さすらいのいばら姫

oxygendes

第1話 来訪

 『永き眠りの健やかならんことを』

 アスドフグはそう思念した。


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 太陽系外縁から接近して来た物体は最初、彗星と考えられていた。だが、光学観測が可能な距離に近づき、その形状が、直径約六百メートル、厚さ約百五十メートルの円柱形と言う極めて幾何学的なものであることが明らかになると、全世界の宇宙観測機構は色めき立った。人工物ではないかと言うのである。物体は、車輪のような形からチャリオットと名付けられた。それは太陽神ヘリオスの乗る戦車を意味しており、異星文明からの使者であることへの期待が込められていた。

 チャリオットは秒速七.七キロメートルで地球に接近し、軌道高度二百キロメートルで地球の周回軌道に入った。地上及び人工衛星から観測したチャリオットは、白銀色の滑らかな表面をし、側面の円形の部分は同心円状に緩やかな凹凸があり、外縁の円周の面には直線的な形状の張り出しバルジが規則的に並んでいた。

 チャリオットが人工物であることは明らかだった。それは何のために地球にやって来たのか。軌道上のチャリオットに多くの電波望遠鏡が向けられた。作動している機械は必ず電気信号を発生させる。それを捉えることでチャリオットの内部の活動を探ろうとしたのだ。また、チャリオットから通信が送られてくるのではと考えたのだ。だが、何の電波も検知されなかった。

 各国は国連宇宙委員会で協議した末、こちらから電波でメッセージを送ることを決めた。それはℯの対数を二進法で表したもので、人類が数学的思考をできることを伝えようとするものだった。南米のアルマ天文台からチャリオットに向けて電波が発信され、各国の観測機関はチャリオットの反応を見守ったが、一時間たち二時間たっても何の変化も観測されなかった。


 三時間が過ぎようとした時、光学望遠鏡がチャリオットの表面で小さな動きを検知した。円周上の張り出しの一つに開口部が現れ、そこから小さな飛翔体が打ち出されたのだ。物体は全長二メートル程の紡錘形で、地球に向けて降下していった。

 大気圏に到達するまでの観測で、飛翔体は後方が三角形の翼状に広がる紡錘形であることがわかった。形状から大気圏突入用の機体と推察された。

 世界が注目する中、飛翔体は大気圏に突入し、滑空しながら速度を落としていった。地球を数周した後、秒速六十メートル、降下角三度で太平洋上に着水した。

 付近で待機していた空母から飛び立ったヘリコプターが着水場所に急行し、海面に浮かんでいた飛翔体を吊り上げて、空母の甲板上に運んだ。


 甲板に下ろされた飛翔体を、各国から詰めかけた科学者、外交官たちが取り囲んだ。

「おお」

 一様に驚きの声を上げる。

 飛翔体は、なだらかな曲線を描く紡錘形で、後方は三角形に広がり両端が上方に折れ曲がる翼端小翼ウイングレットになっていた。全体は継ぎ目のない一体構造になっていて、上面の三分の一ほどが透明な素材、残りがにぶく光る乳白色の素材で出来ていた。一同が驚いたのは透明な窓から見える内部に、一人の女性が身じろぎ一つせず横たわっていることだった。ギャザーの多い、ドレスにもトーガにも見える衣服を着て、肌は象牙色、髪はブロンドで、張りのある素肌は二十歳はたち前のもののように見えた。口元は微笑んでいるような形だが、まっすぐ前を見ている穏やかな目元と共に、固定されているようにまったく動きがない。精密に作られたマネキンを見ているような気持になる形貌だった。

 科学者たちは透明な窓の部分は開くのでないかと考え、表面をくまなく調べたが蝶番ヒンジや開閉機構らしいものは見つからなかった。だが、調べているうちに一つの発見があった。飛翔体の横に屈みこんで、透明の部分ごしに反対側を見ると、あるはずのないものが見えたのだ。正確には、この瞬間にはあるはずのないものが。十数秒前にそこにいた人の姿が見えたのだ。

 精密な測定が行われ、飛翔体内部では光が秒速三センチの速度で進むことが分かった。光速は秒速三十万キロメートルである。それは飛翔体内部では時間が百億分の一の速度で流れていることを意味していた。飛翔体を作った存在は時間の流れをコントロールする科学技術を持っているのだ。


 科学者たちが時間制御のテクノロジーに驚愕していた頃、軌道上で変動があった。地球を周回していたチャリオットが軌道を離脱し太陽系外に向かったのだ。その速度は周回速度と同じ秒速七.七キロメートル、地球の重力を無視したような動きは人類の科学では説明不可能なものだった。刻々と遠ざかるチャリオットに追いすがる手段は無く、人間の手が届かない彼方へと消えて行った。


 唯一、人類の許に残された飛翔体は、カプセルと名前を変えられ、分析・研究の対象になった。だが、各国の研究機関が動員したどんな設備によっても、カプセルの扉を開く、あるいは内部機構を作動させることはできず、構成素材に傷をつけることもできなかった。


 そうして、数年間が過ぎた。先を争って分析に取り組んだ大国の研究機関は何の成果を出せずに手を引いて行った。その後、カプセルは分析にチャレンジしようと手を上げた研究機関の間を転送され研究されたが、同じ結果が続いた。世界の関心も次第に薄れていき、小規模の研究施設でも、希望すれば分析にあたれるようになっていった。


 そして今、カプセルは日本の片隅の、とある研究所に運び込まれ、その研究対象になった。

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