*ミーシャ*
第70話 この想いは、しまっておくもの
「行ってくる」
静かな朝だった。夜が明けきらない時間帯に出かけるリアムを見送っていると、彼はミーシャの頭にキスをした。やさしい瞳を残して、部屋を出て行ってしまった。
部屋に一人になると、リアムが落としていったキスを確かめるように、自分の頭に触れた。
「立場が、逆になってる……!」
まだリアムが幼かったころ、別れ際に親愛の気持ちを込めて、クレアは彼の頭にキスをしてあげていた。
今はされる側だ。だが、自分の気持ちに気づいてしまうと、なんとももどかしい。
「何気ないキスは嬉しいけれど、ちょっと、物足りない……」
自分が発した言葉が耳に届くと、ミーシャは口を手で抑えた。無意識に出てしまった気持ちが信じられなかった。
「落ち着けミーシャ。リアムは俺の言葉を信じろとしか言ってないでしょ!」
リアムがくれた言葉はどれも彼の本心だと信じる。でも、そこに恋愛感情が含まれているのかというと、また別の話だ。
恋とは人を欲張りにするらしい。
リアムの気持ちを、もっと自分に向けたいと思う気持ちがむくむくと膨れ、その度にミーシャは浮かれている場合じゃないと自分を叱った。
すっかり目が覚めてしまって、二度寝はできそうにない。ミーシャは落ち着かないまま時を過ごした。
陽が昇り、お腹も空きはじめたころやっと冷静になれた。ミーシャがたどり着いた彼の感情は、
「リアムは私のこと、子供だと思っている。うん。きっと、妹ね」
身内への親愛だった。
「誰が誰の妹なんですか?」
「わあっ!」
音に驚いた猫のように、ミーシャは飛び跳ねた。それを侍女のライリーは冷めた目で見る。
「ちょっと、ライリー。勝手に入ってきたら驚くじゃない」
「ノックもお声もおかけしましたが、ミーシャ様お忙しい様子でしたので聞こえなかったのでは?」
「私が返事してから入ってきて!」
ライリーはため息交じりに「はいはい」と答えた。
「さては、昨夜はお楽しみでしたか? 陛下と仲がよろしいようで。何よりです」
「からかって、探りを入れようとしても無駄よ」
ミーシャはにやけ顔の侍女に背を向けた。
「陛下は私のこと、子供だと思っているのはライリーだって知っているでしょう。私と陛下は仮の婚約関係。そういう仲じゃない」
言葉にすると胸が痛い。リアムの何気ない言動で胸はときめくが、二人の関係は脆い。再認識すると、言いようのない不安と痛みが伴った。
ミーシャは、恋をすると感情が忙しくなるんだと知った。
下を向いていると、ライリーは心配そうにのぞき込んだ。
「昨夜、本当に何かあったんですか? 万が一、陛下がミーシャ様を傷つけるようなことがあったなら、この私、たとえ命を失ってでも、陛下に物申し上げます」
「いや、命失ったらだめよ」
ミーシャは力なく笑ったあと、ライリーに報告した。
「私、近々陛下と共に、カルディア国に向かいます」
「は?」
ライリーは目を見張った。「どこへ?」と聞き返されたのでもう一度「カルディアとの国境」と伝えた。
「何があっても陛下のそばにいると決めたの。リアムが行くところがどこだろうが、ついて行きたい」
ライリーはしばらく言葉を失い、目を泳がせたが、やがてゆっくりと頷いた。
「ミーシャ様がお決めになったことならば、私は反対いたしません」
「ありがとう。ライリー」
ミーシャは自分の手をぎゅっと握りながら「ライリー、聞いて」と、告白を続けた。
「私、……陛下が好き、みたい」
認め、言葉にすると恥ずかしさで焼け死にそうになった。
「やっと、お気づきになられましたか」
「え?」と聞き返すと、ライリーは目を細め、やさしい声で続けた。
「私はミーシャ様のお気持ちに、最初から気づいていましたよ」
「最初から……?」
気づかれていた。
ミーシャは、顔が熱くなっていくのを感じた。
「私、そんなにわかりやすかった?」
「ええ。はたから見ていた者は気づいているかと」
ライリーの言葉に、顔どころか全身が熱くなっていく。耐えられなくて彼女から顔を背けた。
「そう。ばれていたのならしかたないわね。でも、この想いは、しまっておくの」
「はい?」
ライリーは顔に笑みを貼り付けたまま、信じられないくらい首をかしげた。
「しまっておくって、そんなの無理でしょう。だいたいしまっておく必要がどこにありますか? 好いた方のそばにいたいと思うのは普通です」
「私たちは普通じゃないわ。だって、私、悪魔女クレアの生まれ変わりよ?」
グレシャー帝国では魔女は倒すべき敵で、フルラ国でも魔女は悪だと広まりつつおる。
「私はクレア。その資格は……」
「いいえ、あなたさまはミーシャ。クレアではございません」
ライリーはぴしゃりとミーシャの言おうとした言葉を切った。
「私は前にも言いました。ミーシャ様。どうか幸せになってくださいと。陛下への想い、しまっておく必要はありませんよ」
向けられているまっすぐな瞳と心からの言葉。ライリーの気持ちが伝わってくる。
しまっておくべきだと思う一方で本心は、芽吹きはじめた気持ちに蓋をしてしまうことに抵抗があった。
誰かに肯定してもらいたかった。それが心から慕っているライリーからだったのが嬉しくて、ミーシャは、小さく頷いた。
瞬間、ドアがバンッと勢いよく開いた。
「あなた、クレア様の生まれ変わりなの?」
中へ入ってきたのは、ナターシャだった。
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