第21話 増えた分


          *


 「はああああ」と、長い嘆息がアスラの口からもれた。

 呆れかえった美少年の顔は、ただただ残酷なまでに春絵はるえを突き放す。


「厭って言って回避できるならいいよね。でもさ、その厭っていう人生の最後のダメ押しをしたの、他ならぬお姉さん自身だよ? わかってる?」

「わかってるわよ!」


 情けないくらいにバタバタと涙が零れ落ちる。


「でも厭なものはいや! あんな……あんなのはっ」

「もう、駄々っ子じゃないんだからさぁ」


 アスラは顔を盛大に歪めて、「いいい」と首を横に振る。

「ああもうめんどくさ! だから最初にやめとけって教えてあげたのに!」

「……ねぇアスラ」

「なに⁉」

「――もし、もしこの先、この現世でちゃんと反省して、ちゃんと生きていったら、来世は違う人生になるの? それで、やった事の罪を償ったことになる?」


 ぱたり、と、アスラのパーカーの猫耳が片方倒れた。


「……うん。少なくとも小峰こみねとは全く関りがない人生を送れるよ」


 そんなのもう、結論は出ているに決まっている。


「わかった。現世で償う。今ちゃんと済ませて、来世はあんな人とは関わりない人生送るわ!」



  ***



「毎度ありがとうございまぁす」


 マスターの声に重なる様にして、かららん、とドアの鐘がなる。

 春絵の背中がドアの向こうへ消えるのを、アスラは頭だけ向けて見送った。その胸元で、ちりりん、と小さく鈴が鳴る。


「アスラー、店の中ではあんまり派手にやらんでくれよー」

 奥からマスターがぼやく声がした。

「わかってるって」

 投げ捨てるように返すと、アスラは椅子に座り直した。

「……ところでお前さ」

「うんー?」



「なんであんな嘘ついた? 反省すりゃあ不倫相手の死んだ嫁さんには生まれ変わらずに済むって。――どう足掻あがいたって来世は変わらねぇだろ。この世の全ては確定してんだから」



 マスターの言葉にアスラは薄眼で鼻白はなじろんだ。

「それこそ、余計なお世話だよね。来世どうなるか教えてあげたのは特別サービス。お姉さん頭悪すぎてかわいそうだから」

「ひっでぇ言い草」

「本来何かやらかしても、心底反省してれば罰は今世のうちに自然とめぐってくる。その始末を自力でつけられれば、予定されてる来世を生きられる。――でも、それをおざなりにして逃げればどうなるか、マスターだって知ってるじゃん?」


 しかめっ面をしたマスターは、口の端を苦く歪めた。


「因業因果は巡るもの。今世の不始末は来世に持ち越し。転生利息は倍のツケ――全く、この世のことわりってのはエグいもんだな。あの人が辿たどるのは今世も来世もそれ以上の地獄で確定ってわけか」

「まあどう考えてもそうなるだろうね。反省でゆるされると思ってるあたりお察し案件てヤツ?」


 アスラの口元に、きゅっと酸っぱそうな笑みが浮かんだ。


「しかもお姉さん、初回相談の支払い踏み倒したからね。裏技はタダじゃないワケで、ついでにこの世には利息ってモンがあるのよ。今回の分との合算だけで済むはずないじゃん。ほんと、タマちゃんなんで通しちゃったのかなー。ぼくと出会って相談なんかしたら、あんな身勝手な女性ヒト、地獄のおかわり不可避じゃん」

「気に入らなかったんだろ、タマちゃんも」

「あーまーね。しめたね、アレはワザと」


 アスラは小首をかしげつつ、肩をすくめた。


「因果の始末が自分一人で片付くもんだと思うなんて、人間はえらく傲慢ごうまんになったもんだねぇ」

 最後のグラスを棚に戻し終えると、マスターはカウンターから出てアスラの隣に立った。


「――やっぱり、増えた分は娘にいくのか」


 ちらとだけ視線をよこすにとどめ、アスラは小さく溜息をついた。

「うん。一部は旦那が死を持って支払ったけどさ、それでも足りない。それくらいね、役満ってまずいのよ」

「……中身については聞かない方がよさそうだな」

「自分の心身の平安を守りたいならね」

「――一応口は出さないつもりだが」

「じゃあもう黙っててよ」

「お前がやっていることは、お前らの仕事に根本から反するものだろうが」

「えー?」

 とぼけた調子で唇を尖らせる少年を前に、マスターは腕組みする。

「そう見えてるなら、どうぞ好きにそう思っててよ。許可はとってるんだからさ」

「誰に」

「死神に決まってんじゃん」


 一瞬固まり、マスターは眉間にしわを寄せた。


「《黒の大鎌おおがま》か……」


 ぞわりと走った寒気を誤魔化すように、マスターは自身のヒゲをなでた。

「あいつこそ、何考えてんだかわかりゃしねぇ」

「死神に人の心を求める馬鹿がどこにいんのさ」

 アスラの手がにゅっと伸びる。マスターの脇を抜けて、テーブルの片隅に置かれていた小粒のガムを指先でつまみとり、紙を外して口に放り込んだ。

 自分の、ではなく、マスターの口に。

 そして目を細める。

「おいし?」

「おれミントガム嫌いなんだよ」

 心底厭そうな顔で、しかしマスターは律儀に噛む。アスラは「知ってる」と笑ってマスターの脇腹をつついた。

 しかめっ面でガムを噛みながら、マスターはアスラの頭をパーカーの上から乱暴になでた。それからするり、猫のように逃げ出すと、右手で無造作に札束を掴んだ。

「じゃあ、空いてるうちに行ってくるねー」

「おう。気をつけてな」


          *


 百万円の札束が、あっという間にATMの中に吸い込まれてゆく。枚数を数え終わった結果が合致したのを見届けたあと、アスラはがま口型のカバンの蓋をパチンと締めた。


「はー、世知辛ーい。稼いでも稼いでも右から左だぜ全く」

 うーんと伸びをしながら、アスラは自動ドアを潜った。



「――残り一千六百万。がんばろ」





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