第5話


 東も西も、御山には竜神官しか立ち入れないし、またその階梯によって踏み込んで良い領域も厳しく定められている。

 もちろん御山の主である竜がそんな些事に関わる筈がないので、その定めを作ったのは先達である竜神官達だろう。

 御山は竜の縄張りではあるが、されどそこに棲むは竜のみに非ず。

 尋常ならざる力を持った魔性の獣、いわゆる魔物と呼ばれる存在も巣食っていた。


 魔物の定義は、場所、人によって様々で、人間の国に住む連中は、ワイバーンだけでなく竜までも。

 時には竜人や、彼らにとって蛮族であるオレ達すらも、魔物の範疇に含めてそう呼ぶ。

 それはオレからすると到底受け入れがたい話だけれど、僕は少し納得できる気がした。

 だって人間は自分勝手で弱い生き物だから、自分達に都合が悪くて強い存在は、全てが魔物という事にしてしまいたいのだろうと、そんな風に思う。

 尤も納得できるからといって、共感する気は全くないけれども。


 さて、そんな魔物も巣食う危険な御山だからこそ、竜神官以外の立ち入りは固く禁じられているのだけれど、同時に御山でしか採れない重要な品も数多い。

 例えば西の御山の、第五階梯の試練を乗り越えた竜神官にしか立ち入れない領域に生える植物、コルフィーの葉には、酩酊、多幸感をもたらし、強く痛みを鎮める作用があった。

 僕の知識で言うと麻薬としか思えないのだけれど、実際の所は全く以てその通りだ。

 しかし部族でのその用法は、寄生虫殺しの毒を飲んだ子供の苦痛を和らげる為や、或いは戦いの前に戦士が恐怖を忘れる為に限られている。

 仮に己の嗜好の為にコルフィーの葉を用いれば、その罪は命を持って贖わなければならない。

 何故ならコルフィーの葉は、限られた竜神官が、命を懸けて採取してくる物だから。


 そう、魔物の中にも、このコルフィーの葉を好物、嗜好品として食むものが、数種類程存在するのだ。

 コルフィーの葉を欲するならば、その魔物の生息地に入って、目を盗んで採取するか、戦って倒して勝ち取るより他にない。

 つまりはそれも、竜の道を歩む為の修練の一つであった。


 そして先日、第五階梯の試練を乗り越えたオレは、東の御山に、そのコルフィーの葉を採取する為に訪れている。

 自らの修練となる事ももちろんだが、オレも幼い頃、このコルフィーの葉を使って苦痛を減じたからこそ、第一階梯の試練を乗り越えれたのだと聞かされていたから。

 与えられた恩には報いたい。

 そんな風に考えて、この役割を果たせる日を、実は密かに楽しみにしていたのだ。


 また僕も、今になって振り返れば、生前に病院で延命を受けていた時、鎮痛効果のある薬品には頼っていたから、その重要性は深く理解ができた。

 もしもその手の薬品に頼らず、痛みに苦しみまわるのみだったなら終わりばかりを望み、竜になりたいとの願いに辿り着く事すら、なかったかもしれないから。

 形は違えど、誰かの苦痛を和らげられる手伝いができるなら、僕はそれを嬉しく思う。



 西の御山は、風竜が縄張りとするだけあって、非常に高く険しい山だ。

 目指すコルフィーの葉の採取地も、標高で言えば二千m以上の場所になるんじゃないだろうか。

 まぁこの世界で、山の高さを正確に測ろうなんて物好きはいないだろうけれども。


 あぁ、オレが暮らす部族には、長さや重さ、量を測る明確な単位は存在しない。

 人間の国に住む連中ならば、何らかの単位の基準を知ってるかもしれないけれど、いと高き場所で暮らすなら、そんな物は必要ないから。

 だから前世の僕が生き、死んだ場所は、凄い場所だったのだなぁと、そう思う。

 しかしそんな場所でも、人間は理不尽に抗えず、無力感と共に死に至るのだから、より険しい世界に生きるオレは、やはり少しでも早く竜になりたい。

 いや、なるべきだ。


 その為にも一歩一歩を意識して、オレは岩の出っ張りを掴み、窪みを足場にして、崖を少しずつ這い上がる。

 夏の西の御山は風が強いが、その中でも今日は特に強風だから、油断すれば一気に身体を持っていかれてしまうだろう。

 もしこの高さから落下したら、たとえ竜鱗で身を覆ったとしても間違いなく、いや多分……、もしかしたらオレなら万に一つくらいは生き残れるんじゃないかって気もするけれど、大体は死ぬ。

 故に一瞬たりとも気を抜かず、時間を掛けて確実に上を目指す。


 そうしてどうにか崖を登り切れば、見えてくるのは青々とした、草花の覆い茂った緑地。

 高山植物の群生地だった。

 けれども同時に、その群生地に頭を突っ込み、草花を齧り取ってはモシャモシャと咀嚼する巨大な姿も見える。

 頭部に立派な角を持ち、並の個体とは一線を画したサイズのその山羊は、あぁ、間違いなくコルフィーの葉を好物とする魔物の一種だ。


 そしてその魔物は、餌場に近付いたオレに気付いたらしく、こちらに顔を向けて大きく大きくゲップを吐く。

 折角崖を登り切ったのに、休む間もなく戦いか。

 丁度食事時に出くわしてしまうとは、少しばかり運がない。

 今日の所はできれば魔物の目を盗み、コルフィーの葉を採取する心算だったのに。


 でも運がないのはお互い様か。

 オレは予定が崩れて運が悪い。

 だけど目の前の魔物は、これから命を落とす事になるのだから、きっとオレよりも余程に不運だ。



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