第6話


 物凄く当たり前の話だけれど、少しばかりサイズが大きかったとしても、山羊の魔物はワイバーン程の脅威じゃない。

 角を振りかざして突撃してきたところで、竜の鱗を纏った身体で受け止めれば、押されはするけれど角は刺さらず、そのまま首を捻り折れば始末ができる。


 ……が、それはここが平地だったらの話だ。

 こんな高所で崖を背に、魔物の体当たりを受け止めるなんて、幾ら竜の鱗の守りが絶大であったとしても、単なる自殺に他ならない。

 故にオレは、山羊の魔物が戦いに心を定めるよりも、角を構えて地を蹴るよりも早く、竜鱗を身に纏い、竜の鉤爪を生やしながら、一気に距離を詰めて襲い掛かる。


 見た目も好戦性も、どちらが魔物かわからないと僕は思ってしまうけれど、でもこの場では、恐らくこれが最適解だった。

 即決即断、手札を惜しまずに、相手の準備が整う前に殺し切る。

 魔物の実力よりも、むしろ戦いの舞台にこそ危険が潜むこの場では、下手に様子見に回ろうものなら、思わぬ不覚を取りかねないから。


 山羊の魔物にとっても、オレが威嚇すらなしに即座に襲い掛かってきた事は、多少なりとも予想外だったのだろう。

 その山羊が見た目通りに単なる草食動物であったなら、襲われれば本能に従って、反射的に逃げ出した筈だ。

 けれどもその山羊は魔物であり、少しばかりは己が強者の側であるという自負があった。

 だからこそ、最後の一口の食事を飲み込んだ直後であった事もあって、意識の切り替えにほんの僅かな遅れが出る。


 慌てたように振り回される迎撃の角を避けて懐に潜り込めば、生物の多くにとって弱点となる喉が丸見えの状態だ。

 真っ直ぐに突き出した鉤爪は、硬い毛皮を切り裂いて、その下の肉を抉り貫く。

 幾ら生命力が強い魔物であっても、喉を完全に貫かれても平然と生きられる種は、……まぁいなくもないけれど、そんなに数多くはない。

 少なくともこの山羊の魔物くらいならば、この傷は命に届く。


 それでも山羊の魔物は最後の力を振り絞り、首を振って鉤爪を抜き、オレを弾き飛ばさんと暴れようとする。

 だがもちろん、オレはそれを許さない。

 魔物の喉を貫いた鉤爪を握り、肉を引き裂きながらも掴んで、足を踏ん張り、オレはその場に留まって、山羊の魔物を強引に抑え込む。

 その命が尽きるまで。


 本来、魔物と人では膂力の違いは圧倒的だが、それでもオレは竜神官だった。

 試練を乗り越える為にこの身を鍛え上げ、また臓腑を、手を、皮膚を、竜のそれに置き換える時、肉体もそれを動かすに相応しい力を得ている。

 変化は決して、見てくれだけではないのだ。

 そうでなければ幾ら鉤爪が鋭くたって、ワイバーンの鱗や肉は、切り裂けない。


 血に塗れながらも魔物の息の根を止めて、……オレは大きく息を吐く。

 速やかに仕留める為とはいえ、随分と血を浴び、撒き散らしてしまった。

 コルフィーの葉の採取を急がないと、血の匂いを嗅ぎ付けた他の魔物が寄ってくる可能性がある。


 でもその前に、仕留めた獲物に対しての、多少なりとも手間取らせてくれた相手に対しての、最低限の礼儀は必要だ。

 突き刺していた鉤爪を抜くと、爪先で魔物の胸を切り開く。

 そして既に止まった心臓を抉り出せば、オレは精一杯に大きな口を開け、迷わずガブリと齧り付いた。

 ミチミチと、それからゴリゴリと硬い心臓の筋を噛み千切り、飲み下す。


 オレは前世の僕の記憶を得た事で、血や生食に対する危険性や忌避感を理解してる。

 仕留めた獲物をこうしてそのまま喰らうなんて、大いに野蛮でもあるのだろう。

 けれどもそれでも、オレにはこれが当たり前で、仕留めた獲物に対しての礼儀でもあって、何よりもこうして命を喰らう事は、竜へと続く道であるから。

 この場所からは持ち帰れない身体の大部分はともかく、魔物の命の源であった心臓だけは、残さずに喰らう。


 もちろん、どんな場合でもそうするという訳じゃない。

 多くの魔物に囲まれて蹴散らし殺している時に、わざわざ一体ずつ胸を切り開いて、心臓を取り出し喰らったりはしない。

 時ばかりでなく、喰らうべき相手、喰らわぬ相手も考えるし、選ぶ。



 心臓を喰い終われば、残った身体は崖から落とす。

 このままにしておけば、その肉を喰らいに他の魔物が来るだろう。

 恐らくはもっと身体の大きな魔物が。

 肉を喰らいに来た魔物は草花になんて興味を示さないから、盛大にこの場を踏み荒らしかねない。

 故に色々と惜しいとは思うし、申し訳なくも感じるけれど、山羊の魔物の肉体をそのままにはしておけなかった。


 それからオレはコルフィーの葉を、一枚一枚摘んでは持ってきた背負い袋に詰めて行く。

 鉤爪では葉を摘めないから、元に戻った人の手で。

 あまり大量には持ち帰らない。

 多くの貯蔵があれば、どうしても使用量は増えてしまう。

 これは有用であると同時に危険な代物だと知ってはいても、人間とは愚かで弱い生き物だから。


 故に必要に応じて、必要最小限よりも少しだけ余裕がある量を持ち帰り、その都度ここまで採取にやって来る方がいい。

 西の御山は危険も多いが、それも竜神官にとっては修練だ。


 これまでは、顎の谷の部族にコルフィーの葉を取りに来れる者は、先達の竜神官が一人だけだった。

 だけどこれからは、オレもいる。

 オレが道半ばに倒れて命を落とすか、竜に至るまでの間だけれど、それまでは労を惜しまず、ここにコルフィーの葉を取りにこよう。


 高く険しい西の御山の、登り切ったこの崖から見る光景は、あぁ、中々に雄大で見応えがあった。



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