3-20 聖櫃解匣
蠅の王と化した指導者アロンが杖を高く掲げる。すると草原が光の粒になっていき、砂漠が広がり始めた。優子の霊域心界の魔力がアロンに吸収されていく。
維持するだけの魔力を失った優子の霊域心界『人霊墓丘』は崩壊した。それと同時にアロンも霊域心界を解除し、二人は現世へと戻った。
二人はセントラルタワービルの屋上に現れた。
空は晴れつつあり、サイタマ市を包んでいた闇の結界は既に破壊されている。蝗の使い魔も消滅していた。優子はアリスたちが勝利したのだとわかった。アリスたちが無事なことも魔力感知で確認できる。
「アポリオンは敗れたか。ならば、私が災いとなろう。全てを奪い、喰らい尽くす」
今度は街中から光の粒子がアロンの杖へと集まりだす。街の結界、魔法技術が用いられた電車や自動車、携帯電話やパソコンなどの電子機器、街路樹や道端の草花、そして人間の体内の魔力すらも、ありとあらゆる魔力とエネルギーが吸収され、アロンの力に変換されていく。
早く止めないとサイタマ市の人々の魔力が尽きてしまう。魔力が完全に尽きると人間は死ぬ。
しかし、魔法を使ったり攻撃をしたら吸収されてしまい、逆に相手を強くしてしまう。
そんな無敵の吸収能力に対して、優子は非魔法武器以外にもう一つ勝ち得る手段を持っていた。通用する確証はないため、非魔法武装で勝てればそれでよかったのだが、爆発まで吸収するようでは使わざるを得ない。
アロンは蓄積された膨大な魔力を巨大な魔力弾として、杖の穂先に具現した。
「この街の魔法使いを全て殺す!」
殺意に満ちた言霊と共に、セントラルタワービルの屋上から下界へと魔力の光線が放射される。エクソダスの平等の理念は暴力と衝動によって完全に崩れ去った。罪のない、魔法至上主義者ではない人々も虐殺するつもりだ。この街には非魔法使いだって大勢住んでいるのだから彼らにだって被害が出る。
光線は砕けた彗星の破片のように枝分かれし、住民たちが避難する施設へと標的を定めて突き進んで行く。結界は崩壊しているため、街と人々を守るものは何もない。
迫り来る復讐の光。それを各地に出現した白い光の魔力の盾が防いだ。
優子があらかじめ街の各施設に設置した魔法陣に瞬間移動し、防御魔法を展開して攻撃を阻んだのだ。アロンは同時に三十ヶ所を攻撃したため、優子は三十ヶ所に連続で瞬間移動をして、防御魔法でその場を守った。
アリスのローラー魔法陣作戦が功を奏したようだ。
しかし、優子が展開した防御魔法も、魔力として吸収されてしまう。アロンの攻撃を防いだということは、それ以上の性能の魔法であるため、先ほどよりも敵を強くしてしまう。
が、もうそんなことはどうだっていい。
『無限』の前に、一も百も変わらない。
優子は再びアロンの前に転移し、ロザリオに口づけした。
「神装────
ロザリオから眩い空色の閃光が解き放たれ、優子の身体に収束していく。
白百合のような純白のベールと青い外套が優子の身を包んだ。頭上には12の星からなる光輪が輝き、背中には光の翼が具現する。
ガブリエルの神装『
「無駄だ。たとえ神の力だとしても、私は喰らい尽くす」
「では、無限を食らいなさい────
優子とアロンを青い光が飲み込む。
いつのまにか二人は別の空間に転移していた。
そこには空も大地もなく、海のように深い青の世界が、永遠に、無限に、どこまでも続いている。光源は天上に輝く海の星たった一つだけ。
二人は飛行魔法で浮遊しているが、そうしなければ底のない闇へと落ちてしまうだろう。
ここは『聖櫃』。ガブリエルの所有する異空間だ。無限に広がる宇宙のような世界で、外から取り入れた空気以外にここに在るのは空間中に漂う無限の魔力だけ。
街の人から魔力を吸うことはできなくなったが、聖櫃には無限の魔力があり、アロンの力は益々潤沢になる。
聖女装束を纏った優子は白銀の天使剣を天上の星へと掲げた。すると、どこからともなくラッパの音が聞こえ、それを号令にして、空間に無数の星の光が現れる。
「みんな、力を貸して」
光たちは流星群のように空間を駆け、優子の元へと集うと、彼女の身体に吸収されていく。星たちは優子に力を貸してくれる名も無き魂たちだ。非魔法使いで、魔力保有量の少ない優子が戦えるのは彼らが魔力を貸してくれるおかげだった。
更に空間内の無限の魔力が白銀の天使剣へと収束を始めた。掲げた剣から無限の天上に向かって星光色の魔力が伸びていき、全天に広がる。今もなお拡大を続ける無限の空間そのものが優子の剣だ。
「無限、だと」
目の前に聳える無限メートルの光の塔を前にして脳が理解を拒む。自分が戦っていた相手がただの少女ではないことはわかっていたが、規格が別次元すぎる。彼女の能力は神話の世界の産物だ。
「
超巨大な光の剣となった無限の魔力の奔流が華奢な少女によってゆっくりと振り下ろされる。
空間そのものが面で攻撃してくるため回避は不可能。単純な魔力をぶつけるだけの攻撃だが、それが無限ともなれば、概念を司る魔法でもなければ防御も不可能。
「……挑む他あるまい」
アロンは諦めていない。降りかかる光の宇宙を吸収し始める。吸収で得た膨大な魔力で防御魔法を展開、そして再び魔力を吸収し、シールドを補強。これを繰り返し、無限に喰らいつく。
「─────ッ!」
肉体が悲鳴を上げる。彼が一度に吸収できる魔力の量も、保有できる魔力の量も、魔法に変換できる魔力の量も決まっている。
止め処無い光の激流は、吸収、保有、変換全てのキャパシティを凌駕していた。防御魔法は粉々に打ち砕け、アロンを光が飲み込んだ。
優子はアロンが無限の魔力すら吸収すると懸念していたが、杞憂だった。もし無限の魔力を奪われでもしたら勝ち目がなくなり、人々は皆殺しにされていただろう。だから、この方法は最後の手段だった。
聖櫃は閉じられ、優子はセントラルタワービルの屋上に転移した。もうすでに空は晴れ渡っており、先ほどの蝗の大群と暗黒の空が嘘のようだ。
屋上の中央に膨れ上がった腹の巨大な蠅がいた。自動車ほどのサイズがあるが、羽には穴が空き、手足は細く、飛ぶことも、立ち上がることもできずに苦しみもがいている。
この哀れな蠅は、アロンが悪魔の魔力に飲み込まれて変貌した姿だった。もう戦う力はなく、残った魔力でなんとか生き永らえているだけ。命を悪魔に捧げたため、あと数分で息絶える。
例えアリスをこの場に呼んでも、悪魔に払った代償は治癒できないため彼は助からない。アロンはこのまま死に、その魂は地獄に行く。悪魔と契約した者の末路は地獄一択だ。
哀れで醜い蠅の姿に変貌した男の周りに三つの光の玉が集まっていた。優子の降霊魔法の影響で人魂が呼び寄せられたようだ。
『兄ちゃんを人に戻してください』
一つの人魂が優子にお願いした。
命は助けられないが、人間として死なせてやることはできるかもしれない。彼を恨む人は死の間際も苦しんで欲しいと思うだろうが、優子に目の前で苦しむ人を助けないという選択肢はない。頼まれたのなら尚更だ。
優子は頷くと蠅の頭に手を当てて目を瞑った。
「接続開始」
優子の意識が肉体を離れて、目の前のハエの中に入っていく。これは『接続魔法』。自分の魂と他人の魂を結びつけて、自分の意識を相手の心の世界に潜らせる魔法だ。
悪魔の力を退けるのは強い精神力だ。アロンを人に戻すには、彼自身の強い意志が必要だった。接続魔法でアロンの心の世界に入り、彼と話して悪魔の魔力を取り除くことが優子の目的だ。
真っ暗闇のトンネルを抜けると優子の意識は現実同様の容姿と形を得て、アロンの心の世界へと辿り着いた。
そこは霊域心界『
凪の海の浜辺に仮面の男がいた。アロンだ。黒い魔力に覆われており、膝をついて俯き項垂れている。
彼の傍には黒い影が立っていた。
「人の心の中に土足で踏み入るのは感心せんな」
影が言った。
「どの口が言う、ベエルゼブル」
影はアロンに取り憑いた魔王だ。とはいえもうただの残滓、戦う力はない。だが、悪魔の本来の武器はその良く回る口と舌だ。
「この者を救いに来たのか、巫女よ。それは正義ではないぞ。この者は悪魔と契約し、大勢を殺した。このまま苦痛に苛まれながら絶命するべきだ。悪人を助けるということは貴様も悪人となるが、石を投げられる覚悟はあるのか?」
「五月蠅い、黙れ。消え失せろ」
一喝するとベエルゼブルの影はおとなしく消滅した。悪魔というのは現世では無力だ。だから言葉で人を惑わして、心に寄生し、負の感情を食べて力を得る。強い意志とそれを宿した言葉があれば、聖典や救世主の言葉を借りなくても悪魔は倒せる。
ベエルゼブルを祓った優子はアロンへと駆け寄り、膝をついて目線を合わせた。その顔貌は心の中の世界だというのに仮面で隠されている。彼を包む黒い魔力は悪魔を祓っても拭えない。これは彼自身の心の闇の具現だ。これを取り除かないことにはアロンは人として死ねない。そしてこれを祓えるのは彼自身だけだ。
「何をしに来た、神霊の巫女」
「あなたを助けに来ました」
アロンに手を伸ばすと優子の心の中に彼の記憶が流れ込んできた。膨大な情報の波が頭の中に押し寄せる。
接続魔法で魂を繋げると、相手の記憶を知ることができた。こうして記憶を覗く魔法を対策してなのか、アロンの記憶にはところどころ真っ黒に塗りつぶされている場所がある。
一瞬の間に優子は彼の人生を追体験した。
魔法使いに両親を殺され、弟も魔法の実験台にされた挙句殺された。復讐として魔法至上主義者や悪の魔法使いを多く殺した。人が人を死なせること───人殺しに塗れた人生だった。
優子は心を強く保っていたものの、思わず涙を流してしまった。
「ごめんなさい」
侮辱でも憐憫でもないと伝えたくて謝る。
「構わない」
アロンは気にしていないようだ。彼もまた魂が接続した優子の記憶を追体験したため、彼女の優しさがわかった。
「あの、あなたの家族の霊が最後に会いたがっています」
「……そうか。だが、私にはその資格がない。私は大勢の人を殺した。家族には会うべきではない。悪魔の言う通り、このまま苦しんで死ぬべきだ」
アロンは復讐に狂ってはいない。人の命の重さを理解していて、それでも世界を平等にするために人を殺してきた。その覚悟は死を目前にしたこの瞬間にも崩れることはない。彼は罪を自覚し、罰を欲している。適切な言葉かどうかわからないが、優子は彼がいい人だと思った。
「あなたは人殺しです。地獄に落ちます。でも、あなたも家族を魔法使いに殺された被害者です。だから、最後に家族に会っても許されると思います。平等とはそういうことではないですか」
「……だが」
アロンは自分を許してやることができない。家族を殺された彼は、人を殺すということの重さを知っている。
「あーもう、悪者のくせになに遠慮してるんですか。早くしないとあなたもう少しで死ぬんですよ」
言って、優子はアロンの手を無理やり引っ張って立ち上がらせた。黒い魔力も剥がれ落ちていく。次の瞬間、三度二人はセントラルタワービルの屋上に戻った。
悪魔の呪いが解けて、蠅の中からアロンが姿を現す。解呪と同時に蠅の仮面も外れた。もう彼はアロンではない。
精神世界と違い、彼はもう現実では立つこともできない。彼の体に三つの小さな光が止まった。
魂たちは生前の身体を再現し、青年を抱きしめた。
「ごめん、父さん、母さん、タケル。俺はみんなのところにはいけないんだ。許してくれ」
家族は再会を果たした。彼らにしか聞こえない魂同士の会話が行われる。血の繋がりでしかない家族という関係だが、魂だけでも四人は繋がっていた。青年は家族との再会に微笑み、永遠の別れに涙した。
そのまま、まもなく、青年は家族の魂に見守られながら息途絶えた。
三つの魂は空へと昇り消えていく。青年の魂は下に向かって落ちていく。巫女の優子でも、悪魔の所有物となった魂を解放してやることはできない。それでも、自分と命をかけて戦った男の魂を優子は見送った。
『ありがとう』
最後に青年がそう言った。
魔法学園の巫女 雲湖淵虚無蔵 @jsnpiy
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