第8話 頬に煤をつけている令嬢
エレノアが炎の鳥を使って屋敷に連絡をしていたが、ミーシャが隣国の王を連れて帰るとは思っていなかったため、みんなが驚き、屋敷内は慌ただしくなった。
馬を侍従たちに任せると、すぐにリアムを屋敷の中へ通した。部屋の暖炉には小さな火が灯っていたが、まだ弱い。部屋を暖めるために自ら薪を手にして、暖炉に入れた。
フルラの気候は暖かく、この時期はまだ薪を使うほど寒くはならない。それなのに、リアムが部屋に入ると一気に温度が下がった。吐く息は白く、身体が震えるほどに寒い。
「ライリー、薪が足りない。もっと持ってきて!」
暖炉の火は今にも消えそうだった。炎の鳥を呼んでも反応がない。
「火が、小さすぎる」
炎の鳥は火の威力に比例する。魔女クレアは何もないところから火を起こせた。炎の鳥の威力も増したり減らしたり自由自在だったが、魔力がないミーシャは炎の鳥の大きさ分しか火を操れない。
このままでは満足に陛下を温めてあげることができない。地道に暖炉に風を送り、火を大きくしていく。
「陛下、こちらへ。もっと火の近くで温まってください」
声をかけながら振り返ると、長椅子に腰かけていたリアムの足元を中心に、床が凍っていた。顔は下を向き、呼びかけても反応がない。
ミーシャは彼の元へ近づき、前に座り込んだ。顔色を確かめるために下からのぞき込む。閉じられていた瞼がそっと開いた。
「具合はいかがですか?」
「……寒くて、眠い」
「それは、よろしくないですね。馬での移動で、身体に負担がかかってしまいましたか?」
リアムは首を横に振った。
「心配しなくていい。いつもの、ことだから」
「……この状態が、いつもなんですか?」
聞き返すと、リアムは目を細めた。
「ところで令嬢は、病弱で引きこもりと聞いていたが、ずいぶんと様子が違うようだ」
真意を探るためか、まっすぐな目で見つめられた。
「は、話を逸らさないでください! 私が先に質問しているんです。この状態がいつもなら、私生活でも支障があるのではないですか?」
「突発的に魔力を使わなければ、私生活に支障はないよ」
ミーシャは眉間にしわを寄せた。
少し魔力を使っただけで容体が悪くなるということは、身体へのダメージが相当蓄積しているということだ。どうしてここまで酷いのだろうか。
「ひとまず、毛布と温かい飲み物を持って参ります」
根本原因の解明と対応はあとにして、今は応急処置に専念しようと思った。お辞儀をして立ち上がり、そばを離れようとしたら、彼に右手を掴まれた。
「令嬢は、じっとしているのが苦手なのか?」
「体調の悪い陛下を見て、じっとしていられる人なんているんですか?」
リアムは目を見開いた。
「普通の貴族令嬢なら、心配はしても自ら動かない。侍女に指示すればまだ良い方だ」
ミーシャははっと我に返った。
愛弟子の苦しそうな姿を見て、元師匠として心配が先に立ってしまった。言い返せずにいると、リアムはさらに言葉と重ねた。
「一人で森をうろつき、刺客と遭遇しても怯まず体当たりで撃退しようとした。煌びやかなドレスではなく商人のような身軽な服装。スカート姿でも平気で馬にまたがる。こんな令嬢、聞いたことも見たこともない」
部屋は寒いはずなのに、背中に汗が浮かぶ。リアムの言うとおりだ。どれも、公爵令嬢としての振る舞いではない。
結婚の申し出を断り、リアムに直接会わないようにするため、これまで病弱で引きこもりだと言ってきた。しかしこれで、嘘だとばれた。淑女に見えるように挽回するにはどうすればいいかと、知恵を絞る。
「し、指示するよりも、自分で動いた方が早いので」
結局、ありのままに答えた。
「ありがとう。令嬢自ら薪をくべてくれたおかげで、部屋も暖かくなってきた。だから、そのまま、ここにいて」
握ってくる彼の手はまだ冷たい。ミーシャは彼の手に自分の手を重ねた。
「陛下の体調が回復するまではこの場から動きません」
リアムは小さく頷くと、ミーシャの左頬に手を伸ばしてきた。
「頬に煤がついている令嬢も見たことない」
やさしい眼差しだった。リアムが冷たい指先で頬を何度も擦る。煤を拭き取ってくれているあいだ、ミーシャは動けなかった。
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