第4話
ワイバーンを下し、第五階梯の試練を越えたオレは、集落へと戻った。
顎の谷の部族は、東を黒地竜の御山に、西を
あぁ、僕の知識で言えば、彼らは蛮族の類になるだろう。
高度な文明を持たず、土地に付けた名前も適当なもので、例えば東の山は黒々とした鱗を纏う地竜が山の主だから、黒地竜の御山。
西の山も同じく、美しい緑の鱗の風竜が主だから、碧風竜の御山と呼ぶ。
もちろん山の主が変われば、その呼び方も変わる。
まぁ山の主が変わる事なんて、何百年か何千年に一度の大事件だろうけれども。
オレはそんな顎の谷の部族に、十五年前に生まれた。
生まれてから一度も他の場所で暮らした事なんてなかったから、人間の国とやらで生きる連中が、オレ達をどうして蛮族と呼ぶのかわからなかったが、前世の記憶を得た今なら納得できる。
確かにオレ達は蛮族だろう。
身に纏うのは鞣した皮が主で、とてもじゃないが衣服と呼べる代物じゃない。
今は夏だが、冬には毛皮を外套代わりに寒さを凌ぐ。
身を清める為の水浴びくらいはするけれど、生まれてこの方、熱い風呂になんて入った事はない。
顎の谷の部族が送る生活は、文化的とは到底言えない代物だ。
だがオレにとって、僕にとって、その蛮族に生まれた事は、途轍もない幸運だったと言っていい。
何故なら顎の谷の部族は、竜を崇める部族だったから。
そう、人間の国とやらに生きる連中が神を崇めているように、オレ達は竜を崇めて生きているのだ。
半年に一度の頻度で、東と西の御山が交わる境に設けた祭壇に家畜を捧げものとして供え、二つの山の主に認められて、谷に集落を構えている。
あぁ、顎の谷の部族だけじゃない、この辺りで生活する部族の多くが、竜を崇めて生きていた。
尤も他の部族が捧げものを供えるのは、他の場所に住む、別の竜だったりするけれど。
この辺り、部族の者達が『いと高き場所』と呼ぶ土地には、多くの竜が住まう。
それはいと高き場所には、世界の始まりと同時に誕生したとされる、古き竜の一体が眠っているからだとされる。
実際のところはわからないけれど、そうであればいいなと僕は思う。
だってそんなの、とてもドキドキワクワクする、浪漫に溢れる話だから。
しかしいと高き場所で暮らす人間の多くは、竜が自分達に生存を許してくれるから、強大な存在だからと崇めているけれど、その中でもオレを含む竜神官と呼ばれる者達は、少し事情が異なる。
竜神官が崇めるのは、個々の竜ではなく、竜と言う存在そのもの、もっと噛み砕いて言えば、その在り方だった。
オレを含む竜神官は、竜を偉大なる者として敬ってはいるが、生かして貰う為に崇めてる訳じゃない。
その生き方、在り方を手本とし、模倣し、己の魂を竜に近付け、何時か自らがそこへ至る為に、竜を敬い崇拝しているのだ。
前世で竜になりたいと願いながら死んだ僕の想いは、この地に生まれたオレの中で渇望として育った。
なんて幸運なんだろう。
きっと眠れる古き竜の導きだと、僕は思う。
当たり前にこの地に生きるオレには理解し難い感覚だが、前世から引き継ぐこの渇望があったからこそ、今の階梯にまで至れたのだと思えば、まぁ決して悪い話じゃない。
集落の中を歩けば、部族の民がこちらに向かって畏れ敬うように目線を下げて、道が譲られる。
僕の感覚からすると奇妙に思うけれど、オレは特に気にしない。
竜を崇める部族にとって、竜神官は特別な存在だ。
集落の偉大な守り手であり、同時に崇める竜に近付こうとする不遜な者であり、妬ましくも眩しく感じるらしい。
弱き者が強き者に対して、畏れ、妬み、敬い、忌避、好意といった感情を抱くのは当然の話であり、一々それに惑わされ、振り回されるようでは竜への道は歩けないから。
オレは当然のように歩き、通りを抜けて目的地を目指す。
向かう先は集落の長が住まう洞窟。
部族の民の多くは木を組んだ家に暮らすが、集落の長は俺と同じく竜神官だ。
故に多くの竜の住処を真似て、岩肌に掘った洞窟に住んでいる。
尤も集落の長は、既に竜への道を断念していて、この集落を導く事こそが、己の役割だと考えている様子だけれど。
まぁそこに関しては、オレが口を挟む話じゃない。
竜への道は自ら歩むものであり、人を捨てて竜に至るという選択は、心の底からそれを欲さない者にできる筈がないからだ。
「長、戻った」
オレは長が住む洞窟の、入り口に掛かった目隠し布を捲り、中へと入る。
洞窟の中は光が乏しく薄暗いが、オレ自身も住処は洞窟だから、暗い場所には慣れていた。
「おおっ、おおっ! 戻ったかっ! ザイド、ザイドッ、無事に生きておるのだな! よもやその年齢で、おぉ、ワイバーンを下し試練を越えるなど、一体誰が予想しえたか」
すると興奮気味の長が駆け寄ってきて、オレの肩を掴んで揺さぶる。
あぁ、うん、どうやら随分と、長はオレを心配してたらしい。
しかし心配したところで、第五階梯の試練に挑めば、結果は食われて死ぬか生き残るかの二つに一つなのだから、あまり意味はないと思うのだけれども。
いや、でも決して悪い気分はしなかった。
「長、落ち着け。オレがワイバーンに食われる訳ないだろ。オレはいずれ、竜になるんだぞ」
そう言って笑みを見せれば、長は少し落ち着いたようで、オレの肩から手を離し、二度、三度と頷いた。
……うん、そりゃあ長が竜への道を断念したのは、ワイバーンと戦う第五階梯の試練を前にしてだったから、思うところはあるのだろう。
竜への道、竜神官が挑む試練で、最も死亡率が高いのは、最初の第一の試練だ。
全ての食物に一切火を通さず生で食べ続け、竜の食事を真似る試練。
これを子供の頃に行い、魂を竜に近付け、その強靭な臓腑を得た者だけが、竜神官への道を歩める。
但し火を通さず生で食物を摂取し続ければ、様々な害に身を侵されてしまう。
特に今のような季節、夏は肉類の痛みが早く、非常にあたり易い。
そんな害の中でも怖いのがある種の寄生虫で、これが体内に巣食って育った場合、人間は体内を食い破られて、苦しみ抜いて死ぬ事になる。
だが第一の試練で多くの死者が出るのは、この寄生虫に体内を食い破られてではなく、この寄生虫を殺す為の毒を飲み、されど自身もその効果に耐え切れずに衰弱して死ぬ為だ。
第一の試練を受けるのはまだ小さな子供である為、弱い毒でも命を脅かすから。
物心の付かない、まだ幼い魂の方が形を変化させやすいと信じ、部族に生まれた子供は殆どがこの試練に挑む事になる。
そして試練に挑んだ五割の子供が、毒の効果か寄生虫か、或いは別の理由で命を失う。
更に四割以上の子供が、このままでは試練に耐えられぬと判断され、生の食事や毒の摂取を中断する。
結局、試練を受けた子供のうち、竜神官への一歩を踏み出せるのは、本当にごく一部。
しかしその一部の竜神官がいるからこそ、竜を崇める民はどうにかこのいと高き場所で生きていく事ができていた。
子の犠牲を悲しまぬ筈はないけれど、それでも力を求めねば、厳しい環境に皆が死ぬ。
でもその次に竜神官が命を落とす危険の高い試練が、第五階梯、ワイバーンとの戦いなのだ。
そもそも第五階梯の試練には挑まず、諦める竜神官も決して少なくはないのに、それでも自信を持って挑んだ者が多く散る。
故にこれを越えてこそ一人前の、本当の意味での竜神官だと言われる事もあるくらいに。
顎の谷の部族は人口五百人、そのうち竜神官はオレや長を含めて六人居て、けれども第五階梯の試練を越えているのは、オレ以外には一人しかいなかった。
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