第71話 魔女の決意

「ナターシャ様、こんな朝早くにどうしたのですか?」

 

 ナターシャは遠慮する様子もなくつかつかと部屋へ入ってくる。お付きの侍従はいない。一人のようだ。


「そう。そういうことだったのね。やっぱり、陛下はあなたがクレアだから、妃として迎え入れた」

 ナターシャは自分で言って、勝手に納得しているようだった。ミーシャの前まで来るとにこりと微笑んだ。


「陛下の心を射止めたようね。おめでとう。悔しいけれど、クレア様なら太刀打ちできないわ」

「陛下の心など、射止めていないわ」

「あら、私に謙遜はいりませんわ」

 

 ミーシャは自分の正体をどう言って、口止めしようか考えていた。すると、ナターシャはまたしゃべり出した。


「実はね、この数日、父が危篤でしたの」

「え。お父さまが?……大丈夫なんですか?」

「それが今朝、いきなり持ち治して意識を取り戻したの。まだ、うわごとだけどね」

 ナターシャは安心した様子で笑みを浮かべた。

 ジーンの父親は、長年宰相を務めた人だ。彼から何か聞かされて、知っているのかもしれないと、ミーシャは警戒した。

「意識が戻って、よかったですね……心配だったでしょう」

「ええ。でも私は父を信じていましたから。この程度では死なないって」

 ナターシャはにこりと笑ったあと、すぐに神妙な顔になった。


「その父がね、ぼそぼそと言ってるの。オリバーの目的は、魔鉱石で、魔女、炎の鳥。復活……そして、滅び」

「復活と滅び」にどきっとした。

「なにか、関係があるのね?」

 ミーシャが口を開いて答えようとしたが、ライリーが二人の間に割って入った。


「ナターシャ嬢、ミーシャ様がクレアの生まれ変わりだと言うことは、ここにいる者以外、誰も知りません。ご内密にお願い申し上げます」


「ここにいる者って、陛下も知らないということ?」

 ライリーは「さようでございます」と答え頷いた。

「ナターシャ嬢、お願い。今聞いたことは、陛下には言わないでいて欲しいです」

「どうして?」

「私はクレアの生まれ変わりとして、前世の罪を償う身だからです」

 ナターシャの顔に驚きの色が浮かんだ。ミーシャは彼女にわかってもらおうと、まっすぐ言葉をぶつけた。

 

「帝国民は、魔女を嫌っています。陛下は魔女について悪く書く本を廃止したり、十六年間欠かさずクレアの墓参りをするような人です。もとより、魔女に傾倒していると反感を覚える者もいることでしょう。婚約者が、復活した悪魔女クレアだと知れ渡れば、私を庇い立て、陛下の立場をさらに悪くしてしまうでしょう。私の正体は陛下にとって足枷にしかならない」


「庇い立てさせたらいいじゃない。喜んで、リアム様の足枷になりましょう」


 ナターシャは平然と言って退けたため、ミーシャは驚いた。喜んで足枷になると言う発想がなかったからだ。


「それに、今さら陛下が立場を気にするとでも?」

 この問いには首を横に振った。


「クレアの正体が世間にばれるのが嫌なら、帝国民や他の者には隠せば良いわ。リアム様を含め一部の者だけ承知していれば十分」


「私がこの世に生み出した魔鉱石が原因で、たくさんの犠牲者が出ました。その帝国民に、自分の正体を偽ったままで、本当の正妃にはなれません」

「ミーシャ様、リアム様の正妃になることをお望みではないのですか?」

 ナターシャは、今まで一番驚いた顔でミーシャを見た。


「前世で、失態を犯してしまったんです。師匠として、のこのこと弟子の前には出られない。彼の病が完治すれば、身を引き、国に帰ろうと最初から決めていました」

「国に帰るつもりだというお考えは、陛下は、ご存じですの?」

「もちろん。そういう契約、条件で私はこの国に参りましたので」

 ナターシャは一度押し黙ると、下を向き思案顔になった。意を決めると顔を上げた。


「では、お聞き致しますが、ミーシャ様は師匠の立場とリアム様の幸せ、どちらが大事ですの?」

 今度はミーシャが押し黙った。


「ミーシャ様。あなたはリアム様のことを、どう思っていらっしゃるのですか? 今も、可愛い弟子?」

 ミーシャはもう一度、首を横に振った。


「弟子だとは思っていません。誰よりも尊敬している、大切なお方です」

 そう答えると、ナターシャは表情を和らげた。


「よかった。弟子だというなら、私、あなたから無理やりでもリアム様を奪うつもりだったわ」

「それはだめです!」

 無意識についで出た言葉にナターシャは一瞬驚いたが、すぐに目を細めミーシャを見た。


「よかった。ミーシャ様も陛下がお好きなのですね」

 陛下が好きと言う言葉に反応してひとりでに顔が熱くなる。それを見たナターシャはくすっと笑い、そして、少しだけ悲しそうに笑った。


「ミーシャ様、私に言ったこと覚えていらっしゃいます? 陛下にかけられた呪いを解くと仰っておられました。私はあの言葉を聞いて正直、できるものならして欲しいって思ったんです。私が、長年望んでいたことだったから。でも、私にはできなかったこと。クレアの呪いを解けるのなら、お願いしたい。彼を解放して欲しいと。それができるのは、呪いをかけたご本人のクレア様、いえ、ミーシャ様しかいません」


「私がリアムを苦しめた本人、原因なのに、認めてくれるのですか?」

「認めるしかないでしょう。陛下は、ミーシャ様を求めて苦しんでいらっしゃるのですから。早く彼の求めに答えて差し上げて」


 ミーシャは自分の手を見つめた。

「この手は血に染まっています。だから私はずっと自分の過ちを恥じ、申し訳なくて、忘れて欲しいと思っていたの。クレアの存在を消して欲しいと願っていた。忘れさせ、他に目を向けさせることが彼の幸せに繋がると、疑いもしなかった」

 

 師匠として迎えた最後の瞬間、血塗られた手できれいな彼に触れて、穢してはいけないと思った。


 だけど、そうじゃない。私の存在は、彼を穢さないという。


 ――呪いではなく、祝福を。

 

 フルラを発つとき、エレノアにかけられた言葉が浮かんだ。

 

「私がこの手で、リアムを幸せにしてもいいのね」

 手を見つめながら呟くと、ライリーがそっと、手を重ねた。


「この手は、人を想い頑張る手です。血に染まってなどいません。あるのは、希望です。陛下を幸せにして差し上げられる人は、ミーシャ様しかいませんよ」


「ライリー……」

 ミーシャはこみ上げる感情に動かされて、ライリーをそっと、抱きしめた。ありがとうと伝えると、ライリーも優しくミーシャを抱きしめてくれた。


 ナターシャは、侍女と抱き合っているミーシャの背に手を添えた。

「実は私さっき、陛下にきっぱりと振られましたの」

 ミーシャは顔を上げると、涙でいっぱいの目を思い切り見開いた。一方のナターシャは目が合うと、にこりと笑った。


「俺がこの手で幸せにしたいと思うのミーシャだけ。だそうですよ。陛下が求めるのはミーシャ様の幸せです。呪いを解いたお姫様が幸せにならない物語なんて、私は嫌よ」


 ナターシャの言葉が、また涙を押し上げた。心が震え、ミーシャは胸が熱くなるのを感じた。

「リアムを幸せにするには、私が、自分の幸せを求めないといけないのね?」

「そういうことです。ミーシャ様」


 ミーシャはナターシャのことも抱きしめた。

「ナターシャ様。ありがとう。私、この国にきて、あなたと友だちになれて本当に良かった」

「私もです。ずっとクレア様を拝見したいと思っていましたが、想像以上に素敵な方でした。どうか、二人で、……末永く、幸せになってくださいね」


 ミーシャはナターシャを抱きしめたまま頷くと、そっと彼女から身体を離した。


 涙を拭い、目を閉じる。

 幼少期の可愛いリアムの顔が浮かび、そして大人になった今のリアムの微笑む顔が瞼の裏に浮かんだ。

 呼吸を整えると、ミーシャはゆっくり目を開け、二人を見た。


「二人ともありがとう。おかげで覚悟ができました。私、リアムにすべてを打ち明けます」


 リアムは魔鉱石を諦めろと言っていた。自分に使うつもりはないと。

 だけどやっぱり、他に方法はない。


 自分に自信が持てず、彼を説得するのは無理だと実行に移す前から諦めていた。自分の罪の意識ばかりに捕らわれ、ちゃんと、彼の気持ちを推し量れていなかった。

 そんなことでどうする。どうやって彼を救うというの。


 魔鉱石は、彼の為に生み出したというのに。


「彼を救い共に生きる道を私は、諦めずに探し続けます」


 今度こそ間違えない。彼を悲しませない。何があろうとリアムを救って見せる。一緒に、幸せをつかみ取りたい。


 ミーシャは、内側から湧き上がる勇気と魔力を感じながら、手をきつく握った。

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