第2話


 成る程、これが前世の記憶という奴か。

 オレは不意に頭に蘇ったその記憶の重さに、歯を食いしばって膝を突きそうになるのを堪えた。

 一体何故、このタイミングでと思わなくもないけれど、……まぁ仕方ない。

 恐らく間近に迫った死の予感に、一度は死んだ記憶が強く刺激されたのだろう。

 或いは前世で死んだ時の年齢、時間に、今のオレが追い付いたからか。


 どちらであれ自分がそんなにも弱い存在だったなんて、俄かには信じ難いけれども、記憶に伴う感情と実感が、それが事実なのだと教えてくれる。

 まぁ一つだけ納得したのは、幼い頃から胸を焦がすこの熱に、理由があったって事だろうか。


 ははは、前世の僕よ、安心しろ。

 お前の願いは、全てが叶った訳ではないけれど、小指の爪の先程は叶った。

 今、オレは僕が願った、竜への道の半ばにいる。

 あの頃、動けぬままに想ったような夢物語ではなく、確かな現実として。


 目尻を指で拭ってから空を見上げれば、一頭のワイバーンが翼をはためかせながら、ゆっくりと降りてくる。

 並の個体よりも随分と、……二回り近くはデカい。

 あぁ、全く以て運がない。

 いいやオレは、運がいい。


 今からオレは、あのワイバーンと戦って屈服させなければならないのだ。

 当然、あのワイバーンは並の個体よりも遥かに強いだろう。

 でもオレがそれを屈服させれば、その力はオレの物となる。

 本当に、運がなくて、運がいい


 竜を目指す者、竜神官としての試練、その第五階梯。

 竜を目指して至れなかった魂の成れの果て、偽の竜であるワイバーンを従える儀式が、今から始まろうとしていた。

 負ければ喰われる。

 そしてワイバーンは竜を目指す者の魂を取り込み、少しばかり竜に近付く。

 目の前に降りてきたワイバーンは、きっと一人か二人は、この試練に敗れた者を喰った個体だ。


 第二階梯の試練を乗り越えた際に得た加護、竜の力の一端である竜爪と、同じく第三階梯の試練を乗り越えて得た加護、竜鱗を同時に発動する。

 オレの手からは鉄の鎧をも軽々と引き裂く鉤爪が生え、体表は全てを弾く鱗の鎧に覆われた。


 戦闘手段は、接近戦。

 未だ竜翼の加護を得ぬオレが、ワイバーンに勝利できるタイミングは地に降り立った今しかない。

 相手との体格差が大きかろうと、真っ直ぐ行ってぶっ飛ばすより、他に手はないのだ。


 しかしその時、前世の記憶である僕が囁く。

 こちらにその手しかない事は、きっと既に一人か二人の竜神官を喰らったこのワイバーンなら当たり前に理解してると。

 つまりこちらが真っ直ぐに飛び掛かって来ると知った上で、目の前の相手は地に降りて来た。

 それが竜神官が受ける試練のしきたりである以上に、勝利する自信と手段をもっているからだと、強く警告を発してる。


 弱気な心は竜に相応しくないと、オレは思う。

 でも竜は賢く理性的なのだと、僕は思う。


 竜は野生の獣じゃない。

 そもそも人より遥かに上の存在である竜を、支配できる存在は皆無なのだから、野生もへったくれもない。

 もちろん暴虐な竜もいるだろう。

 でもそれは、その行為を理解した上で行われる暴虐の筈。

 獣が暴れて被害を撒き散らすのとは、全く違う。

 それしか手がないと頑なに思い込んで突っ込み、命を散らしてしまうのは、蛮族的ではあっても竜への道では決してないと、僕は思うのだ。


 実に尤もな理屈だった。

 何だか妙に面白い。

 人格が二つに割れた訳じゃないし、前世の魂に憑かれたのとも違う。

 自分の記憶から導き出される、自分の意見だからこそ、違和感なく受け入れられる。

 どちらの経験、知識を主軸に思考を走らせるかで、結論が大きく変化していく。


 オレは大きく息を吸う。

 同時に、ワイバーンも何かを吐き出す仕草を取る。

 あぁ、成る程、お前はそうやって、突っ込んで来るオレを迎え撃つ心算だったのか。


 この身に纏う竜鱗は強い火への耐性があるが、ワイバーンの放つ火球は、正確には単なる火じゃない。

 燃え盛る熱を帯びた酸の塊だ。

 正面からまともに浴びれば、確かにただでは済まなかっただろう。

 残念だけれど、それは僕が読んでいた。


 放つは第四階梯の試練を越えて得られる加護、竜炎。

 竜神官は、第一階梯の試練を越えて竜の臓腑を得る。

 けれどもその時点では、炎は吐けない。

 病に強く、毒にも強く、何でも食せるようになるだけだ。


 その次の次に、第三階梯の試練を越えて竜の鱗を授かれば、炎を吐く準備が整う。

 吐いた炎が、己の身を焼く事はもうない。

 そうして第四階梯の試練をも越えれば、吐く息は竜と同じブレスと化す。


 もちろん竜と比べてオレの身体は小さいから、威力もそれなりになるけれど、しかし竜ならぬワイバーンが吐き出す火球程度に負けてしまう道理はない。 

 放たれた大きな火球を、俺が吐き出した竜炎が真っ直ぐに貫き、ワイバーンの口の中で爆炎を上げる。

 口腔内で起きた爆発の衝撃は、ワイバーンの脳を揺らして数秒だけれど意識を失わせた。


 そう、つまりオレが接敵する決定的な隙を、ワイバーンは晒したのだ。

 振り下ろした竜爪に、ワイバーンの口から苦痛の咆哮が響き渡る。

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