第11話 契約成立
「幸せは、一生訪れないなんて……なぜ、そんなことを言うんですか」
「令嬢こそなぜ、そんな顔をする」
クレアだったころの感情がこみ上げてきて、視界が涙で歪む。こぼれ落ちる前にミーシャは彼に背を向けた。
「体裁を整えるためにガーネット家を利用したことは、直接会って謝りたかった。謝罪と説明が遅くなって、すまない」
リアムは、本当の婚約申し込みではなかったことに、ミーシャが泣いていると思ったらしい。
「謝罪の言葉なんて、必要ありません。説明もできないほどに、陛下を避けて、会わないようにしていたのは私です。こちらこそ、申し訳ございません」
ミーシャは炎の鳥を呼び寄せた。
朱色に燃える小鳥の嘴には、縁が金色の白い手紙が咥えられている。
「ありがとう」と言って受け取ると、ミーシャは手紙を開けた。
――貴族に、政略結婚はつきもの。
両国に思惑があることも、恋愛感情の伴わない結婚だということも、最初から理解している。そもそも、悪魔女の一族が、万人に受け入れられるはずがない。
ただ一つ、許せないことがあるとするならば、リアムが自分をないがしろにしていることだ。
ミーシャは机の前に移動するとペンを持ち、筆を走らせた。リアムに再び近づくと、手紙を差し出した。
「陛下。先ほどは辞退すると申しましたが、撤回いたします。婚姻の申し込み、誠にありがとうございます。謹んでお受けいたします」
ミーシャのサインが記された手紙を見て、リアムは少し驚いたように目を見開いた。
「俺は、断っても良いと言った」
「私も言いました。そんな状態の陛下を放っておける人はいないと」
「婚姻は受け入れる。ただし……俺の病を治療する期間のみ?」
空欄部分に付け加えた文面を声にして読むと、リアムは視線を上げた。目が合うと、ミーシャは頷いた。
「正直言いますと、今回も断るつもりでしたが、陛下の病を知ってしまった以上、もう、見て見ぬ振りはできません」
ミーシャは炎の鳥を両手で掬うように持つと、リアムに見せた。
「私の魔力がご存じのとおり乏しいですが、炎の鳥は扱えます。陛下の病を緩和することはできる。きっと、お役に立てると思います」
「令嬢が行動力のある女性だということはもう理解している。病弱で引きこもりだと言って避けて来たのには、理由があるんじゃないのか?」
ミーシャは一度、視線を下に向けた。気持ちを固めたあともう一度リアムを見た。
「陛下の仰るとおりです。私はやりたいことがあります」
混乱を招いた偽物の魔鉱石は燃えて消えた。戦争は終わり、両国間は同盟を結ぶほど平和になったが、まだ病と怪我に苦しむ人はたくさんいる。
クレアの被害に遭ったものも少なくはない。自分の知識で彼らを救うことに生涯を捧げる気持ちは今も変わらない。だけど……
「私のやりたいことは、陛下を治療してからまた続けます」
誰よりもクレアの被害を大きく受け、治療が必要なのは、今、目の前にいる人だ。
「陛下が、魔力の使いすぎで身体が蝕回れていることを私は知りませんでした。世間に、公表していませんよね?」
「国内外に知られるのはよくない」
納得するようにミーシャは二度頷いた。
「病の根本的治療。完治するまでの対処治療をするために、陛下のそばに、仕えさせていただきたいのです」
「俺のそばにいて不自然じゃないのは、婚約者の立場だと言うことか」
ミーシャは自分の胸に手を置いた。
「大丈夫です。陛下の病はこの私が必ず治してみせます」
リアムの治療方法について考えていると、ふと、クレアの記憶が過ぎった。
死の間際クレアはリアムに、偽物ではない本物の魔鉱石を託した。それさえあれば、彼の病は改善するかもしれない。
ミーシャはリアムに炎の鳥を受け取るように促しながら、口をひらいた。
「もしも、ですが、魔鉱石が一つでも残っているのなら、この炎の鳥を宿せます。そうすれば、陛下は魔力をいくら使っても凍える事はなくなるでしょう」
「魔鉱石は、すべてクレアの炎で燃えて消えた。この世にはない」
燃えてなくなった魔鉱石が存在しているとなれば、また争いが起きる。もし持っていても、他国の娘であるミーシャには答えないだろう。
なんとかして信頼してもらい、「持っている」と言わせられないものだろうか。
「俺に、断る権利は?」
考え込んでいたミーシャは顔を上げた。
「ありません。治療は受けてもらいま……、」
「婚約の話だ」
リアムにまっすぐ見つめられ驚いて目を見開いた。
「すまない。婚姻を申し込んでいるのはこちら側だった」
「婚約は、カモフラージュです。本当にするわけではありません」
答えたあとも、しばらくリアムはミーシャを見つめた。
「わかった。令嬢の提案を受けよう」
「契約成立ですね。ありがとうございます」
速くなった鼓動を感じながらミーシャは頭を下げる。
彼は苦笑いを浮かべながら、炎の鳥をそっと、手の上に乗せた。
「こんなに小さいのに、温かい」
「温かいでしょう? なのに火傷はしない。実体を持たない炎の鳥に平気で触れられるのは、魔力があるものだけです」
炎の鳥は、魔力がないものでも見ることはできる。魔力があるリアムは触れることもできる。ただし、操ったりできるのはガーネット家だけ。
「令嬢は、この炎の鳥を使って治療を考えてる?」
「はい、炎の鳥を中心に。あとは薬草。他の方法も試してみるつもりです。……ですが、一番良いのは魔力を使わないことです」
「それは無理だ」
リアムははっきりと言った。
魔鉱石に炎の鳥を宿せば、リアムは凍える事はない。それが叶わないならば、せめて魔力を使うのを止めればいいと思った。
リアムが気象を操らなければ、グレシャー帝国はすぐさま雪と氷に覆われてしまうのかもしれない。
「治療が長引けば、そのまま俺の妃になってもらうから」
ミーシャは、目を大きくさせた。一方のリアムは真顔だ。
「し、心配はいりません。すぐに治して差し上げます。そのあとでもっと陛下にふさわしい妃をお選びください」
ミーシャの言葉にリアムは、遠くを見るように目を細めた。
「言っただろ。妃は……特別な人は、持つつもりはない」
自分も頑固だが、リアムも頑なだなっと思った。
「その考えも、変えて見せますね」
リアムはふっと、挑発的に笑った。
幸せになることを諦めている弟子が心配だった。リアムの身体を治してあげたかった。婚約を利用してそばで観察する。そうすれば、魔力を使う理由と、使わないですむ方法がわかるはず。
リアムに近づくために婚姻関係を進めることにしたが、これでますます自分はクレアの生まれ変わりだと、打ち明けられなくなった。
万が一、氷の皇帝のお妃が炎使いの悪い魔女クレアだと知られれば、国内外から顰蹙を食らう。
暴動、反乱、下手したら隣国から危険国扱いを受ける。孤立ならまだましだが、戦争にでもなったら大変だ。取り返しがつかない。
何より自分の正体を知ったときのリアムが、どういう反応をするのか、わからない。
律儀に墓参りをしてくれているが、本当は、恨まれているんじゃないだろうかと、不安だった。
彼の大事な人たちを狂わせ、炎の中に飲み込んだ師匠のことを憎んでいるかもしれない。小さな彼の目の前でクレアは炎となって消えた。トラウマになっていてもおかしくなかった。
やはり自分は、リアムの妃にふさわしくない。
元師匠として彼にしてあげられることは、正体を打ち明けず、彼の病を治したら身を引く。そしてもう、関わらないこと。
それが彼のために、今のミーシャがしてあげられる唯一のことのように思えた。
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