第63話 氷ってしまった花束
翌朝になっても雪は止まなかった。
雪雲が垂れ込めているせいか、宮殿内も暗い。
ミーシャは回廊を侍女三人とイライジャを連れて進む。炎の鳥をそばで飛ばしながら、昨夜のリアムとの会話を思い出していた。
オリバー大公は今までどこにいたのか。
これまで一度も姿を見せなかったのはなぜか。
どうして今になって気配を匂わせる? 何が目的?
リアムはオリバー大公に会ったら、どうするつもりなのだろう?
疑問や聞きたいことが、次々に浮かぶ。
「……そっちの道に行くな。怖い魔女のお通りだ」
ふと、耳に届いた声にミーシャは立ち止まった。視線を向ければ遠巻きにこちらを見ている侍従たちがいる。ミーシャと目が合うとぱっと顔を逸らし、姿を隠してしまった。
「……何あの態度。感じ悪いわね」
「私が一言、もの申して参りましょう」
ユナとサシャが眉間にしわをよせながら、腕の袖を捲る。
「いいよ。私は何を言われても気にしないから」
ミーシャは手のひらに炎の鳥を乗せた。
「炎の鳥よ。オリバー大公が宮殿内に潜伏していないかと、碧に瞳の男が他にいないか調べて。あと、……魔鉱石も」
リアムは魔鉱石の話に触れない。しかしここに、必ずあるはずだ。
手の上にいた小鳥サイズの炎の鳥がふわりと浮かび、羽ばたいていった。
「こうやって、炎の鳥を操って歩いているんだもの。魔力がない人からしたらきっと怖い存在よ」
「ミーシャ様は、寛大過ぎます」
「私のせいで、肩身の狭い思いをさせてごめんね」
「いえいえ。滅相もございません。それよりもミーシャ様、外を見てください」
「あら。雪が小降りになってる」
回廊から外へミーシャは躍り出た。侍従たちがあとからついてきながら、慌てた声で言った。
「ミーシャ様。そちらへは立ち入ったらだめです!」
「そっちってどっち?」
「そっちです!」
……全部白くて、よくわからない。
雲の切れ目からやさしい光が庭に降り注がれている。降り積もった雪の表面が陽に照らされて、きらきらと宝石のように輝いてきれいだった。
「ミーシャ様! うわっぷ!」
急に強い風が吹いて、雪があとからくる侍女たちの行く手を阻んだ。
「みんな、ゆっくりおいで。……薬になる花か草、どこかに埋まってないかな」
深く降り積もった雪の上は歩きにくい。下ばかりを見てよたよたと歩いていると、
「雪、邪魔なら消してあげようか?」
いきなり現われたノア皇子がにこにこと笑いかけてきた。ミーシャは周りを見回した。庭には自分の侍従たちしかいない。
「ノア皇子。こんにちは」
「ねえ、雪、どうする?」
小さな彼はミーシャが戸惑っている間に自分たちの周りの雪をふわりと、宙に浮かせた。
「うわあ。すごいね!」
「こんなの簡単だよ。……あんまり人前では使うなって言われているけど」
ノアは少し悲しそうに笑った。雪の塊が次々に浮かんでいく。
「……リアム皇子よりコントロールが上手ね。素敵な雪の魔術、見せてくれてありがとう」
リアムは魔力量が多いせいか、温かい環境でも関係なく、よく力を暴走させていた。今のミーシャにはノアの魔力がどれ程かわからないが、雪のコントロールは上手だと思った。
「リアム皇子って、陛下のこと? お姉さん、陛下の小さいころを知っているの?」
「え? あ……えっと、そう。前に本人から聞いたことがあるの!」
いけない。うっかり口を滑らせてしまった。慌てて誤魔化す。ユナやサシャが雪に阻まれ、近くに居なくて良かった。
「僕、陛下のことが好きなんだ。お姉さん、もっと教えて!」
「いいよ。雪で遊びながら教えてあげる」
「ミーシャ様。いけません」
とがめる声で言ったのは、やっと追いついたイライジャだった。
「ここがどこかわかりますか?」
「え。宮殿の庭でしょう?」
ミーシャはそう言いながら、周りを改めて見回した。ノアが除雪してくれたおかげで、建物の形が良くみえる。
言われて見ると、ここはどこだろう?
見慣れた風景ではなく、いつも見かけるよりも大きな泉があった。
「ここは、僕の庭」
ノアの言葉にイライジャが付け加える。
「ビアンカ皇妃が住まう後宮です」
「え……。私、存じずにすみません」
「僕の庭だよ。見て、お花を摘んでいたんだ。母上にあげたくて」
ミーシャは皇子と目線を合わせるために、しゃがみ込んだ。笑顔いっぱいの皇子の手にはピンク色の、小さなお花が握られていた。
「きれいで可愛いお花。きっと、よろこんでくれる……」
あれ? このお花には……。
「ノア。勝手に庭に出るなと何度言えばわかるの?」
突然とげのある声が耳に届き、ミーシャは顔を上げた。
白くて大きな建物の正面の階段を下りてくるのは、ビアンカ皇妃だ。ミーシャはカーテシーをして挨拶をした。
「ご機嫌麗しく存じます。ビアンカ皇妃」
「フルラ国からきた令嬢よ。いくら陛下の寵をいただいているからと、好き勝手されては困ります。ここには立ち入らないでいただきたい」
ビアンカは扇子を広げ口元を隠すと、「早く立ち去りなさい」と怒気を含ませた声で言った。
「かしこまりました。失礼いたします」
皇子と遊びたかったが、彼女に逆らえばリアムに迷惑をかける。
頭を下げ、引き返そうとするミーシャの横をノアが走り抜けた。ビアンカに近づくと手を伸ばした。
「母上、見て。庭にきれいな花が……」
バシッと、乾いた音が響き渡った。
ビアンカがノアの手を扇子で払い退けた音だった。花がはらりと白い雪の上に散る。
「ノア。あなたは次期皇帝になる身。遊んでいないで勉強しなさい。……私を、がっかりさせないで」
冷たい視線を向けたあと、ビアンカは息子に背を向けた。重い沈黙だけを残して彼女は一人建物の中へ戻っていった。
ノアは、その場から動こうとしなかった。下を向き、頭を垂れている。
ミーシャは、散らばった花に手を伸ばした。
……お花が、凍ってる。
そのまますべての花を拾いながら、彼の元へ近づいて行った。
「ノア皇子……ごめんね。私たちが来たせいで皇妃を……、」
彼の背に手を当て顔を覗くと、目に涙を溜めていた。一点を見つめ、固まっている。
ミーシャは彼の手を掴むとそっと、お花を手の上に乗せた。
「ね、この花を見て。葉の裏に可愛いテントウムシがいるわ。みんな引っ付き合って眠ってる。きっと、皇妃さまは虫にびっくりされたのね」
ミーシャは魔力を込めて、彼の手の上の花に息を吹きかけた。花の表面を覆っていた薄氷にひびが入り、ぱらぱらと小さな音をたてて花から剥がれ落ちる。もぞもぞとテントウムシが起きて、端にいた一匹が空に飛んだ。
飛び立つテントウムシを見ながら、ノアの目から大粒の涙がこぼれ頬を伝った。小さな皇子は手の甲で、目をゴシゴシと擦る。
「まだ、春じゃないのに、飛んで行って大丈夫かな?」
「きっとすぐに戻ってきて、また、みんなと眠るはず」
ノアはお花の束を、屋根のある場所にそっと置いた。
「ノア皇子は、やさしいのですね。大丈夫だよ。泣いても、誰も皇子を怒ったりしない」
ノアは声に出して泣き出した。
はらはらと雪が舞い降りる。ミーシャは彼が落ち着くまで抱きしめ、頭と背をなで続けた。ビアンカに、怒りを感じながら。
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