最終章
第104話 氷でできた半地下の部屋
……一ヶ月後。
「まったく! 陛下は人使いが荒いです!」
「そうか、耐えろ」
静かに舞う白い雪を避けて、回廊を移動しながらリアムはジーンの小言を聞き流す。
「氷の宮殿がやっと……! 修繕工事に入ったというのに、もう壊すおつもりですか?」
「壊していない。穴があったから氷で塞いだだけだ」
「そして、中で作業している者たちを閉じ込めたと? 彼ら、助け出されたとき顔真っ青で震えていましたよ!」
「だから悪かったって。次から気をつける」
ミーシャはリアムとジーンの少し後ろをついて行く。幼少期から変わらない息の合った二人のやりとりを邪魔しないように見ていたが、思わずくすりと笑ってしまった。すると、ジーンが振り返った。
「ミーシャ様! あなたの旦那様、おかしいですよ!」
「……ジーン宰相。お言葉ですが、陛下はまだ私の旦那ではないです。婚約者です」
ミーシャは肩を竦めた。
「旦那でしょう? 式ができていないだけで!」
オリバーの襲撃によるグレシャー帝国の被害は、主に帝都と、氷の宮殿だけですんだ。
いまだ爪痕の残る帝都で家を失った避難民の住まいの確保、宮殿の修繕、物資の補給をしながら、自国に侵攻してきたカルディア王国との休戦と捕虜の交換などの交渉も、平行で行われた。
リアムとジーンは休む間もなく、ずっと働き通しだった。リアムとミーシャの結婚の準備は進んでいない。住まいでもあり、国の中枢でもある宮殿が半崩壊したため、白紙状態だった。
名ばかりの皇妃。それでも、リアムのそばにいられるのが嬉しくて、ミーシャは充分満足していた。
「……おっと、僕は準備がありますので、ここで失礼しますが陛下とミーシャ様、いいですね? 時間厳守でお願いしますよ!」
「はい。ジーン宰相殿」
ミーシャが微笑み返事をすると、リアムは「そんな奴に気を遣うことはない」と冷たくあしらった。ジーンと別れ二人で静かな回廊を歩く。
「人使いが荒いのは、ジーンだって一緒だ」
「二人とも、私は尊敬しています。私もできることから手伝うね」
リアムは背が高い。顔を覗くように上を向き、にこりと笑いかけると、眉間にしわが寄っていた彼の顔が綻んだ。
氷の宮殿は広い。役割ごとに施設が別れて建っている。
それを繋ぐのが回廊で、上空から見ると雪の結晶の形をしていたが、中央の広い庭を中心に泉と地下の氷は解け、地盤が沈み大きな穴が空いてしまった。
リアムはまず、地下空間を再び氷ですべて埋め尽くした。
そして、流氷の結界を維持する必要がなくなった彼は、余り過ぎている魔力で文字通り、氷の宮殿を作った。
完全に凍った湖上に、氷と雪でできたブロックを積み重ねて造られた氷の宮殿は、普通のイグルーより数倍も大きい。
天井を支える柱は透明で美しい氷のブロックだ。室内は意外と暖かく、日中は陽の光で淡い薄水色だが、夜は、氷のブロックの中をくりぬき火を入れた、氷の灯籠のおかげで、オレンジ色の温かみのある幻想的な雰囲気を醸し出す。
部屋数は多く、仮眠がとれる寝室や執務室、応接室や休憩室、食事や酒を飲むバーまで造ってしまったため、宰相は今後も活用しようと、壊さず維持するつもり満々だった。
その氷の宮殿内には一カ所だけ、半地下の部屋がある。分厚い氷のドアの前には護衛兵が二人いた。ミーシャとリアムが来ると、ドアを押し開けてくれた。
「やあ、リアム。久しぶり。凍化の具合はどうだ?」
暗くて、寒々とした狭い部屋の寝台で寝ていたオリバーは、ミーシャたちが中に入ると上半身を起した。
王族といってもオリバーは反逆者。野放しにはできない。元々の独房は壊れてしまったため、リアムはここに一時的処置として幽閉している。
「あれ以来、凍化は起きていない。流氷の結界を作る以前の状態に戻った」
リアムはオリバーのそばの椅子に座った。
ミーシャは、天井付近の小さな窓が塞がれているのに気づき、開けていく。小鳥も通れないほどの大きさだが、詰められていた物を外すと、少しだけ光が射した。
「もしまた凍っても、ミーシャがいれば俺は死なないよ」
「国を思う、賢くてやさしい無敵の皇帝の誕生だな」
「どうだろうな。寵姫に傾倒して、民を疎かにするかもしれない」
「寵姫がそれを許さないだろう」
ミーシャはオリバーと目が合った。
「オリバー大公。具合はどうですか?」
「リアムに蹴られた脇腹は治ったよ。狼の牙が刺さった背中の傷はまだ痛む」
リアムを庇い、倒れたオリバーは一週間、生死を彷徨った。やっと少しずつ安定してきたが、まだ動くことがままならず、独房内で静養中の身だ。
ミーシャが意識のあるオリバーに会うのは、あの日以来だった。
「氷の剣で切られた胸の傷は塞がったが、こちらも痛い」
言いながら押さえたオリバーの胸には、ネックレスチェーンで繋がれた指輪が首から下げてあった。
オリバーがルシアに贈った指輪とおそろいだと言う。炎の鳥でも復活できずに彼女は煌めく細氷となって消えたが、そのとき、彼女の薬指にあった光輝くダイヤの指輪も一緒に消えたらしい。
「そんな顔をするな。奥方」
ミーシャは指輪がある胸元から視線を上げて、オリバーを見た。
「あの暗くて寒い場所から救えたのが唯一、私が彼女にしてあげられたことかな」
オリバーは「一目会えて、よかった」と目を細めた。
「クレア。いや、ミーシャ。二度も殺してすまなかった」
ミーシャに向かってオリバーは頭を深く下げた。
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