番外篇② すれ違う想いー⑵
「……リアム、私を下ろしてください」
抱きかかえられたままでは話しにくい。そう思って発したミーシャの声は、素っ気ないものになった。
「その……重いでしょう?」
「いや? むしろ軽くなってしまって、心配だ」
リアムは窓に背を向けると、再び寝台に向かった。そっとミーシャを下ろしてくれた。横にならずに腰かけると、彼は目の前で跪いた。
「仮の宮殿はすぐそこだ。何かあれば飛んで駆けつける」
ミーシャの手を恭しく取ると、指先にそっと触れるだけのキスをした。「リアム」と呼びかけると彼はすくっと立ち上がった。
「そろそろ仕事に戻る。また、来る」
「待って」
思わず立ち上がり、彼の手を掴んで引き留めた。両手で包み込むように大きな手を握る。
「身体は大丈夫? 地下と泉に氷を張り、氷の宮殿を作ったんだよね。凍化の病は今、どうなってるの?」
「身体が凍る気配はない」
いつも氷のように冷たかったが彼の手は今、ほんのりと温かい。
「サファイア魔鉱石があるおかげで、結界に魔力を注ぐ必要がなくなったからだよね。リアムが病を克服したならよかった」
彼の病が治ってよかったと本心で思っている。しかし、リアムの完治はオリバー大公の手柄だ。ミーシャは凍化を和らげる緩和治療しかできなかった。彼が魔力を使わないで済む根本的な解決案は、見いだせなかった。
オリバー様に、完敗ね。私は彼に勝る者を持っていない。
リアムへの想いも、愛情も、オリバーには及ばないような気がして、悔しかった。
「リアムが病を克服したなら、私は……」
「今さら国に帰るとか言うなよ」
口にしようとしていたことを先にリアムに言われてしまった。
「契約の内容は、凍化が治ればフルラに戻るという物だった。しかしそれは破棄して、新しいものを結ぶと約束をした。ミーシャ。その口でもう一度、ここに居たいと言ってくれ」
そばにいると約束した。彼の皇妃としてふさわしい魔女になると覚悟も決めた。だが、相変わらずどうしたらいいか分からないし、自信はない。
ミーシャはリアムの手を離し、目を逸らした。
「リアムが、私を必要としてくれるなら、ここに居る」
「違う。聞きたい答えはそれじゃない」
今度はリアムがミーシャの手を引いた。
「俺を優先するな。自分の意思でここに居たいのかと聞いている。お互い相手のために我慢するのはなしだと言ったのはミーシャだろ」
「私は、あなたのそばにいたくて我慢しているだけよ」
本当はオリバーのそばにいたくない。少しでも遠く離れたい。
だけどそれでは閉じ込めると言っているリアムを信じていないようなものだ。
「我慢……つまり、本当はフルラに帰りたいと? もしくは、俺に皇帝を下りろというのが本当の望みなのか?」
顔をしかめるリアムにミーシャは首を横に振った。
「そんなこと言ってないし、下りろなんて思ってない、リアムのことが好きだから私は……、」
皇帝のあなたを支えられるように、今よりも強い心と立場を手に入れないといけない。重傷を負い、囚われの身のオリバー大公に恐れるようでは、大国グレシャー帝国の妃として務まらない。
言葉を続けようとしたが、立ちくらみがして、ミーシャは声を詰まらせた。
「ごめん。まだ万全じゃないのに、無理させた」
リアムはミーシャを座らせようとしたが、それを手で制した。力が入らない足で踏ん張り、彼を見上げる。
「心配してくれてありがとう。だけどもう、大丈夫。私のことは気にかけなくていいから、リアムは皇帝として、するべきことをして」
「……相変わらず、俺を頼る気はないようだな」
「これは、私の問題だから」
妃として立つことは私自身の問題。彼に頼っていてはいつまでも横に並び立てない。
「俺は、君に我慢してまでそばにいてもらいたいとは思わない」
ミーシャは息を飲んだ。
……今、リアムは私に、そばにいて欲しくないって言った?
「私は、あなたのために努力を……」
「努力などしなくていいと言っている。契約のまま、フルラに帰りたいというのならそうしろ」
師匠として、魔女として、婚約者として保っていた
今の自分では力不足だ。努力も我慢も必要。それなしで、どうやって彼のそばにいればいいの?
彼の足を引っ張り、それでも平然としている厚顔な女、飾りだけの妃にはなりたくない。
炎の魔女が、氷の皇帝の妃であることを人々が認めなくても、そばにいると決めた。
反対されても、認めてもらえるまで頑張るつもりだった。
それらは全て、リアムがミーシャを求めてこそ。彼に拒否されたら何もできない。
皇帝である彼の横に立つ前に、資格を奪われた気分だった。自分の無力さに泣きそうになったがぐっと堪える。泣けばやさしい彼は折れる。一方的に想いを押しつけたりはしたくない。
ミーシャは下を向き、膝の上でぎゅっと握りこぶしを作った。
「フルラに、帰る準備を始めます」
幼いころの彼は、叔父を父親のように慕っていた。オリバー大公の犯した罪は大きいが、長年わからなかった気持ちを今回理解したことで、リアムは前以上に心を開いていくはずだ。
オリバー大公はリアムと同じ魔力を持っている。大人で、王族で彼の身内。頼りがいのある強力な味方が現れた以上、もうここに、ミーシャの居場所はない。
「君の望みは叶える」
耳に届いたのはリアムの低く落ち着いた声だった。安堵が滲んでいるように感じ、胸が痛い。
「ただ、体調が戻るまでは居させてください」
「あたりまえだ。今、国を出ることは許可しない」
ミーシャは無理やり笑みを浮かべると顔を上げ、「ありがとう」と礼を伝えた。
「……引き留めて、ごめんなさい。お仕事、頑張って」
リアムはしばらく黙っていた。じっとミーシャを見つめていたが、辛そうに顔を歪め逸らした。「ゆっくり休んで」と言いながらミーシャに背を向けた。
「復旧作業の目処がついたらまた来る。それまでは俺の代わりになる護衛を付けるから安心して」
復旧作業に関われない上に、護衛を付けられ守られる存在。優秀な彼と違って、自分はいつまでも足を引っ張り、空回りばかりの存在で嫌になる。
そばにいたいが、彼がそれを望まない以上、リアムと、そしてオリバーから距離を取るしかない。
……大人しく、フルラに戻ろう。そもそも今の私には公爵令嬢としての教養が足りない。クレアの時の知識に頼って、今生では令嬢らしいことを何一つ学んでいなかった。戻って、一からやり直す良い機会だ。
強くなって今度こそ、リアムに求められるように頑張ろう。
一方的に守る対象ではなく、肩を並べ、共に前に歩める関係になりたいから。
リアムが部屋から去るとミーシャは、柔らかいシーツに顔を埋めた。
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