜴達の爪牙を竜鱗で滑らし、弾き、同時に自らの鉤爪で彼らの首を次々と刈り取った。
そう、走り蜥蜴はオレを逃がさないように包囲していた訳じゃない。
オレが彼らを逃がさないように、鉤爪や竜鱗を出さずに獲物と誤認させて包囲させ、一斉に襲い掛からせたのだ。
瞬く間に死んだ五匹の仲間に、残った二匹の走り蜥蜴は今更ながらにオレの脅威を理解するが、もう手遅れである。
咄嗟の逃げを選択し、後ろを向いて逃げ出す態勢を整える前に一匹、駆け出した直後に追い付いてもう一匹、オレの鉤爪が走り蜥蜴を切り裂く。
後に残るは、息絶えた七匹の魔物の骸のみ。
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