第3話


 ワイバーンは偽竜なんて呼ばれ方をする事があるくらい、竜に似た生物である。

 大きな翼で天空を舞い、口からは火球を吐く。

 尤もワイバーンが吐き出す火球は、体内で作られた酸性の粘液が空気に触れて燃え盛った物であり、いわゆる竜の息とは全く仕組みが違う代物だ。

 細かい違いに関してはオレはこれまであまり気にもしなかったけれど、僕はそれを怖くも面白くも思う。


 両者の違いは、サイズ、力、知能、能力と数多いが、取り敢えず初見で違いを判断するには、翼を見ればいい。

 前腕が翼と化しているのがワイバーンで、四足で背に翼が生えているのが竜だと思えば、おおよそ九割は間違いがない。

 そう、要するにワイバーンは前足が翼と化している分、近接戦闘能力には難があるのだ。


 オレは身を屈めて、振り回された尾の一撃を、掻い潜る。

 振り回された事で尾の先から迸った毒液が、ジュウッと白煙を上げて大地を焼く。


 しかしオレを怯ませるには、全く足りない。

 尾で攻撃する為、オレに半身を向けたワイバーンの懐に潜り込み、鉤爪で肉を抉り取った。

 ワイバーンが繰り出せる近接攻撃は、首を伸ばした嚙みつきや、体当たり、尻尾での薙ぎ払いと限られる。

 そしてそのどれもが予備動作が大きく、動きの予測は容易いから。


 逃がさない。飛ばさない。

 オレは纏わりついて攻撃を続け、ワイバーンが宙に飛び上がる機会を潰し、その体力を削っていく。

 命を懸けた戦いなのに、何時になく冷静だ。

 一度は死を経験してる僕の記憶が蘇ったからだろうか。


 ワイバーンは必死に状況を打開しようと翼をはためかせ、尻尾を振り回したり、火球を周囲に吐き散らすけれど、その戦い方は既に窮した者の、弱者の戦い方に他ならない。

 もちろんその一撃一撃が、オレを殺すに足る威力を秘めている。

 油断をすれば、運悪く足を滑らせでもすれば、次の瞬間には死んでいるだろうが、戦いの高揚にオレは全く恐怖を感じなかった。

 死を恐れていた僕には、全く以て信じ難い話だけれども。


 血肉を削り続ければ、同時に体力も失ったワイバーンの動きは徐々に鈍り、その首がだらりと下がり始めた。 

 竜神官の試練、第五階梯、ワイバーンとの死闘は、竜が稀に行う、竜同士の決闘を模した物だ。

 未だ竜ならぬ者が、実際に竜との決闘を行う訳にはいかないから、その代わりにワイバーンと戦い、死闘を潜り抜けて魂を竜に近付ける。


 故にこの戦いの結末は、負ければ喰われて終わりだが、勝利はワイバーンを殺す事じゃない。

 オレは弱ったワイバーンの背に飛び乗って駆け上がり、その頭部に足を置く。

 いや、踏みつける。

 そして大きく口を開いて、

「グルゥォオオオオオオッ!」

 全力で咆哮を放った。


 お前の負けだ! 従え!

 未だこの声に聞く者の魂すら砕くとされる竜の威は備わっていない。

 だからこそ僕は頭部を踏む足に力を込めて、喉が裂けんばかりに声を上げ、圧して圧して圧し潰すのだ。

 いずれこの声にも、竜の威が宿ると欠片も疑わずに。


 やがて僕の足の下で、グゥゥゥゥッっとワイバーンの喉がくぐもった音を鳴らす。

 降伏の、オレへの服従の声だった。


 オレは威圧を止めて、ワイバーンの頭から、地へと降りる。

 まだ、まだ気は抜かない。

 ここで安心してへたり込もうものなら、弱みを見たワイバーンは気を変えて、バクリをオレを丸呑みにしようとするかもしれない。


 頭の前に立ち、正面から真っ直ぐに見つめれば、ワイバーンは頭を地につけたままこちらを見返す。

 威圧がなくても、頭を踏まれていなくても、首を持ち上げない。

 それは完全に、目の前のワイバーンが僕に服従した証左だった。


「オレはあぎとの谷のザイド。お前を従えし者。お前は今、この時よりヴィシャップだ」

 主従関係を成立させる為、主であるオレの名を教え、またワイバーンに名前を付ける。

 ヴィシャップというのは僕の記憶に残ってた名前で、怪物って意味だったと思う。

 そう、確か竜の怪物の名前だった筈だ。


 ワイバーンの喉は人の言葉を発さないが、知能は高い。

 人の言葉を全てではなくとも、ザイドがオレの名前である事、ヴィシャップが名付けられた自分の名である事、それから主従関係くらいは理解が可能だ。


「呼べば来い、それまで好きにしていろ。暫くは傷を癒せ。いいな?」

 強くそう言えば、ヴィシャップは了解したとばかりに目を瞬かせて、身体を起こす。

 それからゆっくりと翼をはためかせて、空へと舞い上がって飛んで行く。

 恐らくは、塒に戻って身体を休める心算だろう。


 すると飛び去ったワイバーンと入れ替わるように、翼を飛んで一人の竜人が僕の前にやってきた。

 そう、人間ではなく竜人ドラゴニュートである。

 半竜半人の姿の彼は、この試練の見守り手である、先達の竜神官だ。


「顎の谷のザイドよ。汝が第五階梯の試練を達成した事、碧き鱗のラグナが認めよう。……人間の身でこの階梯に、それもその若さで達するとは驚きだ。よくやったな」

 竜人の表情はわかり難いが、どうやらラグナは僕の試練の成功を喜んでくれてるらしい。

 だけど既に第七階梯、竜翼を得た竜神官に褒められるのは、嬉しくもあるが、悔しくもある。

 何故なら目の前の存在は、オレよりも、僕よりも、竜にずっと近いのだから。


 特に竜人は、生まれた時から頑丈な内蔵と鉤爪、鱗を持ってるから、元より第三階梯を越えているような存在だ。

 それどころか彼らのような尾を得るには、人間の竜神官なら第七階梯まで登って竜翼と共に得るしかない。

 羨む気持ちは、どうしたって湧いてしまう。

 浅ましい、竜には遠い思考だとはわかっていても。


 ……まぁ、何れは追い付く。

 目指すは第十階梯、竜への生まれ変わりなのだから、翼や尾を得る第七階梯であっても、単なる通過点に過ぎないのだ。

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