戰國平定錄【立志篇】

天ッ風 月読丸

其之拾弍 将星煌く 【立志篇・序段】

 京を焼け野原にし、多くの命を奪った応仁の乱終結から早六十年が経とうとしていた。六十年前、畠山従兄弟や山名宗全、細川勝元、神保長誠や朝倉孝景など両軍の主要指揮官は遂に死に絶えた。そして指揮官を失った武士達は何となくではあるが、この大戦を終結させた。だが、この「なんとなく」が過ちであったのだ。本戦は「なんとなく」終結したのだが、ここまでこの戦を大きくした理由の一つ、「御家騒動」がまだ解決していない者が多くいた。戦の前から続いている者も、戦で「どちらに着くか」で揉めた故の争いをしている者もいた。更に悪いことに、彼等が戦を進めるために、内政が疎かになり、それを不服とした武士達は謀反を起こした。戦の長期化で弱体化していた者から次々と“謀反人”の部下達に成り代わられていく……。そんな「下剋上」の風潮もこの戦は齎した。それ故に余計応仁の乱は長引いた。もう最早応仁の乱とは言えない。「戦国時代」である。

 ……そんな天文三年。ある所に割と裕福な田舎武士がいた。彼の名は、織田信秀。彼は弱小な家ながら、代々朝廷に弾正忠に任ぜられる「弾正忠織田家」の人間であった。天文三年、そんな彼に子が生まれることとなった。

 ここは尾張の勝幡城。勝幡城は永正年間ごろに信秀の父、織田信定が、大中臣安長の屋敷跡に築城した、方形の居館である。周辺の地域は元々「塩畑」と呼ばれていたが、縁起が悪いという理由で信定の嫡子、信秀が「勝ち旗」の意で「勝幡」と改名した。大中臣安長というのは、保元の頃の官吏である。帝により、尾張守に任ぜられ、この片田舎の漁村に屋敷を建てたのである。その跡地をそのまま城風に改築したものだから、この勝幡城は、田舎の漁村にあるとは思えない程のものである。東西二十九間、南北四十三間、土塁の幅は三間と、規模は甲斐の武田の躑躅ヶ崎館には及ばない。しかし、それは三の丸までの話である。勝幡城は城下をも堀の中に組み込んだ、惣構の城であった。堀の中に町がある為、籠城には強い。まず落ちないだろう。規模も惣構の無い躑躅ヶ崎館に匹敵するものだ。勝幡城が攻められた場合、門を閉ざし、城を囲みこむように流れる三宅川を堀にして籠り、民それぞれに近所の橋を落とさせれば攻め手に勝目はない。あとは敵が帰って行くのを待つのみである。籠城に於いて死活問題とも言える兵糧についても問題は無い。城の蓄えを使い果たしてしまったとしても惣構の中の町で作った作物で食い繋ぐことができる。惣構は最強の城なのである。躑躅ヶ崎館にはそれが無いのだから、ある意味勝幡城は躑躅ヶ崎館に勝ったと言っても良い。また、城に建つ屋形も田舎武士の物ながら、格式高いものとなっている。屋根は檜皮葺、木材は松や檜、書院や坪庭、大広間に小さい牛車なら入ることのできる広めの玄関も完備。戸は基本的に板戸だが、ところにより、あの如拙の弟子の某の水墨画が描かれた襖がある。蔀戸なんて洒落たものもある。清洲の屋形を小さくしたようなものである。また、この時代の名門の武家(例えば武田や北条、今川などである)の屋敷にも劣らぬものであった。金の装飾なんてものは一つもないが、それでもそれらと張り合っている。来る筈も無い京の公家を招くことすらできるだろう。例えるならば、京の東山の慈照寺の東求堂といったところだろうか。ここまでは屋敷についてだらだらと綴ってきたが、それはこの辺にしておいて次は櫓や門の話をしよう。幅三間、高さ四間二尺のどっしりとした土塁の上には初期の狭間がびっしりと開いた松材の壁が連なり、壁の内側からは木を井桁のように組み上げた塔の上に小屋を建てた井楼が彼方此方に聳えるのが見える。壁の内やその櫓の中からは黄色い生地に織田木瓜があしらわれた旗がびらびらと伊勢湾からの潮風に揉まれている。城を囲う土塁の隅は更に一間半程高くなっており、そこにも井楼が聳えている。城の南北の入り口を守る門は全て埋め門で、常に開け放たれている。田舎とはいえ、尾張の中からなら客人が絶えないから閉めておけないのだ。今も雲興寺の住職と二人の小僧と喝食の四名が門を出てきた。今度立てる寺の話らしい。住職はやや満足そうに帰って行った。

「はぁ……やぁっと帰ったわい。この忙しい時に限って客人が五回も……。」

 この無精鬚をそのまま鎖骨まで伸ばしたような髭もじゃの男。彼がこの城の主、“尾張の虎”こと織田三河守信秀である。彼もまた弾正忠であった。この男は焦っている。一昨日、彼の正妻、土田御前が陣痛に入ったのだ。しかし、それから一日以内に子が生まれなかったのである。更に、後妻である彼女はこれが初めての出産であった。土田御前は容姿端麗の才女であったため、信秀は亡くした前妻よりも彼女を溺愛していた。そのため信長は焦っていたのである。下手をすればまた妻を失い兼ねないからである。信秀は遂に立ち上がってしまった。梅雨の時期で湿気っている松材の床に扇子を投げつけた。

「おい!平手、どうしても見に行ってはならぬか⁉︎」

 信秀は泣きそうになりながら叫んだ。障子のすぐ下で気休めに徒然草を読んでいた白髪の老人は申し訳なさそうに顔を上げた。

「……なりません。誠私めもそう思って居ても立っても居られないのですが、なりません。女は血がでます。穢れますので行ってはなりませぬ。」

「落ち着き払っておるではないか!穢れるだと?武士だぞ?血を浴びる毎日じゃ!とっくに穢れておるわ!それに儂は妙とは夜を共にした仲!その穢れるという所に触れておるから行っても同じじゃわ!」

「……まあそうではございますが……しかし、その……」

「その、何じゃ⁉︎申してみよ!……申せ!」

 そのとき平手政秀の背後の障子がすとんと開いた。土田妙に付いている侍女である。放心状態で立ち尽くしていた。

「な、……なんじゃ?どうしたのだ⁉︎」

「お屋形さま。……畏れながら申し上げます。」

「早う言え!」信秀は生唾を飲む。

「……男児が、お生まれになりました。……世継ぎ様で有らせられます。」

 信秀は固まった。泣き叫び出すまでに少しかかった。政秀は待ち侘びたように徒然草をパタンと閉じた。

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