1-2 憑依魔法


 魔法館の講堂で行われた入学式は至って普通だった。魔法学園だからといって変わった行事が行われるわけでもなく、新入生代表、在校生代表、校長が壇上で式辞やら、お話をして終わった。優子はてっきり魔法を使った華やかな演出でもあるのかと思っていたが、そんなものはなかった。


 入学式の終わりに名札を配られたのだが、0組の名札は赤色で、なんだか晒し者のように思えて優子は嫌だった。


 入学式を終えた優子とアリスは0組の教室へと向かおうとする。しかし入学案内には0組教室が見当たらない。一年生の教室がある第一校舎中を歩いて探してみても、どこにも0組の教室はなかった。


「あら? もしかしてここでしょうか」


 アリスが入学案内の校内図の端を指差した。それは第一校舎の西側にある木造の旧校舎だった。入学案内にも旧校舎に0組と表記してある。

 

 劣等生には古い校舎で十分だとでもいうのか、腹を立てながら旧校舎に向かうその途中のことだった。

 グラウンド沿いの道で数名の生徒たちが大きな声で言い合いをしていた。


「ざっけんな! 制服が汚れちゃったじゃんかよ。どうしてくれんのこれ? 土下座して謝れよ!」


 傲慢な態度で大声をあげているのは日ノ宮ユリカだった。周りには取り巻きを従えている。飲み物をこぼしたようで制服が汚れていて、手には半分ほどなくなったオシャレなお店のコーヒーを持っていた。


「あなたたちが横に広がって歩いているからいけないんでしょ!」


 ユリカに対して0組の女子生徒が声を上げて反論した。名前は『明星あけほしアキラだ。明るい茶髪をポニーテールで結った活発そうな女子だ。


「ご、ごめんなさい。よそ見をしていたわたしがいけないんです。謝りますから、喧嘩しないでください!」


 もう一人0組の生徒がおり、慌てふためいている。肩まである黒髪の女子で、眼鏡をかけていて、とても気が弱そうだった。名前は氷川椿姫ひかわつばき。どうやら彼女がユリカとぶつかって、トラブルになったようだ。


「ダメだよ、悪くないのに謝ったら!」


「そこの眼鏡が土下座すればそれで許してあげるつってんの。そうしておかないと、1組を敵に回して今後の学園生活に支障が出ちゃうよ。ただでさえ0組なんだから」


 偉そうに謝罪を要求するユリカ。入学した日から生徒たちにはクラスによる格差や差別があるようだった。

 話を聞いた感じ、ユリカたちが徒党を組んで闊歩していたため椿姫とぶつかったということが伝わって来た。


「1組だからって偉そうにしないでよ!」


「1組は偉いのよ? ここでは魔法の能力で人間の価値が決まるの。魔法学園なんだから当然でしょ? それなのにまともに魔法を使えない0組があたしたち1組の通行の邪魔をしていいわけないじゃん。0組は入学させてもらえただけでありがたく思えっての。そしてこれからこの学園で平穏に過ごしたいのなら今土下座して謝るべきなの」


「そんなに魔法に自信があるなら戦って白黒ハッキリさせようよ! わたしが勝ったらこの子の土下座はナシ、そして1組は偉そうにしちゃダメ!」


 アキラが左手で右手を支えながらユリカに向けて構えた。


「あはっ! なに? やる気? 後悔すんなよ? あたしが勝ったらおまえ今日で退学な」


 ユリカも同じく身構えて魔法を行使しようとしている。

 勝敗による条件を提示し合った二人はこれから魔法で『決闘』を行うつもりなのだ。魔法使いにはトラブルを決闘で解決する古臭い風習が残っている。

 もちろん魔法を暴力に用いることは禁止されており、攻撃魔法も特定の授業や部活以外では使用してはいけない。


「ど、どうしようアリス」


 遠目に見ていた優子は女子同士の喧嘩が怖くてビビる。どうにかした方がいいが、こういう時どうしたらいいのか正解が分からずアリスに頼る。


「あらあら、まぁまぁ、入学初日から喧嘩ですわ〜」


 アリスは目を細めて思案し始める。口調や態度は落ち着いているが、現在目の前で起きている修羅場への対策を考えていた。


 決闘しようとしている二人は杖や魔剣といった魔法を補助したり強化したりする道具は持っていないものの、魔法使いは道具なしでも魔法が使えるし、加減や使い方を誤れば魔法は人を殺し得る凶器になる。


「優ちゃん、二人を止めて」


 先ほどと打って変わり、覚悟を決めたような真剣な声でアリスが指示する。


「わ、わかった。やってみる」


 ビビってはいるものの、優子はアリスの指示を受けて即座に1組と0組の争いを止めるために動き始める。こう見えて、戦いの魔法にはそれなりの自信があった。喧嘩を止めることもできるかもしれない。


 ユリカがアキラに向けていた掌にエネルギーが収束する。基礎的な攻撃魔法の魔力弾だ。名門日ノ宮家の令嬢とあって、高校生にしては攻撃魔法の発動が異様に速い。優子は手慣れているなという感想を抱いた。これではアキラが魔法を使う前にユリカの魔力弾を受けてしまう。


「憑依───伊吹大明神いぶきだいみょうじん


 優子が魔法発動の呪文を詠唱する。そのたった一言に呼応して、姿の見えない何者かが、優子の内部に浸透していく。


 優子が用いるのは憑依魔法。霊を体に宿し、その能力を自身のものとして使う魔法だ。憑依させる霊の力が強ければ強いほど、優子の能力も強くなる。そして優子が憑依させたのは神霊『伊吹大明神』だった。


 決闘する二人への距離は20メートルほど。その距離を一瞬にして移動する。神の身体能力は人間の常識の埒外にある。


 ユリカの魔力弾が、二人の間に割って入った優子へと発射される。その魔力弾は優子に命中する寸前で、突如出現した五芒星の魔法陣の障壁に阻まれて消失した。


 今、優子が使用した魔法は陰陽道の防御魔法だ。優子は本来このような高度な魔法を使えないが、伊吹大明神の得意とする陰陽道を憑依中は使用することができる。


「なにっ?」


 ユリカが唐突に現れた優子を見て眉を顰める。優子の動きを感知できなかったことへの驚きと決闘を邪魔されたことへの憤りがその表情には見てとれた。


「おまえ誰? なにあたしの楽しみ邪魔してくれてるわけ?」


「ひっ」


 ユリカに怒られて優子は怯えてしまう。初対面の人にこんな態度が取れる人間の思考が理解できない。


「授業や部活以外での決闘は校則で禁じられていますから、止めさせていただきました」


 笑顔で歩いて来たアリスがユリカに告げる。


「いいの? あたしのこと敵に回して」


 それは日ノ宮家と1組を敵に回すということだ。日ノ宮は日本の魔法使いの家系の中でも力が強い家の一つだし、1組には同じく強い権力を持つ家の子女たちがいる。


「構いません。苛政の虎ならば虎子諸共倒すまでです。あなたが狐ではなく虎の子だったらの話ですが」


 これはこの魔法至上主義で貴族主義の社会に対する挑戦の覚悟と宣戦布告である。そしてユリカへの皮肉と挑発だった。案外アリスは喧嘩っ早い。

 日ノ宮ユリカは舌打ちをした後、少し落ち着き、アリスを見据えて言った。


「おまえは尻尾踏んだんだぜ? この巣穴の中でさ」


 ユリカの取り巻きである1組の生徒たちも傍観をやめて前に出て来た。抗争でも始めるつもりなのか。

 

「どうしよう、なんだか事が大きくなっちゃったよ」


 アキラと椿姫が優子とアリスの後ろであたふたしている。生徒同士の喧嘩は決闘になり、政治的な抗争に発展しかけていた。もうすでに一触即発は通り過ぎている。優子は周囲の魔力に攻撃的なひりつきを感じ取った。ユリカを含めた1組生徒五名は全員でこちらを攻撃するつもりだ。


「おまえたち、何をしている!」


 一人の男性の声が修羅場に響いた。現れたのは1組担任の一条マサヒコだ。ワックスで固めた髪と四角い眼鏡が特徴的な見た目通りのエリート魔法使いウィザードである。


「授業、部活動以外の決闘及び攻撃魔法の使用は禁止されている。生徒手帳に書かれているだろう!」


 一条の登場で1組生徒たちは矛を収めた。


「先生助けてくださ〜い。0組の生徒が決闘しろって脅してきたんです〜。だから仕方なく応戦してて〜」


 突如として日ノ宮ユリカが口調と態度をあざとい女の子に変えて嘘を吐いた。一条に擦り寄って上目遣いでお願いしている。


「な、なに? それは本当なのか?」


「嘘ですよ、その人も決闘に乗り気でした! なんなら先に撃ってきましたし、そもそも攻撃したのその人だけです!」


 アキラが反論する。


「それは0組の君から決闘を申し込んだということかね?」


「……そうですけど、その前にあっちが土下座して謝れなんて言うから」


「先生見てくださいよ、0組の子がぶつかってきて制服が汚れちゃったんです〜。謝ればそれで済んだのに、自分達の非を認めないで暴力を振ってきたんですよ〜」


「……やはり0組の生徒が悪いようだな。入学初日から暴力沙汰とは手が焼ける。0組の生徒は全員職員室についてきなさい」


 1組贔屓の一条はそれで納得してしまったようだ。ユリカの演技も相まって、傍から見れば0組は名門のお嬢様に粗相をして、しかも暴力を振るう不良に見えてしまうのかもしれない。


「あの、うちの生徒がどうかしましたか?」


 自信がなく、弱々しい男性の声の聞こえた。声の主は髪の毛がボサボサで痩せ型の男性だった。0組担任の海道十郎かいどうじゅうろうだ。入学式の折、優子たちは彼が0組の担任だと知ったが、なんだか頼りなさそうな印象を持った。0組の担任教師をやらされるということは彼もまた落ちこぼれなのだろうか。


「海道先生。どうやら0組の生徒が1組の生徒に魔法で暴力を振るおうとしたようです」


「そうだったんですか。私の監督不行き届きです。申し訳ありません。幸いにも誰も怪我をしていないようですし、0組の生徒には私がよく言っておきますから、ここは一旦お開きにしましょう。このことは落ち着いてからまた。入学初日ですし不安や緊張でこういうこともありますよ」


「むう、海道先生がそうおっしゃるならそうしましょう。ですが、くれぐれもしっかりと指導をお願いしますよ。1組の生徒はこれからの魔法社会を背負って立つ逸材なのです。何かあったら困ります」


 一条は1組の生徒を連れて引き上げて行った。その際、ユリカが0組生徒たちの方を睨んできた。凄まじい豹変ぶりだ。


 海道が理性的な大人の対応をしたおかげでひとまず穏便に済んだものの、悪いのは向こうも同じなのにこちらだけが謝罪したことが優子は腑に落ちなかった。


「海道先生、初日からお騒がせしてすみませんでした」


 アキラが海道に謝罪する。


「いいんです。何か理由があったのでしょう。でも暴力はダメですよ? 後でお話を聞かせてください」


「はい、先生!」


「さあ、皆さん初日のホームルームがあるので教室に向かってください」


 海道に言われて各々0組のある旧校舎へと向かう。


「大野木さん。決闘を止めてくださってありがとうございます」


 旧校舎に向かおうと海道の横を通った時、声をかけられた。


「大野木さんが日ノ宮さんの魔法を防ぐのが遠目に見えたんです。それなのに、0組が悪いみたくしてしまって……情けない先生で、すみません。後で一条先生に訳を話して誤解を解きますから安心してください」


 本当にすまなそうに頭を下げてくる。優子は海道は頼りなさそうだけど、それだけではない気がした。


「あ、ああ、いえ。穏便に済ませるためだったんですよね。それなら仕方ないです」


 あそこで海道が0組を擁護したとしても対立が続いて更に状況が拗れるだけだろう。海道のやり方は間違っていないと優子は思った。

 

「それじゃあ、失礼します」


「あっ、そうそう。0組の教室は旧校舎ですから間違えないように気をつけてくださいね」


 海道は忠告してくれるが、優子とアリスはもう間違えた後だった。優子はペコリとお辞儀をして旧校舎へと向かう。

 立ち去る時、ふと振り返ると海道は悲しそうに、悔しそうに、昼下がりの青空を見上げていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る