第66話 月明かりの下で

 張り詰めた空気が二人の間に流れる。ミーシャはゆっくりと口を開いた。


「どっちにするかなんて、聞くまでもありません。私は陛下の傍で、治療を続けます」


 何も成していないままでは、帰れない。


「……そうか」

 長い沈黙の後、リアムはふわりと溶ける雪のように表情を和らげた。さっきまで苦しかったミーシャの胸が小さく跳ねた。


「これからますます凍っていく陛下を、そのままにできないでしょう?」

 リアムはふっと笑った。そして、目を細めミーシャを見た。

「君なら、そう言うと思った。ただ、本当に無理はして欲しくない。俺のためにこれ以上ミーシャが辛い思いをするのは嫌なんだ」

 誠実で、想いのこもった声音だった。


「私だって、そうです。陛下ばかり辛いのは嫌です」

 リアムはミーシャから視線を逸らすと、太腿に両肘を置き顔の前で手を組んだ。ふうっと息を吐いたあと、横目でミーシャを見た。


「傍にいてくれるのならば一緒に、カルディアまで行こう」

 一拍置いて、「え?」と返した。

「私も、一緒にカルディアへ、ですか?」

 リアムは真剣な顔で頷いた。


「大丈夫。心配はいらない。ミーシャのことは俺が必ず守るが、嫌か?」

「いえ! 突然過ぎたので、ちょっとびっくりしただけです」

 本当に驚きだった。魔女が戦場に駆り出されることは、過去にも何度かあった。しかし今のミーシャは松明一つ、まともに作れない。

 軍の最前線へ、ついて行ってもいいのだろうか?


「前にも言ったが叔父が一度、宮殿内に侵入した形跡がある。目的や狙いが定かじゃない今、ミーシャを置いて行くのは得策じゃない。もし、ミーシャが国に帰ることを選んだなら、カルディアに向かう道中でフルラ国へ送り届けるつもりだった」

 

 リアムは、オリバーからミーシャを遠ざけようとしていた。

 ……相変わらず、自分の身体はさておきで、人の心配ばかり。


「どっちの選択肢でも、私はここを離れるしかないのですね」

「そういうことになるな。ただ、他人ではなく、自分で選ぶことに意味がある。そう思わないか?」


 ミーシャは窓の外、闇夜に静かに降る雪を見た。

 リアムの治療のために訪れた氷の国だが、楽しみにしていた部分は確かにあった。短い期間だったが、雪で遊ぶこともできた。これが強制送還だと心残りを生んでいた。

 ミーシャは視線を窓の外ではなくリアムに戻した。


「陛下が望むなら私は、どこまでもついて行きます」

 死は一度経験した。槍が降るものなら、身体を張ってリアムの盾になる。彼のためなら少しも、怖くない。


「ありがとう。ただ、傍にいてくれるのなら、ナターシャのことはもう勘ぐるな」

 胸がずきっと痛んだ。そっちの方は自信がない。

「それは、無理です」

 下を見ながら、正直に答えた。

「どうして」

「ナターシャ様は、陛下をお慕いしていますから」

 リアムは怪訝そうに首をかしげた。

「慕ってくれているのはナターシャだけじゃない。ジーンだってイライジャだって慕ってくれている」

 ミーシャは首を横に振った。

「ナターシャ様は陛下に恋愛感情をお持ちです」

「ナターシャが?」

「そうです」

 本人もはっきり言っていた。リアム様が好きだと。

 まさか、あんなにはっきりと好意を寄せられているのに、陛下に伝わっていない……?

 リアム、どれだけ鈍いの?


「俺は、ナターシャに恋愛感情などない」

「そう、ですか」

「結婚をするつもりもないと言っているのに、どうして無理なんだ?」

「それは、私がへ……」

 私が陛下のことが気になるからと言いかけて、慌てて手で口を塞いだ。

 背中が一気に熱くなって汗が浮かぶ。

 え……? 何この感情。ちょっと待って……!

 口から勝手に滑りだそうとした自分の気持ちに、ミーシャ自身が驚いた。


「私がへ、ってなんだ。言ってみろ」

「……何でもありません」

「だめだ。言いかけて止められると気になる」

 しかも「へ……」と、リアムは目を細めて呟いた。

「では、陛下はわ……」

 私のことはどう思っている? と言いかけて、こちらも言うのを押し止めた。

 

 だめだ。どうかしてる。

 これじゃあ私、リアムの気持ちが欲しいみたい……!

 

 心臓がばくばくと騒いでいる。おかげで思考がまとまらない。勝手に全身が燃えるように熱くなっていく。しかし、ミーシャの都合などかまわず、リアムは詰め寄った。

「への次はわ? わ、とはなんだ?」

「陛下は、わ、若いですね……って」

 もちろん取り繕った嘘はばればれで、リアムはミーシャを冷めた目で見つめる。

 居たたまれなくて彼に背を向けた。


「ミーシャ。首まで真っ赤」

 両手でぱっと首を押さえて隠した。振り向きながらリアムを睨む。

「陛下はもっと、発言に気をつけた方がいいです」

「気をつけろ? たとえば?」

「私をからかう発言全部です」

「だから、どれ?」

「今日も可愛い格好だねとか、美しい髪に触れたいとか、キスをしながらお願いをしろとかです!」

「それの何がいけない? 本当に思ったことを言っているだけだ」

 ミーシャは自分の後ろの首を手で持ったまま、固まった。目を泳がせたあと、そっと口を開いた。


「……イライジャ様が言ってたの。陛下の言葉に気持ちはない。鵜呑みにするなって」


 リアムは一瞬、眉間に皺を寄せた。


「イライジャに何を言われたか知らないがあいつより、俺の言葉を信じろ」


 リアムはミーシャの後頭部を持つと、そっと引き寄せ、朱鷺色の頭にキスをした。



 ――あなたは陛下の傍にいるべきじゃない。

 うん、わかってる。クレアの影から彼を解き放つのが私の役目。


 ――陛下にはナターシャ様がお似合いだ。

 私もそう思った。だから、苦しかった。彼の気持ちが別の人に向けられていると思って、悲しかった。そして同時に……


 リアムを取られたくないと、浅ましくも思ってしまった。



 触れるだけのキスのあと、碧空を閉じ込めたような瞳が、やさしくミーシャを見つめた。


信じたい。でも、本当に信じてもいいのかな? リアムの言葉は全て、彼の本心だと。


 目の前が涙でにじんでいく。今まで知らなかった感情が次々に溢れてくる。リアムが愛しくて、手を、伸ばさずにはいられなかった。


 ミーシャはそっと、リアムの背に自分の手を回した。抱きつかれるとは思っていなかったらしく、彼は一瞬身体を緊張させたがすぐに、抱きしめ返してくれた。


 彼の胸に顔を埋め、背に回した手に力を込めるとリアムは囁くように、「ミーシャ」の名前を呼んだ。


 とくとくと速い鼓動はどちらのものか、わからない。

 大事な人に触れて触れられている幸せと、それをクレアだった自分が感じて良いのかという罪の気持ちで胸の中が、混沌としている。

 だけどそこに確かな幸福があった。この一時は、かけがえの無いものなのは間違いなくて、絶対に、失いたくないと強く思った。

 

 ……リアムのこと鈍感と思ったけど、私も鈍感だ。やっと、気づくなんて……。

 

 月がきれいだったあの夜。

 炎の鳥に導かれ森を抜けた先に、天空の星々のような碧い瞳と、輝く銀色の髪を持つ彼を見つけた。


 リアムだとわかったあの瞬間、ミーシャは……恋に落ちていた。

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