第2話 いばら姫

 カプセルは研究所の大実験室に準備された台座の上に直立する形で据え付けられた。主任研究員の島村と解析技術者の宮園がカプセルに各種計測機器のセンサーを取り付けていく。光学観測機器もセットし、出来上がった姿は無数の茨が絡みついた水晶クリスタルの出窓のように見えた。


「まさにいばら姫と言ったところだね」

 カプセルの前に立った島村が呟く。いばら姫は昔話に出てくる、紡錘つむを指に刺して百年の眠りに落ちてしまった姫君のことだった。

「まあ、時の止まった世界にいる存在ですからね」

 宮園は使い残りのケーブル類を片付けながら答えた。手早く取りまとめて、島村の隣に立つ。

「いよいよですね」

「ああ、やっとうちの研究所に順番が回ってきた」


 カプセルの中の女性は直立しているように見えた。二人は、穏やかな目元で前を見る彼女のすぐ前にいるのだが、彼女がそれを認識するのはおそらく三十年後のことになる。脳内の神経伝達に0.1秒かかるとしての計算だ。

「さて、お約束の超遅延時間の体験といこうか」

 島村が右手に持ったリモコンを操作すると天井の照明が消えた。部屋は真っ暗になるが、カプセルの内部は明るく照らされたままだ。そのまま十数秒経つと内部の光はふっと消えた。

「カプセルの中では光は秒速三センチで進むからこんな時間差が起きる」

 島村がリモコンで天井の照明を点けた。カプセルの内部は真っ暗のままで、十数秒後に明るくなった。


「でも、どう見ても人間ですよね」

 宮園が、不動のままの女性を見ながら問いかける。

「どうして宇宙のかなたからやって来た宇宙船に乗っていたのかしら?」

「さあて」

 島村は女性の顔を見つめながら応える。

「本人に聞くのが一番早いのだけどな。外部から時間遅延を解除するスイッチは見つけられていない。でも、」

 胸の前で重ねている女性の手を指さした。

「彼女は右手の中に何か小さなものを握り込んでいる。これまで調査した科学者の中には、これが時間遅延を解除するスイッチだと推測した人もいる。時間遅延は長い宇宙の旅の間、彼女を守るためのもので、彼女が解除して大丈夫と判断したらスイッチを押すのでないかとね」

 島村は肩をすくめた。

「問題はいつ彼女がそう判断するかだ。彼女の一秒は我々には三百年だからね。まあ、出来ることをやっていくしかない」


「それでどうするんですか? 計測機器以外の機材は用意していないみたいですけど」

 宮園は大実験室の中を見回しながら訊ねた。

「これまでいろんなコミュニケーションの試みがされてきた。彼女の目の前に固定した表示板を立てて絵文字で伝えるとか、テレパシーなるものを使うとか、だがどれもうまくいかなかった。そこでな」

 島村が部屋の隅から持ってきたのは一脚の椅子だった。カプセルに向き合うように置く。

「一日八時間、彼女の目の前で同じ姿勢で過ごす。彼女にとってはマイクロセカンド単位の時間だけど、繰り返していけばサブリミナル的に認知されるかもしれない」

「えーっ……」

 宮園は懐疑的な表情を浮かべる。

「八時間も同じ姿勢って気持ち的につらくないですか?」

「何もすることが無ければね。そこで彼女に向かって本の朗読をすることにした」

 島村は一冊の本を取り出した。

「恋愛詩の詩集だ」

「何で恋愛詩なんです?」

「アクション小説とかだと我々が好戦的だと思われそうな気がする。かと言って歴史ものだと伝えるべきでない情報が含まれそうだ」

「はあ……。それで、私は何をすればいいんですか?」

「画像がブレてはいけないから読むのは俺一人だ。宮園さんにはモニターのチェックをお願いしたい。一緒に朗読を聞いてもらってもいいけど」

「うう……、自分が朗読するのは恥ずいですけど、主任が読むのを横で聞いているだけだったら耐えられそうな気がします」

「そうか、では始めよう」

 島村は椅子に座り、朗読を始めた。


「紅い金魚がひらひらり

 青い浴衣の少女が振るう

 ポイを躱してひらひらり

 ふわり浮かんで尾びれをゆらり

  浴衣の中へひらひらり


 光の小路こみちを少女は進む

 あちらへふわりこちらをちらり

  澄んだ眼差まなざしそよがせて

 弾んで歩む少女に合わせ

 金魚は浴衣でひらひらり


 小路の先の鳥居の下に

  ずっと探した姿を見つけ

  少女はしずしず歩み寄る

 笑顔と共に渡された

  林檎がきらりと輝いた


 佇む少女が頬染めて

 黄金きんの林檎を齧る時

 金魚は少女に溶け込んで

 恋の炎に変わります

 紅い炎がひらひらり 」


 一編の詩を読み終えた島村に宮園が話しかける。

「ねえ、主任。あの宇宙船って何だったんでしょう?」

「あれは蒔種はしゅ船ではないかと言う人もいる。宇宙の星々に移民し、自らの生息域を広げていくためのね」

「でも、彼女は私たちと同じ姿形をしていますよ」

「我々も実は遥か古代に蒔種された移民の子孫なのかもしれない」

「私たちは遺伝子的に地球の他の生物とつながっていますよ」

「それらも蒔種されたものかもしれない。構想されているテラフォーミングでは、最初に珪藻、次に植物と段階的に生物を送り込み最後に人間を送り込むとされている。同じような方式かもしれない。段階を踏み、最後に送り込まれたのが彼女とか」

「じゃあ、私たちは珪藻扱いですか。なんかヤだな、最後に現れておいしいところを持って行くみたいで」

「案外、がんばった先行者にご褒美を届ける役かもしれないぞ」

「そうだったらいいんですけどね」

「じゃあ、次の詩に行くか」


「真っ直ぐに 飛び込め私の 無患子むくろじの実

  きみを打ち抜き…… 」


 そうして島村は朗読を続けた。午後五時になったところで詩集を閉じる。

「主任、お疲れさまでした」

「お疲れさま、これがいつか効果が出るといいんだけどね」

「はい、でも意外でした。主任は勤務時間中には雑談とか一切しない人だから、趣味とかないんじゃないかって思ってました。恋愛詩に詳しいなんて」

「なんか、貶されているような気がするんだけど……」

「いいえ、感心しているんです。でも、恋愛詩っていいですね。私も好きになっちゃうかも」

「だったらうれしいな」

「はい」

 だが、事態は二人が思っていたよりも早く進むことになった。


  ~Ø~~Ø~~Ø~~Ø~~Ø~~Ø~~Ø~~Ø~~Ø~~Ø~~


 緩やかな眠りの中に揺蕩たゆたっていた彼女は外部からの微かな刺激に興味を引かれた。滞時フィールドの中では、人はニューロン・シナプスの生体電流ではなく、フィールドを構成するクロノ粒子が、生体内の無数の神経細胞が持つ電位と干渉して起こる揺らぎによって思考する。その速度は思考者の意思によって左右され、フィールド内の光速をも超えて伝播するのだ。

 彼女の興味を引いたのは滞時ユニットの前に現れた青年の姿だった。椅子に座り、彼女に何かを呼び掛けているようだ。彼女は思考速度を速め、青年の動きを認識できるようにする。青年の声は聞こえない。音波が滞時フィールドを伝播して彼女のところに届くには六百クエルはかかるのだから。だが、青年の表情の動きそして真摯な眼差しを見て、ここが彼女が目覚めるべき世界であると判断した。

 滞時フィールドの解除は思念によって行われる。あらかじめ定めた合言葉キーコードの思念を右手の中のトュイオに伝えることで解除されるのだ。合言葉は何だったかしら、思いを巡らすうちにトュイオに別の思念が入っていることに気付く。

 それは『永き眠りの健やかならんことを』とあった。彼女は記憶を辿り、滞時フィールドを作動させた時にそばにいたアスドフグの思念だと気付く。睡眠中にも思考するアスドフグ族には滞時フィールドは永遠の眠りと思えたのだろうと。

 改めて彼女は滞時フィールドを解除する思念を念じた。


 『扉よ開け、新しい世界へ』


 そして、滞時ユニットの扉がゆっくりと開き始める。


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