第22話 《青の連弩》



          *



 桑名くわな信絵のぶえは母親と共に母方の実家に身を寄せ、祖父母と共に四人で暮らしている。

 年は十三。公立中学の一年生だ。

 学区内の三小学校のいずれの出身でもない。県外からの転入組だ。

 信絵の父親は都内の中小企業に勤めるサラリーマンだったが、不況のあおりを受けリストラで首を切られた。その後再就職の口を探すも難航し、一年程過ぎた頃、知人に誘われた勉強会とやらに参加した。

 これが運の尽きだった。

 それはとある新新興宗教による主催のものだった。父親は、高学歴だが人付き合いが不得手で内にこもりやすい性情の割にプライドだけはひっそりと高い人物だったようだ。故に、あなたは悪くない、あなたの価値を理解できない周囲が悪いというその文句は覿面てきめんに効いたらしい。ずるずるとのめり込み、あっという間にそこに入信してしまった。切り詰めるべきわずかな貯蓄をお布施やらのために団体へ寄進し、やがて修行のためだと家を出て行ってしまった。

 

 それから半年後。自発的に始めた断食業のため餓死したという通達が信絵の自宅へ届いた。

 

 父のわずかな所持品を引き取ることを許されて、母と共に引き取りに出向いた。父親に与えられていた、たった三畳の個室には、白髪白髭の教祖とやらの巨大な写真が飾られていた。

 大部分の金銭になりそうな物はすでに団体に吸収されていた。残っていたのは分骨された骨壺と、家族あての手紙と結婚指輪一つ。手紙に記されていたのは、如何いかにこの教祖の教えが素晴らしい物であるかという事と、それを受け入れてくれなかった妻と娘に対する恨み節だけだった。


 部屋の入口では、信者と思しき僧形の男性が、穏やかで幸せそうな微笑みを浮かべながら合掌している。彼は信絵たち母子の案内についていた。左眼の下にある、その小さな泣きぼくろが、やけに目障りに感じられた。


 男は口を開く。


 彼は強い意志の元、涅槃ねはんに至ったのです。素晴らしい事なのです。其れも全ては教祖様の深いお導きによるもの。それにつけても無念なのは、ご家族の皆様がこの素晴らしい輪に加わっていらっしゃらない事で云々――と、延々と悪夢のようなBGMを続けた。



「だったらお前が死ねばいいのに」



 思わず本音が口からこぼれたかと信絵は慌てたが違った。かっと見開いた眼からぼろぼろと涙を零しながら、母が彼を睨んでそう言っていたのだった。


 しかし、その泣きぼくろの男は、相も変わらずにっこりと微笑むばかりで――その不気味さに、信絵は総毛だった。



 手渡された骨壷を抱えて帰った。

 母の運転する中古の軽自動車の後部座席で骨壺を抱いたまま、吐き気と涙でいっぱいになって信絵のぶえは父を嫌悪しさげすんだ。こんなに何にもならない物ばかりを残した男を、そして父をそう変えてしまったあの教祖を呪った。


 生活が順調だった頃、自分達の家族は仲が良くて思いやりに満ちあふれていて、本当に絵に描いたような親子だったと思う。

 都心から二時間の住宅街に一軒家を持ち、両親は共働きで普通車を二台所有。一人っ子ゆえの我儘さは多少あったかも知れないがそれでも両親を困らせるようなことは一切しなかった。平均より上の成績を維持してミニバスケットチームでも花形選手だった。

 

 それがこんなにも簡単に崩れ去る。


 あのリストラ以降の生活の中で、信絵のぶえは自分という人間の器の小ささを、その本質的な卑怯さを嫌というほど思い知らされた。絶望した。優しさや寛容さなど自分は何一つ持ち合わせていなかったのだ。あれは単に、父とその会社から与えられていた金銭的余裕があったからこその仮初のものだったのだ。

 以来、信絵のぶえは宗教的なものや非現実的な妄想に拒絶反応を起こすようになった。終末論も大戦争も、ハルマゲドンも預言の聖者も、とにかく父の記憶に繋がる全てのものを拒絶した。


 そんな内心を、信絵は転校して間もなく親し気に話しかけてくれた一人の男子生徒に吐露した。

 一学年上だった彼は、気の毒そうに同情を浮かべて微笑みつつ、「わかるよ」と信絵を抱き寄せた。


「――気持ち悪いよね。辛かったね。ぼくもああいうものは嫌いだよ。無責任な父親もまっぴらだ」


 その男子生徒もまた親に恵まれなかったのだと零した。彼は早くに母親を亡くし、一人では育てきれなくなった父親によって、その母親、つまり父方の祖母の下で姉と共に預けられていた。

「勝手な父親だよ。外にね、女性を作って、母はそれを苦にして自殺したんだ。あんな男みたいにはなりたくないし、心底軽蔑する。相手の女にもね」

 きれいな少年の横顔に、信絵は胸がしめつけられるような気がした。

「そうね。あなたのお父さんのことだけど、そんな人も、相手の女の人にも、罰があたればいいのに」

「ありがとう。そう言ってくれて。ほんと、あんなやつら死ねばいいのに。その女の家庭も、うちみたいにぐちゃぐちゃになってしまえばいいんだって、そう思ってるよ」



 放課後の夕景の中、彼はそっと信絵の手をにぎり、にっこりと甘やかに微笑む。

 少年の名を、小峰こみね良也りょうやと言った。




 そして、そんな彼等の様子を、一人の美しい少年が校舎の屋上から見下ろしていた。

 少女のような丸顔。華奢な体型。ネイビービルーの猫耳フードつきのパーカーと、同じ色のハーフパンツ。

 そして、その首から下げた極々小さな銀の鈴のペンダント。

 少年はにやりと猫のように微笑みながら、その鈴のペンダントに触れた。ちりりん、と微かな音がした。


 次の瞬間、その鈴がぐにゃりとじれる。


 少年の手の中で、それは質量を大きく変じ、やがて右手の内にクロスボウの形となって現れた。



「――さあて、そろそろ刈り取り時期かなぁ」



 良也りょうやのぶの間にむけて、宵口アスラは狙いを定めた。

 猫のように口角を持ち上げ、にんまり微笑む彼の別名を、《青の連弩れんど》という。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る