第65話 氷の皇帝の傍にいるべき者

 いつものように、夜、リアムが疲れた様子で部屋に帰って来る。

 暖炉の前の長椅子座った彼に、身体が温まる飲み物をミーシャは差し出す。


「陛下。実は……謝らなければならないことがあります」

 リアムは飲んでいたカップをテーブルに置くと、ミーシャを見上げた。

「何? 話なら座って。聞くから」

 長椅子に座るリアムの横を勧められたが、ミーシャは立ったまま首を横に振った。

「関わるなと言われましたが、昼間、ノア皇子と、ビアンカ皇妃と接触してしまいました」

「その件は、イライジャから報告を受けている」

「ごめんなさい」


 ――あなたは、陛下の傍にいるべきじゃない。


 イライジャの言葉を思い出し、胸が痛んだ。奥歯をぐっと噛みしめ、下を向く。


「良いから座って」

 ミーシャはなるべくリアムと距離を取るために、長椅子の端に座った。

「ノアが泣き止むまで、慰めてくれたと聞いた。世話をかけた。礼を言う」

「いえ。我々が勝手に後宮に迷い込み、騒ぎ立てたことで皇女様の機嫌を損ねたのが原因かもしれません」

「機嫌か。あの人は難しい立場に居る。だから、ミーシャは気にしなくていい」


『ミーシャは、気にしなくていい』

 おそらく、リアムなりの気遣いなのだろう。だが、素直には受け止められなかった。ちくりと刺さったとげのような痛みが増していく。


「私は、陛下にとって仮の婚約者ですものね」

 笑いかけたつもりだが、うまくできた気がしなかった。

「……何が言いたい?」

 リアムから射ぬくような鋭い視線が返ってきた。ミーシャはたまらず、座ったまま頭を下げた。

「私は、邪魔な存在でしょう。治療もうまくいかず、申し訳ございません」

「邪魔な存在とは? 治療も、なぜ謝る。十分症状は緩和している」

「緩和では、だめなんです」

 ミーシャは膝の上で、手をきつく握った。


「私が、治療を申し出たばかりに、陛下とナターシャ様との関係を難しくしてしまったんじゃないですか?」

「ナターシャ? 彼女がどう関係する」

「昼間、陛下とナターシャ嬢が一緒に居るところを見かけました」

 ミーシャはリアムをじっと見つめたが、

「ああ。会っていた」

 彼は淡々と答えた。

「陛下たち、楽しそうで、仲睦まじい様子でした」

「楽しい? そんなはずないだろう。ナターシャとは……、」

「陛下とナターシャ様、とてもお似合いです」

 リアムは目を見張ったあと、眉間にしわを寄せた。

「……つまり、凍化の病を克服して、俺とナターシャは結婚するべきだとミーシャは言いたいのか?」


 ナターシャと結婚する。彼の声で聞くと、胸がきつく締め付けられたみたいに痛い。苦しくて、下を向いた。

「ナターシャ嬢なら陛下を愛しみ、きっと支えに……」

「前にも言ったが、俺は結婚に興味はない」

 リアムはミーシャの頬に触れた。優しく顔を持ち上げられる。美しい水面のような澄んだ瞳がミーシャを見つめた。


「治療を続ける限り、俺の傍にいるのはナターシャじゃない、ミーシャだ」

 

 すっと、リアムの冷たい手が離れていく。

「だが、この病は治らない。治療するのが辛いなら諦めてくれていい。国に帰れ」

 ミーシャは「諦めたいわけではありません」と、間髪入れずに答えた。

「完全ではなくても、ほぼ、普通の状態に戻す方法ならあります」

「クレア魔鉱石のことを言っているなら、無駄だ」

 ミーシャは目を見張った。


「炎の鳥を使って、宮殿内を探っているだろう」

「……はい、探しています。陛下は魔鉱石はすべて燃えて消えたと言っていましたが、クレアが焼き尽くしたのはオリバー大公が作った偽物魔鉱石だけ。クレア魔鉱石があれば、炎の鳥を宿せる。肌身離さず持てばおそらく陛下が魔力をどれだけ使おうが、凍ることはなくなります」


 生きている限り、魔力に限度はない。ただ、使うほどに身体への揺り返し、反動がある。

 寒さへの耐性があれば問題ないが、これまでの王族はその耐性がほぼ無く脆かったために命を落とした。リアムは、産まれたときから寒さに強かった。膨大な魔力を使う結界さえ解けば、凍らないで済む。


「クレアの魔鉱石は陛下が、持っていらっしゃいますよね?」

 ずっと聞きたくて聞けなかったことをミーシャは思い切って尋ねた。

「結界を解く気がないのであれば、魔鉱石を使いましょう」

「持っていると思うなら、自分の手で確かめて見ろ」

 リアムはミーシャの手を掴むと、自分の胸に当てた。

「遠慮はいらない。くまなく探せ」

 さらに後頭部を掴まれ、ミーシャはリアムの身体へ押しつけられた。

 目の前は彼の広い胸。微かに香る爽やかな香り。触れた指先と耳に、彼の規則的に刻まれる鼓動が聞こえ伝わってきた。

「無理、です……!」

 突っ張るように、彼の身体を押す。だけど拘束は解けない。

「ならば諦めろ」

「どうしてそこまで隠すのですか?」

 下からリアムを睨んだ。

「さっきから、まるで俺が持っていると確信しているような口ぶりだな」

 ミーシャはその問いに黙った。

「まあいい」とリアムは呟くと、ミーシャを離した。急いで体勢を整え、ほっと息を吐いた。


「クレア魔鉱石は師匠から預かったものだ。自分のためには使わない」


 ミーシャはゆっくりとリアムを見た。

 

 ならばいっそう、正体をばらそうか。そしたらクレア魔鉱石をリアムのために使える。

 ……いや、だめ。非力な今、打ち明けたところで何になる? 

 足を引っ張るお荷物になるだけだ。リアムは魔鉱石はクレアが持てと言ってきっと、受け取らない。

 やさしいリアムのことだ。再会を喜び、不出来な師匠を許してしまう。自分の幸せより悪魔女クレアを守ることにさらに力を入れ、優先させてしまうおそれがある。


 ミーシャは、罪を償いたいだけで、守られたいわけではない。


「数日の内に、俺は宮殿を出る」

「え……どうして? どこへ」

「カルディアとの国境へ。最近動きが活発だ。陽動のような気もするが、行ってみないとわからない」

「そんな危険なところへ、陛下自ら行かなくても……」

「自分で言うのもあれだが、この国で一番強いのは俺だ。戦争を防ぐか、最小限にするならどうすれば良いかは明白だろう」

「先に動いて、被害を抑えるつもりだということですか?」

 リアムは頷いた。

「でも、そしたら身体が……」

「帝国民あっての王族、王族あっての帝国民だ。もう民の犠牲はこりごり。皆には幸せであって欲しい。ここを守る者として果たす義務だ」


 では、陛下の幸せは?


「ミーシャ、魔鉱石は諦めろ。その上で今選べ。俺の傍で治療を続けるか、治療を諦め国に帰るか。どっちにする?」

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