番外篇② すれ違う想いー⑶


 仮死状態から復活して一週間後、ようやくミーシャは熱も下がり、以前の体調に戻った。

 リアムは、氷の宮殿で寝起きすると言った日から一度も、ミーシャのもとへ来ていない。


 ミーシャがこの国に来て、リアムの顔を見ない日はなかった。何日も会わず声を交わしていないだけで、心に穴が空いたみたいだ。寂しくて気分が落ち込む。

 リアムが作ったという大きな氷の宮殿を窓越しに眺める。遠目でもいい。一目、好きな人を見たかった。


「これじゃあ、婚約者というより、リアムの追っかけね。そう思わない? ライリー」

 侍女の彼女は労るように目を細め、口元だけで微笑んだ。


「ミーシャ様。気分転換に外へ出られてはいかがですか?」

 声をかけてきたのはライリーの後ろにいたサシャだった。彼女の横にはユナと新しくミーシャの侍女になった新人が三人、整然と並び、待機している。


「外……。勝手なことしたら陛下に怒られないかな?」

「陛下はミーシャ様のしたことに対して、怒ったことはこれまでに一度もありませんよ」

 心配はとてもされておいでですがと、ライリーは続けた。


「数日前から護衛の方が着任されております。制限はありますが、出歩いていいそうですよ」

「護衛……そういえば付けると言っていたわね」

 ノア皇子や、外の様子が気になる。出歩いて良いと言われるとそわそわしてきた。


「そうね。少し外に行こうかな」

「かしこまりました。では、我々は気合いを入れて腕を振るいましょう!」

 ライリーや、ユナたちは一斉に腕まくりをした。そしてそれぞれが張り切って作業にとりかかった。


 小一時間後、ミーシャは久し振りに寝間着ではなく、きれいに着飾られた。

「ちょっと散歩に外に行くだけなのに、飾り立て過ぎでは……?」

 ミーシャは姿鏡を前にして、ぎょっとした。


 朱鷺色の長い髪は丁寧に編み込み、頭頂部で結い上げられ、アクセントにシルバーのアクセサリーが散りばめられている。

 目元や口元も鮮やかな朱色を施され、ずっと青白く具合の悪そうだったミーシャの顔はどこかへ消えていた。


 首元や手首には、きらきらと輝くアクセサリーがこれでもかと存在感を放っている。少し重たい。これら全て婚姻お披露目パーティーの時にリアムからもらった装飾品だ。たくさんもらいすぎたために出番がなかったが、ただのお出かけのために使うのはもったいない気がする。


 ドレスは新調したものだった。雪原を思わせるような白を基調にしている。裾に向けて薄い青色のグラデーションだ。アクセントに銀の糸で雪の紋様を刺繍されているが、どれも精巧なデザインだった。胸元が開いた大胆な衣装は心もとなく、気恥しい。


「病み上がりですから、コルセットは止めておきました。ただ、寝込んでいらしたからお痩せになってしまって……、胸のボリュームは少々人工物を施させていただきました」


 ……うん。大丈夫。気づいてる。


「そこまで腕を振るわなくても。外に出れば外套を纏うし、脱いでまで見せる相手もいないわよ?」

「陛下に見せに行けばよろしいかと」

 サシャはにっこりと笑顔で言った。


「陛下は今仕事中です。それに、元気になったよ! って、自ら外套の前をはだけて見せろというの? 危ない女性になっちゃう」


「脱がせて欲しいと、おねだりすればよろしいかと」

 想像してしまい、ぼっと頭が熱くなった。

「無理!」

「陛下、喜ぶと思いますよー」


 リアムの喜ぶ顔は見たい。しかし、そのあとが恐ろしい……。

「……陛下を誘惑するのは、来世で頑張る……」

 ユナとサシャは声をそろえて「えー?」だの「もったいないー」と不満の声を漏らした。


「陛下はもう、私に興味がないかもしれない。人の心は移ろいやすいもの。心変わりされていても咎められない」


 変わらない想いもある。けれど、リアムはミーシャがフルラに帰ると言っても止めなかった。

 私のことを思って許可してくれたのは分かる。だが、一言、そばにいて欲しいと言ってほしかった。

 今更見た目を着飾ったところで、彼を振り向かせられるとは思えない。


「心変わり? あの陛下が? ミーシャさま、それは絶対にないかと」

 ライリーはいつものように目をつり上げながらミーシャに詰め寄った。


「これまではご体調も優れず、控えておりましたが、ミーシャ様一言、いえ、二言三言いわせていただきます! よろしいですか?」

「いやだ。はうそ。は、はい……どうぞ」


「カルディア王国が攻めてきて、宮殿は崩壊、オリバー大公は重傷という大変なときに、ミーシャ様はぶっ倒れて、陛下はどれだけ心労を重ねたが、お分かりですか?」


「分かってる。役立たずだって」

「あらあら、またご自身の過小評価。いい加減おやめください」


「でも、陛下は戻れって。もうフルラに帰るしか……」

「だめです。ミーシャ様! そんなことしたら陛下泣いちゃいます!」


 ユナが声を張って止めにきて、ミーシャは目を見張った。

「泣……陛下が?」

 彼女はぶんぶんと首を大きく縦に振った。


「日中は通常業務と復興対策の激務。それでも夜、……深夜になっても必ずミーシャ様を見舞いにきていたんですよ? 献身的で、お辛そうにミーシャ様をみつめていらっしゃいました。……慈愛に満ちたオーラーを纏い、端から見てもとても美しい光景でした。陛下の想いが、その気持ちが届いていないとでも?」


「ユナ。暴走し過ぎよ。ミーシャ様は未来の皇后。口を慎みなさい」

 サシャに止められ、ユナは慌てて口を手で塞いだ。言い過ぎたと思ったらしい。青い顔で、「申し訳ございません」と深く頭を下げてきた。


「私も、脱がせては少々行き過ぎた言動でした。申し訳ございません。ですが、おねだりは本音です。陛下、きっと喜ばれると思いますよ」

 サシャは眉尻を下げながら微笑んだ。

 ……そういえば、二人はもともと、リアムをとても慕っているんだった。


「サシャとユナ、ありがとう。だけど二人が言ったように今リアムは通常公務以上に忙しい身。私のことでこれ以上時間を取らせるつもりはありません。ただ、そっと、彼の働く姿を見守りたいから、一緒についてきてね」


 二人はお互いを見合うと、ミーシャに向き直り、はいっと元気よく答え、頭を下げた。


「それで、護衛の方はどういうお方?」

 ミーシャはドアの外に目を向けた。


「護衛は引き続き、イライジャ様です。外で待機しておられますよ」

「イライジャ様なの? 国境警備から帰られたのね。それを早く言って」


 ドレスの裾を片手で持つと部屋を駆け出す。病み上がりを気遣ったのだろう。用意されたヒールのかかとは低かったが、それでも足首を捻りそうになった。走りにくい。ドアは倒れかかるように押し開けた。


 銅像のように直立不動で待機していたイライジャは、ミーシャがいきなり現れても動揺することはなかった。さっと膝をつき、臣下の礼をする。


「お久しぶりです。ミーシャ様。ご体調は本当にもうよろしいのですか?」

「はい。大丈夫です。イライジャ様、お戻りだったのですね。お怪我はされていないですか?」

「私のことまで心配していただき、身に余る光栄です。ありがとうございます」


 イライジャはちらりとミーシャの服装に目を向けた。

「これから散歩と伺っていたのですが、パーティーに参加でしたか?」

「違います。散歩であってます!」

 戸惑っていると、ライリーがミーシャの肩に外套を着せる。


「さあ、外へ行きましょう」

 気を取り直して廊下に出た。

 宮殿の庭で、薬草を採っていたころを思い出し、気分が上がる。しかし、イライジャはその場に膝をついたまま頭を下げ続けた。


「イライジャ様?」と声をかけると、彼は「申し訳ございませんでした」と謝ってきた。

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